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体罰を駆逐する画期的な方法

今日は、体罰について書いて生きたいと思います。

はじめに私のポジションを申し上げますが、私は体罰には「断固反対」の立場です。

体罰とは何か?


まず体罰とは何かを分解して考えなくてはなりません。
体罰が起こる場面というのは大体以下の4つの理由があります。

1.生徒が指導者の言う事を聞かない
2.生徒にやる気がない
3.試合に負ける、失敗する
4.先生の虫の居所が悪い


3と4は論外なので今回は触れませんが、よく議論になるのは1の生徒が指導者の言う事を聞かない、舐めると言う場面です。

暴力によるコントロール

体罰とは暴力によって罰を与える仕組みで、言い換えると生徒をコントロールする手段として暴力を使用します。

暴力がなぜコントロールする手段たり得るかというと、人間には恐怖心があり殴られると痛いのでその恐怖から、暴力を振るう人間の言う事は聞いておこうとなります。

アメリカの言う事を他の国が渋々聞くのも軍事力という暴力を度々アメリカさんが使う事で、あぁ怖いから言うこと聞いておこうとなるのです。

こういうのを教育心理学では外発的動機付けなどと言いますが、元から内発的動機がある生徒は基本的に暴力を振るう必要がないのです。

暴力を使わずにコントロールする方法


私が主催する雪山インターナショナルキャンプではつまらなそうな生徒さんがいるとプログラムの魅力が足りないなぁと反省もするのですが、たまに最初からプログラムと向き合う事をしてくれない生徒さんもいます。

まずは席について貰えなければ楽しいかどうかも感じる事ができないので、そういう子にはある方法で促す必要があります。

では生徒にどうすればいいのか、ヒントは私の経験の中にありました。

中学生の時に出会ったバドミントン部の村岡先生という方の指導方法は特にユニークで、宇都宮のませた中学生をある方法でしっかりとまとめ上げていました。

テーブルにつかせる方法

その方法とは、やる気がなかったり言う事を聞かない生徒がいると「便所じゃありません、免除です。」という誰もが凍り付く親父ギャクを皮切りに発動される「免除」というシステムです。

例えばやる気のないプレーをしたり、ふざけた態度で練習をしていると「奥山くん、ちょっと来なさい。あなたは今から免除です。便所じゃありませんよ。」と独特の栃木訛りのイントネーションで言われ、その瞬間から練習に入れてもらえなくなります。そして村岡先生の許可がないと練習に参加できず、普段は1時間くらいの免除で済むのですが、あまりにも悪いことをすると1週間くらい練習に参加できないこともありました。

こっちはふざけていたものの本当は強くなりたくて練習に参加しているので、最初のうちは反抗し悪態もつきますが内心だんだん焦り出します。

本当は本人が一番わかっている


たまに免除を食らっている時に村岡先生がこっちに聞こえるか聞こえないかくらいの声で、「あいつはいい練習ができているからどんどん伸びるな」とライバルの選手をボソボソ褒めたりすると、私の焦りにもターボがかかってきます。

そのうち、村岡先生すみませんでしたちゃんと練習するので許してくださいと自分から言うようになり、「本当にちゃんと練習できますか?」と例の栃木訛りで聞かれると、「はい」としか言えなくなります。免除の効果はそんなに長くなくて3日くらいするとまたふざけ出すのですが、だんだんと免除になりたくないので村岡先生の前では真面目にやるようになります。

幸い今までインターナショナルキャンプ開催中にこの免除システムを適用したことはありませんが(それだけ参加される生徒さんが私と違って優秀なのです)、話を聞いてくれてないなぁ、雑談をいつまでもやめない子だなぁと思ったら、「どうした?体調悪い?部屋で休んでる?」などど優しく声をかけ焦らせたりすることもあります。

大体は「あ、まずい。。。」という顔をしてそこからは話を聞いていますが、私の真意は「真剣に話を聞いている他の生徒さんの邪魔だけはしてくれるなよ。」というメッセージなのです。

体罰の対処法

ちなみに高校時代、あまりの体罰に恐れをなして埼玉から実家の岡山まで逃げ帰った同級生の中尾くんというやつもいます。顧問不在の練習でふざけまくってたら先輩にチクられて、顧問の先生に電話で「明日の朝竹刀を持って校門で待ってろ、その竹刀でお前をボコボコにするからな!」と死刑宣告をされた彼は、「逃げる」という画期的な判断を下しました。

当時恐怖でコントロールされていた私は「逃げる」という選択肢をまるで持たなかったのですが、中尾くんは「俺は部活よりも命を選ぶ」という名言を残し、私がこれを聞いて心を癒せと貸したエンヤのMDを握りしめて早朝に寮を抜け出し東海道新幹線に飛び乗りました。その後顧問の先生から「言い過ぎた俺が悪かった戻って来い」と言われて部活に復帰することとなり、その後無事インターハイのチャンピオンになるのです。

恐怖のコントロールは長期的には不利益である

あまりにも怖かったら逃げていいんだ!と部員全員が気付いたと同時に、それから顧問の先生もちょっと優しくなりました。

実は恐怖でコントロールする方法は短期的には多少いい結果をもたらしますが、長期的に見るといいパフォーマンスを持続させるのは難しいのです。

というのも、勝たないと殴られるから頑張ってる選手は本当に心の底から勝ちたいと思って戦っている選手に比べてモチベーションの維持が難しくなります。

極限の状態の時に人は逃げたくなるものですが、恐怖と戦っている人間は内発的動機のパワーの前には遠く及ばず逃げてしまう事が多いのです。

よく現役時代は今日は敵が2人いると言っていましたが、対戦相手の他に自分の監督が敵に見えてきて、だんだん誰と戦っているのかわからなくなってきます。見た目は大声を出してハッスルしているように見えますがプレーは消極的で萎縮してしまい、内発的な動機でプレーしている人間は実にのびのびとプレーして行きます。

のびのびプレーする事ができなければ新しいアイディアが生まれずプレーの幅が狭くなって行きます。

体罰を科学する

学校やスポーツ界の体罰が何かと話題になりますが、体罰の本質は子供をテーブルの上に着かせる手段であり、今は暴力を使わなくても他の手段がたくさんあります。

そして教え方がつまらないのを棚にあげて暴力で解決しようとしても、根本的な解決にはならないのです。

指導者のゴールは内発的動機付けを引き起こし、物事に主体的に取り組む環境とチャンスを与える事なのです。



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