安楽死が合法の国で起こっていること
テレビをつけたらたまたまマリーケ・フェルフールトのドキュメントをやっていた。パラリンピックで何度も金メダルを取った人だそうだ。
痛みを伴う進行性の病気で、2019年に40歳で安楽死を選んだそうだ。
実際には、安楽死の許可は2008年に取っていた。
安楽死は本来、こういう風に「耐えがたい苦痛を伴う治らない病気で」本人とも何度も話し合って許可が出るという制度らしい。
番組自体はとても美しく描かれている。
ひとりの人の、苦悩と決断。周りの人の苦悩。
絶え間なく痛みがあることを彼女は語らず、だから周りにはわからなかった、ということ。
安楽死が合法になっている国(州)は22もあるそうだ。
意外と多くて驚いた。
安楽死と尊厳死と終末期医療がごっちゃにされ
さらに医療費軽減の問題や、臓器移植のドナーを待つ組織の存在も出て来てもう現実の話なのか と言いたくなるほどなのである。
医療費軽減の問題 とは、どの国も医療費が年々増えているので
高額な医療をどこまでその人に使うのかということである。
間もなく亡くなる重傷者、意識不明がずっと続くだろう人
自分で食事ができなくなった高齢者など、早く退場してくれと言わんばかりの対応になるわけだ。
そこに重度の障碍者が入れられてしまう。
家族の確認もろくに取らない内に医師の独断でいろいろ進み
裁判になっているケースも沢山あるという。
そして、医師はあまり罪に問われない場合が多いのだそうだ。
本来は本人の苦痛や、意志、家族の願い、転院についてなど
いろいろ話し合ってから決まるはずのことが
医師が主導して強引に決められるケースが増えているそうだ。
著者は「すべり現象」と言っているが
なし崩しよりもさらにひどい状況になりつつあるという。
結局のところ、貧しい人、知的障害が重度な人はだんだん
そういう決断を迫られるようになっていくという。
病気などになった時に、「もう少しやれるはずの治療」の中断を迫られたりするということだ。
安楽死についての法律ができていない日本でも、コロナの時などには
いろいろあったと思う。意思の疎通に家族を入れても良いと決まってからも、拒絶されることも多かったという。
老人施設への対応は、後回しばかりだったのではないか
障碍者施設はもっとひどかったのかもしれない。
そういう事が多い日本では導入されたらどういうことになるのか。
今でさえ、
精神科病院や障碍者施設、老人介護施設での「拘束」は多いし
外部に連絡させないなどの人権問題はたくさんあるし
調査もなかなかされないという話もある。
障害を持った人はいつも後回しにされる。
貧しい人は意見を言いづらい状況にされる。
要不要とか効率ばかり重視していれば「人間」も「人権」も見えない。
個々の状況を見ようとしなければならない。
今の日本でもそういう状況がくるかもしれない。
映画「プラン75」の世界のように、年を取って、建て替えなどを理由に住処を失ったときに借りられる物件はほとんどない現状。
「貧しさ」から、安楽死を希望させられる世の中になってしまうだろう。
死ぬ期限を自分で決められるならお金の管理が楽なのに と
私自身思う事はよくある。
それは自助努力の問題ではなく、政治の貧困がかなり大きく関係していると思う。心づもりよりも長く生きてしまう事が多いからだ。
だったら死なせてしまえ と政府が言い出すのに、あと10年もかからないのかもしれない とも思う。
でも、ついでのように貧しい人や障碍者に、など、最初に決めた範囲を
広げたりはしないでほしいと思う。すべり坂は作ってはならないと思う。
思うのだけれど。
eccoさんまnoteを読んで、私も読んでおこうと思いました。