『この人を見よ(ニーチェ)』を読んでいて、疲れる

ニーチェが好きな友人に「ニーチェの著作で最初に読むとよいものは何か。」と聞いてみたところ、「この人を見よ、の新潮文庫版がよい。」と返ってきた。大変読みやすいとの事であった。なのでつい先日ブックオフで該当の本を購入して、現在読んでいる。が、これがまた私には不向きな本であった。これは、私が苦手な翻訳文である。それか或いは、ニーチェの文そものもが私と相性が悪い。何れにせよ、文章の5割程は何を言っているのかがわからず、故に残りの5割も登場が極めて唐突な文章ばかりで、わかったような気になっては結局数ページ後には忘れていると云う、何を読んでいるのかがよくわからなくなる始末である。これまで私が読んだ外国語の著書で、翻訳的な意味で読みやすかったものとしては『スッタニパータ(光文社古典新訳文庫)』『ゴルギアス(光文社古典新訳文庫)』『老子(講談社学術文庫)』が目立っている。ああ、それともう一つ、古典ではないし、具体名は挙げないが、読みやすいどころか感動を覚えたドイツ語の翻訳書がある。『この人を見よ』もそうであると思っていたが、どうやら違うらしい。

この感覚は、以前に『職業としての政治(岩波文庫)』を読んだ時と似ている。あの時も、そして今回もそうであったが、カタカナが出て来てはもう駄目である。出て来るのであれば、光文社古典新訳文庫の本のように解説をその都度付けてもらわなくては、外国の文化に馴染みのない日本人である私には、困る。そのカタカナを軸にして展開される考え方には全くついていけなくなってしまう。その点、『老子』等は1から10まで本文の中で考え方が完結しており、読んでいて納得感が強かった。後世まで語り継がれるに相応しい書物だと言えると思った。

この12月末は『この人を見よ』を読んで過ごそうと考えていたが、正直その気が無くなってしまった。困った。読む本が無い。難しい本に出会うと、とても悔しくなる。如何せん、読んでいて楽しくないのである。その時間をゲームをする時間等に使えばよかったと、後悔する。仏は、衆生に合わせて説法をするとされる。私が求めているのは、その優しさなのである。いきなり難しい事をあれこれ言われても困る。なので、これから読む本は決まっていないが、とりあえず決まった事として、ニーチェは私には優しくなかったと云う事で、『この人を見よ』は投げる事とする。

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