軌跡は奇跡を呼び、奇跡は軌跡を生む
先日旅行に行き、岩手県陸前高田市にある奇跡の一本松を見てきました。
すごく綺麗な道の駅。外観は『美術館か?』と思うほどでした。ここから歩いて一本松へ向かいます。
たくさんの人で賑わい、車のナンバープレートを見ると、日本中の様々な地域から来られているのが分かります。
魅力的な商品、魅力的な食べ物。
地元の方々が全力でサービスし、日本各地から来るお客さんがそれに満足して帰路に着く。
その一つ一つが復興につながっていく交流の交差点。素晴らしい道の駅です。
そして奇跡の一本松を見に行きました。
道の駅から奇跡の一本松まで600mあまり。
静かで美しい場所が続きます。
真ん中の白い建造物には、津波の高さがどれほどだったのかを知らせる看板がありました。
この写真を拡大してみると分かります。
白い建物の真ん中辺りにあるプレートです。
こんな高さまで津波が及んだのであれば、今ここにいる私達は全滅です。
そのときふと思いました。
美しくも静かなこの場所は、津波がなければ存在しなかったのだと。
津波に遭われた方々がいらっしゃったことが現状を生んでいるのだと。
津波で流されてしまった日常がこの地には確かにあったのだと。
一言では言い表せない複雑な感情が入り混じりました。
広大な場所。
ここ一面が津波に晒されたあの日……。
涙が溢れそうになりました。
奇跡の一本松です。
近くにある建物は元宿泊施設で、この建物があったから松にぶつかる波が軽減されたと言われています。
この宿泊施設は2011年の1月に営業をやめていたとのことです。地震、津波があったのは2011年3月。
人がいなくなった建造物が松を守り、
その松が津波の中を生き残り、
今でも人に勇気を与え、
そして津波の記憶を後世に残す。
人間が松を守り、松が人間を守る。
人と松につながりを感じました。
枯れてもなお、復興の象徴であり続けるこの松のとてつもないエネルギーを感じた気がしました。
いや、松だけではありません。
この松に込めたみなさんの思い、願い、悲しみ、希望。
それらが莫大なエネルギーとなって、見る人達に語りかけてくるのだと思いました。
だから復興の象徴であり続けるのだと思います。
津波で被災をしなかった私たちに出来ること。
こういう事実があったのだと認識し、この記憶を忘れないこと。感じ取った思いを忘れないこと。
追悼の念を持ち続けること。
悲しい経験の教訓を生かして、同じようなことが起きてしまったときに被害を最小限に抑えること。
実際に体験しなかったからこそ、何が起きたかを知り、しっかりその光景を目に焼き付け、この地の方々に思いを寄せて、復興へ向けて共に歩むことが大切なのだと感じました。
『復興』とは『復旧』ではありません。
復旧=元に戻すこと。
復旧はしようと思ってもできません。
仮にまったく同じ街並みを作っても、その中に住む人は同じ人になることはありません。
復興とは、元々の街の『勢い』を復活させることだと思います。そして、前以上に発展させることだと思います。
この道の駅の雰囲気、奇跡の一本松の佇まい。
それらを見て私は、この地の方々は真の意味での『復興』にまっすぐ進んでおられるのだな、
と感じました。
今日本には様々な災害によって、壊滅的なダメージを受けた地域がたくさんあります。世界に目を向ければなおさらです。
そのすべての地域に復興支援をしようとすることは、一般人には無理です。
しかし何かの縁によって触れ合った地域に関わることはできます。
それでも特別に『支援しよう』という気持ちじゃなくても良いと思うのです。
美味しそうなものを食べる。
欲しいと思ったものを買う。
気になるものに興味を持ってお店の方に話しかける。
そうやって『一緒に楽しむ』ことが復興につながっていくのだと思います。
一緒に楽しむ。
一緒に励まし合う。
一緒に応援し合う。
もちろん、今被災の只中にある場合はそんな余裕はないでしょう。
しかし時が経ち、ある程度心の整理ができた時、悲しい事実を受け止めながら、お互いに思いを寄せて、お互い楽しんで、お互い喜び合っていく。それら一つ一つが本当の意味での復興支援になるのではないかと感じました。
前を向いて共に楽しむ。
それが未来へ向けて我々がすべきことなのかもしれません。