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家康の誤算 「神君の仕組み」の想像と崩壊 感想文

今回は僕が大ファンの歴史学者の磯田道史さんが書いた、家康の誤算と言う本の感想文を書いて行きたいと思います😀、今回の感想構成は章ごとに書いていきたいとおもいます😄。よろしくお願いします!




第一章 家康はなぜ、幕藩体制を創ることができたのか

この章では家康が生きている頃からの流れからの、その後の江戸時代の幕府の支配体制の幕藩体制が成立する流れが解説されています😀。

徳川家を征夷大将軍の職を世襲させていくことにより、大名たちが忠義を尽くす限りは不始末も多めに見てあげて1万石ほどは保障する「永続と安心」を与える姿勢が武家に支持された一因というところには凄く共感したというか、なるほどなと思いました😁、自分の家で支配体制を継続していく国が良いか悪いかは別として徳川幕府とお隣の国のあの世襲制独裁国家を一緒にしては行けませんが、多分不満は溜まっているのに王朝が維持されているのは、あの王朝も徳川幕府を少しは参考にしてるんじゃね?と思いました😅大変失礼な話ではありますが。


第二章 江戸時代、誰が「神君の仕組み」を崩したのか

この章では家康が作っていった「平和の仕掛け」が時代の変化等により幕府を苦しめ、いかに徳川幕府が崩壊をしていったのかを解説しています😀、いわゆるこの本のタイトルの家康の「誤算」です。

いつの時代も平和や国が上手く回る為に作られてきたルールというものはやはり時代が経つにつれて合わなくってくるし、見直さなければなりませんよね。そのルールの見直しが仕組みを変えたことによって、良くなった事もあれば、悪くなることもありますよね現代でも。その見直しによって結果的に幕府の崩壊に繋がっていた事も書いてありました🧐改易制度の緩和は磯田さんが国内統治においていちばんやってはいけない事と書いていました💦城と大船の建造解禁による軍事バランスの崩壊では海防と称して新たに城を築かせたり、砲台や台場をきづいたり、家康以来禁止にしていた、大名が大船を作って海軍力を持つことを幕末で解禁したり、果てには幕府が自ら海軍操練所を作って後に幕府を倒す人たちにまで海軍の技術や勉強をさせています💦。この事は日本全体としては良かったけど、幕府の存続のためには良くなかったと磯田さんは言っています

僕がこの章でかなり驚いて、そうだよなあ😨それは馬鹿なことだなと思ったのは、幕府が日本独自のコインである寛永通宝を作ったときに幕府で鋳造を独占せずに許可が得られたらライセンス製造を認めてしまうという制度があった事です💦、後に天保通宝が作られた時には1枚で現代の価値で5000円くらいのものが作られた時は天保通宝を密造して、薩摩は贋金を沢山作ってその利益が軍事費に充てられたて事です💦。


第三章 幕末「神君の仕組み」はかくして崩壊した

この章では主に政権末期の幕末の事が書かれていました。

幕府が大名の身内の天皇の周囲にいる公家と接近する事を恐れて、参勤交代の時に西国の諸藩は京都に勝手に通れなかったこと、幕府の許可を得て入れても数日間しか滞在出来なかった事は初めて知りました💦。この章は長いため自分が印象に残った事を書いていきます。

インテリ層の中から徐々に尊王思想が定着してきて三条大橋の土下座の高山彦九郎の思想の自分が思えば天皇の家来なんだ!となり誰も政治参加が可能なんだて中々ぶっ飛んだ考えを本気で信じた人らが京都に集まり、過激な天誅に走ったりしたそうです。

土下座で待ち合わせな人

後は幕府が薩長よりも人材が豊富だったのも教科書には書かれていなでしょう💦最近の研究では薩長よりも早く幕府が近代化をしそうだったから、薩長側が焦って戦争をしたて感じみたいです。福澤諭吉のような人や緒方洪庵みたいな英語ができる物もいたり、西洋式軍隊を指揮するために育成された榎本武揚、大鳥圭介もいたし、積極外交姿勢で西洋を見てきた人も沢山いて渋沢栄一だっていましたし。消されたけど小栗忠順のような改革者もいましたから。

この様な人らは後に新政府に登用されたけど、目立つ功績は全て薩長のものだからあまり語られていません。


第四章 「神君の仕組みを」破壊した人々が創った近代日本とは

この章は徳川幕府が滅んだ後の明治新政府について触れています😀結構面白かったの磯田さんが岩倉や大久保の岩倉使節団をボロクソ言ってる事です😁


第五章 家康から考える「日本人というもの」

この本はこの章のためにあると言っていいと言う内容でした!家康の作った「仕組み」は無意識に我々現代日本人に染み付いているんだなて😅

面白かったの当時のエリート層たちが「徳川の世の中つまらないし、生まれつき役割を与えれれるのは嫌 自由に生きよう」みたいな人たちが趣味を通じてヨコの繋がりを作って、それがどんどん倒幕に繋がっていたて話が面白かったです😀。

武士の主君に対する忠義の考えが形を変えて、戦時中にそれが国のため!てなった時の話で中でも印象に残ったの、文書でも伝わる磯田さんの憤りです。あの優しい感じで歴史の事を面白くわかりやすく伝えてくれる磯田さんがこれほどにまで憤りを感じている💦、ある戦時中の小学校の校長の話です。

これは僕もあいた口が塞がらなかったし、非常に残念な気分になりました💦現在の価値観で当時の事を悪くいうのは良くないのは分かってはいるんですが😓。

どのような話なのかは、実際にこの本を読んでみてください。


まとめ

僕は、最近に徳川実紀の解説本を読んで家康のことが好きになりました😀家康に学ぶことも多いですし😁でも作りあげたシステムは日本について良い物もあれば、形を変えて考えを変えて今の悪いことに繋がっていたシステムもあります😨。

磯田さんが最後に述べられていた、徳川末期に既存の価値観にとらわれずに、文化芸術の力でサロンを作って集まり、遊びや趣味の場を使って人脈を広げて新しい体制を作ったと!。

今日本は衰退の一途ですが、長期的に物事を考えていくと皆さんが毎日noteで発信して、スキをしてコメントをして交流を深めっていってのが色々な点と線が繋がっていくのかもしれません😄。

皆さんの好きなものを発信してください!僕もスキやコメントしますから!😁それが将来のこの国の復活に繋がっていくかもしれません!。

読んでよかった本です!


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