「ほぼ日の學校」アドベントカレンダー17日目の授業紹介は、
石川九楊さんの『書は、なぞってみたら生き返る。』です。
授業紹介・視聴動機
先日、東京国立博物館の150年記念特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」を見に行きました。思った以上に楽しめました。その中に、「書」もありました。せっかく来たので、少しでも気に入ったものを探そうと、「書」も見てまわりました。お気に入りを見つけることまではできたものの、そもそも書について、良しあしがわからない。あれ以来、「書」が気になっています。以前、書道をテーマにした、『とめはねっ! 鈴里高校書道部』という漫画を読んだこともありますが、細かいことは覚えていません。
「書」について知りたい今、ちょうど、この授業を見つけました。
石川九楊さんの言葉
はい。わかりません…
でも、授業を聴いて、それが一気にわかるようになりました。
「書」に対する誤解
筆を彫刻のノミと見立てて、それが動く、展開することで音楽となるようなもの。
実際に、昔は印や石に彫り込んだものがあり(篆書)
そこから、木簡に書かれた文字(隷書)
に展開していく。
さらに省略された(草書)
草書が正式な書体を目指して、楷書ができた。今では、正式な書体の楷書から崩れて、草書になっているように言うが、歴史的には、石→木簡→…→崩れた書体→(公式化)→楷書 ということになるらしい。
なるほど… すごくわかりやすい。一気に文字の歴史がわかった気になります。
王義之はなぜ書聖なのか。
なるほど、「書」を今に続く、形に変化させた、まとめたから書聖なんですね。最初の人だったから、それをお手本にもするんですね!
書の見方
書をなぞる
なぞることでわかること
書をなぞって、その人が考えていたことを再生する。
まずは、脳内で、筆を持って、なぞるところから始めたくなりました。その時、細かい、ハライ、止めにも注目をして。いかに細かい動きをしているのかがわかる内容でした。
日本にも影響を与えた北宋の書家・詩人、黄庭堅のエピソード
あぁ、そして、時代時代に、こうしたエポックメーキングなこともあったんですね。このエピソード一つが輝いて見えました。
まとめ
石に掘ったものが、木簡になり、それが崩れて草書になり。でも、それを正式なものにしたく、楷書ができた。それは石に掘ったもの、政治で使われる字体に昇華したものでした。木簡が、その縦の長さが巻物の縦の長さになり、巻物を壁に掛けたものが、掛け軸で。文字の形、「書」が見られる形の変化も一気に(おおまかに)理解できました。すごい!
「書」って総合芸術なんですね。
一つ一つが絵であり、彫刻であり、それが並ぶ、音楽性、連続性のおもしろさ。それが物語や詩に乗れば、また別の意味ももって。そして、中国では、政治家の挫折の歌でもあるという。部分部分を見ること、どういう意図を持って一字を表そうとしたのか、全体でどう見えるとよかったのか。ちょっと「書」を見に行こう。都内にもある様子。2023年は、ちょっと「書」を見に行ってみよう。おもしろい授業でした!