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#1 Yの声と川の煌めき

※この記事は自死に関する描写が含まれます。

 月曜日。何もかも仕事をかなぐり捨てて、定時退勤をキメた。お気に入りのジョリーパスタの、大きな窓の近くのひとり席にどっかりと座り込む。適度に過疎ってるこの感じが良いんだよな。お気に入りの“真鯛とアサリのペペロンチーノ”を注文する。今日は本当に暑かったな。まさに「夏がいきなり始まったようなあつい日」だった。
 えっ、もう夏じゃん。なんだよ春。どこ行っちゃったんだよ春。行くなら一言言ってけ、春。薄情なやつだな春。
 そんなことを考えながら、レモンと魚介の爽やかな風味を存分に味わって、ドリンクバーのコーヒーを楽しみながら少しだけ読書をして、店を出る。
「ごちそうさまでした。」

 扉を押し開け一歩外に出ると、蒸し暑い空気に押し返された。これはあの夏の夜の空気だ。

 あの夜、Yが死んだ、って連絡を受けた時の。

 Yとは小学生の頃出会った。衝撃の出会いだった。まず、Yは木に登っていた。そして、木から木に飛び移り、あーーーって、叫んでた。立地こそド田舎だったが、その中でもそこそこお上品な家庭に育ったぼくにとって、同い年の子どものその姿は衝撃でしかなかった。最初こそ引いたが、どこか憧れのようなものを感じたことを、今も鮮やかに覚えている。
 木登りそのものに特に魅力は感じなかったけど、木を登ってるYを眺めるのはとても楽しかった。地面から「おーい」って声をかけたら、「はーい」って必ず上から返事を返してくるのがなんだかおかしくて。すぐにYのことを好きになった。いつしか、放課後を一緒に過ごすようになった。

 中学生になっても、ぼくたちは2人ともめちゃくちゃ友だちが少なかった。中学生になっても木登りをやめないYは、クラスでは確実に浮いていた。まあ、Yは持ち物一つ一つからヤバさが滲み出ていたし、奇怪な行動をしていたから近寄り難いのはわかる。一方ぼくは自分から声をかけるタイプじゃなかったし、同級生と話しているよりも本を読んだり絵を描いたりして過ごす方が好きだった。時々、アニメの模写や似顔絵なんかを頼まれて描くとき、少し話すくらいだった。
 そう、そういえばYも絵を描くのが得意で、木に登らない日は2人で絵を描いたな。うまい絵、ってわけじゃなくて、いやうまいはうまいんだけど、不思議な絵だったから同級生からのウケは悪かった。
 緑色の肌の人物の目から魚が飛び出す絵。コンセントから妖怪が出てくる絵。天使みたいな羽が生えた人物が木の上に佇む絵。(あとで聞いたら自分だっていうから驚いた。お前はどう見たって天使なんかじゃないサルだ、現実を見ろ)ある日突然、担任のおっさんを極限まで美化して主人公に仕立て上げ、少女漫画を描きはじめた時は、いよいよ狂ったなと思ったものだ。(夢小説の概念は不本意ながらYから学んだ)
 どれも新鮮で、笑えて。変なやつだけど、いや、変なやつだから、大好きだった。ぼくたちは最高の友だちだった。

 ある時、散々遊んで、といってもいつものようにYが木に登るのを木の下で本を読みながら待ってただけなんだけど、まあそれが二人にとっての遊ぶだったんだけど、木から降りてきたYと、一本80円のポッキンアイスを半分に折って舐めていた。木のそばで座って、川のせせらぎに反射する光を眺めながら。そしたらYが言ったんだ。

「思ったんだけど」

空の青さが気持ちいい日だった。木々の間に透ける空をぼーっと眺めながら続きを待つ。

「この川って、どこまで遡れるんだろう?」

さあ、どうだろー。って適当に答えた気がする。それよりもちらちらと動く水の煌めき、アイスの冷たさ、眩しいほどに澄んだ空が気持ちよかった。ずっとぼーっと眺めてたいな。

 でも、Yは言う。

「じゃあ、行ってみよう」

 じゃあ、って。と思ったけど、なんなら多分言ったと思うけど、思いついたらYは止まらない。ひゃー!だか、ひょー!だか、忘れたけど、何かしらを叫びながら自転車に飛び乗った。慌てて続くぼく。そこから、自転車でひたすら河川敷を上に、上に、登っていった。ヤバいこいつマジだ。
 途中で、河川敷がなくなった。河川敷を諦めて道路に上がり、なるたけ川に平行に、山に向かって自転車を漕いだ。
 やがて、平行な道路が無くなった。というか、山道に入ったため、道路と川の高さの差が大きすぎて、追えなくなった。Yは自転車を山に停めて、道路から2メートルほど下の川に降りた、なんのためらいもなく。
 いやいやぼくら中学生だぞ?マジか?結構真剣に止めた、つもりだったけど、Yは譲らない。

「行こう!」

 木登りの時よりも目をキラッッキラにさせるYを前に…止めることは諦めた。わかった、ぼくの負け。行こう。

 唐突に始まった大冒険。長い川があるのは知っていたけど、こんなに鬱蒼と木々が茂り、身長よりも高い雑草が生えているのは予想外だった。ぼくたちは、なるべく水の中以外を歩こうと努力した。アドベンチャーの難易度は、上流に進むにつれ上がっていく。岩から岩に飛び移り、倒木の橋を渡り、雑草を踏んで歩いた。見たこともない大きさの蚊や、小動物の骸骨、大きめの動物のフン。一つ一つに大興奮のYをよそに、ぼくはぼんやりと考えていた。
 一段上は、きちんと整えられた道路、新興住宅。でも、ここにはこんなにも剥き出しの自然が残っている。ここから湯婆婆やカオナシのいる湯屋に繋がってたって文句は言えないほどの異世界。自分が住む街にも、こんな一面があったんだな。

 「見て!」

 Yが突然大きな声で言った。目の前に聳え立つ巨大なコンクリートの壁。木々や雑草の間から見える苔むした壁は、なんだか古代からの遺跡のような佇まいで。それの中央あたりには、縦に並んだ穴が三つ。明らかに人工的に作られた長方形の穴から、少しずつ水が染み出している。

「やっと着いたね」

ぼくがいうと、Yは不思議そうな顔をしてこちらを見る。

「着いてないよ?」

「え?」

「これから、登る」

 そうだった。確かに、こいつは木という木に登る習性を持つやつだ。この壁を登るなんて、容易いだろう。でもぼくはどうだ?

「ほら、あそこに梯子」

 見ると、ああ、確かに端の方に梯子がついていた。鉄製だろうか、手をかけるのに躊躇うほどに錆び、ところどころ朽ちている。ごめんY。こんな脆弱そうな梯子で「じゃあ登ろうかな」と思えるほど自分の運動神経を信じてないんだ。できれば登りたくない。沈黙で返事をした。

「・・・」

なんとなくぼくの心情を察したYは、笑顔で言った。

「あー。じゃあ、待ってて、見てくる」

「わかった」

 ぼくがそういうや否や、Yは壁に飛びついた。梯子も使わず。いやそうだよ、その梯子よりも普通に登った方が絶対にいい、Yにおいては。規則的な凹凸に手をかけ、苔むした壁を軽快に登っていくY。待てよ、こいつ、ぼくを気遣って一人で行ったんじゃないぞ。一刻も早く登りたかっただけじゃんか。そう気づいたらなんだかおかしくて、やっぱりYはYだななんて思いながら、その様子を眺めた。当のYは、なんでもないような感じでスイスイ登っていく。見ていると実に簡単にそうで、自分もできそうな気がしてくる。だが、知っている。あれはYだからできるんだ。木登りに一度だけ挑戦した時に思い知った。

ひょいひょいとのぼりきったYは、突然笑い出した。

「 Y ー ? 何 が 見 え る ? 」 
大声で声をかける。

「はは!ここかあ〜!」

「何 て 〜 ?」

上からひょっこり顔をのぞかせてYが言った。

「ここ、J池だ」

「!!」

 J池は、近所のちょっとした釣りスポットで、釣り好きなら一度は来たことがある池だ。学校では、危険な場所の一つとして、立ち入りはおろか、近づくことさえをかたく禁じられていた。一度、集会で釣りに行った同級生が、見せしめのように叱られていたっけ。今その真下に自分は立っている。そうだったんだ、J池。

 いつの間にかぴょん、と降りてきていたYは、笑顔で言った。

「帰ろっか」

 大冒険は、特にオチもなく、あっけなく終わった。ぼくはYに手伝ってもらいながらなんとか壁を登り、(やっぱり錆びた手すりはギザギザで、持つのは躊躇われた)頂上に辿り着いた。そして、J池の淀んだ水の中にうようよいる大きな魚を確認して、壁の頂上から下流の方にふり返り、元いた河川敷の公園からの道のりに想いを馳せた。遠くの方に、山と山の間から、キラッと、逆三角形の海が光る。もう陽が落ちかけて、夕方が近づいていた。壁の縁を歩いて、立ち入り禁止の柵を乗り越えて、道に出る。そして、自分たちの自転車まで歩いた。ぼくは疲れと妙な達成感から、何も話さず、黙って歩いた。Yの下手くそな鼻歌を聴きながら。

「なぜなぜみんなは歌うのか? 
 そんなに大きな口開けて
 なぜなら昔、その昔 
 力の限りに泣いたから
 ああああああああああああ 
 お日さま、お日さま、こんにちは。」

 この歌の正体が知りたくて何度か調べたけど、題名も出典も本当にわからない。でもこの歌を、Yは気に入ってよく歌っていた。なんでこの歌を気に入って歌うのか、なんとなく、わかるような、わからないような。Yについてわからないことはまだまだたくさんある。わからないまま、ぼくの前からいなくなってしまったY。

 小学校の頃から仲の良かったYとぼく、ぼくとS、SとK、KとYが繋がって、4人で遊ぶことが増えた。3人は美術部で、放課後の美術室で、絵を描いて過ごしていた。そこに時々ぼくが加わって、馬鹿みたにくだらない話をして過ごした。3人ともそれぞれ全く違う絵を描いていて、「いいな」と思っていた。
 休みの日には、日本庭園付きの広くて美しい公園集まって、話をしたり、Yが木に登るのを3人で話しながら眺めて待ったりした。

 中学を卒業すると、Yは全寮制の私立美術高校(この頃には、Yの絵は気味悪い絵から独創的な絵に進化していた)、ぼくら3人は自宅から通える進学校に進学し、ぼくはYと連絡はほとんど取らなくなった。今ほど携帯電話やSNSが発達していなかったこともあって、年に一回ほど、Sに誘われてファミレスに集まり、近況報告をする程度だった。その回数は、それぞれ大学進学のために故郷を離れると、ますます減っていった。

 Yと最後に会ったのは、ぼくたちが社会人になって数年後、Sの結婚式のとき。Sのウエディングドレス姿を、かわいい、綺麗、美しい、夢みたい、と何度も何度も本気で褒めた。こっちが恥ずかしくなるくらい何度も。こういう時のYは止まらない、みんなそのことを知っていたから、だれもYを止めなかった。Yは何度も褒めた。そして、とても喜んだ。自分のこと以上に。だから、その時のYが、どんな暮らしか、どんな思いでそこにいたか、誰も想像さえしなかった。

 それから半年後に、Yは死んだ。自死だった。

 病気を患いながら、理容師の資格をとるために勉強しているらしい、と、やっぱりSづてに聞いた矢先のことだった。その知らせを受けたのが、そう、今日みたいなぬるい空気の夜で。

 ぼくはジョリーパスタの入口で、少しの間、立ち尽くしていた。いく年か経っても、あの夜の喪失感は癒えないんだなとぼんやり思う。大好きな友だちがひとり死んで、何も感じないわけなかった。でも、不思議と涙は出ない。

 ぼくにとってのYは、キラキラした瞳で木に登る、小柄で身軽な中学生のままずっと止まってる。幼馴染のY、ぼくと同い年のはずなのに、大人になった姿も知っているはずなのに、短パンの汚れた膝が今も眩しいY。Yは、ぼくにとって、人間というよりも、妖精のような、ピーターパンとかの、いやもうちょっとあれだ、妖怪とか、モノノ怪とか、そう、まあそんな類の不思議な存在のようだ。そしてそれは本当になってしまった。

 ある日突然、ぼくらの世界を去ってしまったY、今はどこで何をしてるんだろう。
 川の煌めきをただ綺麗だなって眺めたぼくには、きっとわからない遠い世界に行っちゃったんだろう。

 なあ、Y。なんだよ。どこ行っちゃったんだよ。行くなら一言言ってけ。薄情なやつだな。

 言いたいことは沢山ある。けど、あの下手くそな鼻歌をもう一度聴かせてほしい。そして、その歌の題名だけでも、教えてくれないか。

 車に乗り込み、エンジンをかける。しばらくすると、エアコンの冷風がぼくの体の表面のじめじめを乾かした。
 ふっ、と現実に戻ったような感覚。

 Yを思い出させてくれた、夏の始まりの夜の風。ぼくはゆっくりとアクセルを踏みながら、一つ目の記事はYのことを書こう、そう考えていた。


2021/5/16

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