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【エッセイ】水蒸気と記憶
純粋な水蒸気だけでは
なかなか雲にはなれない
雲になるにはキッカケがほしい
ホコリや煤煙のような凝結核が
普段はゴミのような『無駄なもの』
その『無駄なもの』をキッカケに
雲は生まれ恵みの雨を降らせてくれる
学生でも社会に出ても
覚えることはたくさんあって
覚えなきゃないことたくさんあって
でもなかなか覚えられなくて
それはもしかしたら
純粋すぎるからかもしれない
ただの水蒸気だからかもしれない
これは私の経験談だが、高校時代、古文の単語を覚えていたときに『可惜』という言葉が出てきた。意味は『もったいない』。
その時、祖母が言っていた言葉を思い出した。
「あったらもの!なんで捨てるんだ?」
小さい頃から聞いていた『あったらもの』。
意味などを考えたこともなく、『あぁ、よくおばあさんが言う言葉だ』くらいにしか認識していなかった方言。
覚えていても何の得もしない、意味すらわからない無駄知識。
それが『可惜』をすんなりと理解する要因となった。
『おばあさんは『もったいないもの』と言っていたんだ』
すると、さらに考えが湧いてきた。
『可惜し』と『新し』は何か関係があるのではないか。
そして調べると、もともと『新し』は『新たし』だったものが、『可惜し』との混同が起きて、『新し』になったということもわかった。1つの無駄知識『あったらもの』が、『可惜』の理解を助けるだけでなく、他の知識を得るきっかけともなった。
こうして、無駄な知識は、周囲に点在する純粋なものを凝結させて雲というイメージを頭の中に作り出す。
学校では習わない無駄知識
参考書にもない無駄知識
知ってどうする?無駄知識
でもそんな無駄知識が
純粋な知識を凝結させて
頭の中の雲となり
記憶の雨を降らせてくれる
『効率的な覚え方』
教材もデジタル化が進み
効率良い学習環境が整いつつある
クリックすればグラフが出てきて
発音の仕方が簡単にわかったり
リンクを飛べばすぐに疑問を解決したり
純粋に1つのことが追求できる
効率が良く純粋に
でもどれだけ覚えやすくなっただろう
どれだけ頭に雲を作るだろう
どれだけ記憶の雨を降らせるだろう
そう考えたとき
『効率の良い学習』と
『効率の良い覚え方』は
比例していない気がする
無駄な知識は、覚えるべき知識同士を繋げ関連させるパイプ役となる。
記憶することに関してはこれが重要になる。
一つの知識だけでは覚えにくい。すぐに忘れてしまいやすい。しかし、関連して繋がることがあればその記憶は忘れにくくなる。
無駄な知識が無駄ではなくなる。
効率の良さとは、乗り物で例えれば新幹線だろうか、飛行機だろうか。もしかしたら瞬間移動装置かもしれない。
一問一問のこと、一つ一つのことを辞書や参考書、書籍やネット情報なども含めながら試行錯誤して覚えるのは効率が悪いと言えるかもしれない。その過程の様々な情報は無駄知識かもしれない。
乗り物で例えれば、自転車だろうか、三輪車だろうか。徒歩かもしれない。匍匐前進かもしれない。
目的地に早く着くためには、無駄を省いた速い乗り物の方が良い。しかしその分周りの景色は見えなくなる。
周りの景色は言わば『無駄知識』。
しかし周りの景色がない目的地は、なんと空虚なものだろう。目的地しかないのだから。
もちろん目的地に着いてから周りを見渡すことはできる。それで十分楽しめて、それで満足ならばそれも良い。
しかし、目的地から見えない範囲にたくさんのものは存在する。
目的地に行く過程で、それらを見なかったことは無駄知識を省いたということだろうか。
他の目的地へ行く手段もわからないままの点。
他の考えに行き着けない知識。
それはいつまでたっても目には見えない水蒸気でしかないかもしれない。
雲になることもなく、記憶の雨を降らせることもない、ただの水蒸気なのかもしれない。