行きて帰りし物語 ~すずめの戸締り
九州で暮らしているすずめは
東北の震災をきっかけに九州に来たのだということが、
後でわかってくる。
今、「震災で」と書いて、あちこちにあったじゃないか と
改めて思った。
新海監督は、「厄災が日常にべったり貼りついている世界」だ
と書いていたが、あちこちの震災に風水害、コロナにウクライナ。
確かに厄災にべったり貼りつかれているのが現代である。
新海監督の物語は、「君の名は」までは片思いの物語とも思っていた。
どこかすれ違い、巡り合えない。
「君の名は」でやっと巡り合え、「天気の子」でやっと初恋のような、
「会いに行ける関係」までを明示した。
初恋とは、どこか自分を乗り越える必要がある。
お互いの中で、何かを許し許されることが求められる。
世界がどうなっても生きていて欲しい、という願い。
「人は祈ることができるのだ」という長田弘の詩の一節を思い出す。
「行きて帰りし物語」というのは
「ホビット」から始まるファンタジー全般を
さすものでもある。
堂々たるファンタジーである。
九州から東北までの長い旅。
すずめは行って、冒険をして、帰ってくるのである。
せっかく帰りに「湘南パンケーキ」に寄って
チョコバナナパンケーキを食べたのに
画像を撮ることを思い出したのは、
またしても半分以上食べてからだったのだった。
ちょいネタバレ?
この物語には、「生きていたい」という祈りがある。
そういう祈りを、厄災の中で多くの人が持ったであろうし
「生きていて欲しい」とも祈っただろう。
「天は自ら助くる者を助く」という言葉があるが、
ハリーポッターのように、
助けをくれたのが親ではなく
自分だというのは、なかなかに切ないものである。
半藤一利さんが
「日本の一番長い日」の映画に
必ず原爆のシーンを入れるようにと言ったそうだけれど
そういう細部も良かった。
震災を描く覚悟 という言葉があったが、
覚悟 受け取らせていただきました。
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