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考えていく覚悟のおはなし

「考える」という営みは既存の社会が認める価値の前提や枠組み自体を疑うという点において、本質的に反時代的・反社会的な行為です。

この言葉との出会いをたびたび思い出す

考えようとして考えているのか、それとも気づいた時にはもう何かを考えているのか私にはわからない。ただどうしたって何も考えてないとは言えなさそう

日頃から行っている「考える」という行為は反時代的であり反社会的だとも言えるらし

たしかに実際心当たりはある。家族や友人からの言葉にすら、すがり付いて判断を委ねたいとは思えない。丁寧に踏まえていきたいけれど、やっぱり自分自身にフィットしていくものが残るよう願い祈ってる。これがいかに誰かにとって暴力的な行為なのか決して忘れたくない

大切なあなたのことを疑えるなら、いかにあなたがそのままで素敵なのかを的確に説明できる能力も鍛え続けていきたい

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