古本市を目指して歩く 23/11/27

昨日の午後にツイッターを眺めていたら「法蔵館書店で古本市が開催される」という情報を目にして、これは足を運ばなくてはと思い、今日は朝から、京都へ向けて歩く事にした。法蔵館書店とは、東本願寺前にある仏教書の専門店である。しかしながら、今日は諸々の足取りが重かった。まず、本当は朝5時に起きようと思っていたのであるが、中々起きる事が出来ず、結局7時前まで布団の中に居た。そうして7時過ぎに家を出たものの、そこからもイマイチ気持ちよく足が進まなかった。最近の精神的な疲弊がこの足取りの重さであるのは言うまでもないだろう。人として何かが欠けてしまったようなような気がするこの頃は、こうして歩く事も純粋に楽しめなくなっている。

人として何かが欠けてしまったような、と書いたが、これを具体的に語るのは難しい。とは言え、ある程度表明できる事があるとすれば、この欠けたという状態は、他者からの攻撃によって発生した訳では無いという、その事だろう。私から発生した災いが、私に悪影響を与えている。私は、人として生きる事に耐えられないのである。人として抱える、人間的な、あまりに人間的な、日常的で、かつ大量にある矛盾が、どうも、受け入れられないのである。かと言って、合理的なるあり方というものにも、迎合できない。あっちに行けば行き止まり、こっちに行けば行き止まり、という状態を、私は一人で延々と繰り返している。そうこうしていると、もう落ち着きというものが無くなってくる。笑う余裕も、泣く余裕も、少しずつ無くなってきているのである。

とまあ、そういう状況だったのであるが、その何かが欠けた状態で、私は法蔵館書店を目指し続けた。途中でパラパラと雨も降った。しかし「これは本降りになるかな」と思っていたものの、雨は案外早くに止んだ。古本市は屋外で行われるので、また雨が降っては不味いと思って、私はやや速く足を進めた。そうして何とか法蔵館書店に辿り着いた。すると、普段のこの書店の様子とは違って、書店の前の古本棚には多くの人が集まっていた。「しまった!出遅れた!」と若干思いながら、私も古本棚に近付いていった。

本を眺めていると、気になる本が見つかった。なので価格を確認すると、定価は2800円、店頭価格は1000円とある。その本は決して人気の無い本ではない。Amazonで中古価格を調べると、送料込で1800円程する本である。そういう本が、こんな破格の値段で販売されていた。更に、そういう驚きが、あと2冊分あった。物凄い安売りであったと言っていい。そういう古本との出会いがあって、私は、久し振りにやや嬉しくなった。欠けていた何かが一時的に回復した。結局その勢いで、3冊、2500円分の買い物をした。安くは無い金額を消費したが、今日の所は、まあいいだろうという事にしておく。

そんな古本市での出来事も数時間前の事になった今は、風呂の湯船に浸かってこの日記を書いている。結局、欠けた何かは欠けたままなのであるが、家を出る前とは違って、多少の満足感がある。それは、面白そうな本を安く買えたという事と、それに加えて、何だかんだで長距離を歩いたという事実が、重いものになっているからだろうと思う。道中はやや辛かったが、現在のこの程良い疲労感は、満足感を生むには十分なものであると言える。少なくとも、何も楽しかった事のない一日ではない。そして、一週間の内にこういう日が一日あるだけで、私の日常の風景は全く違うものになるのである。

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