見出し画像

ウォーキングという名の散歩

朝活と何度も画像をアップしている
自称ウォーキングオバサンのワタシ。
たまたま歩くのが早朝なだけで
基本的に散歩は好きな方かも知れない。

今は亡き母はとにかく歩く人だった。

母は亡くなる当日まで地に足を着いていた超人。
息を引き取る12時間前まで歩いてトイレに行っていた。
・・・。

その娘であるワタシも
しっかり血を受け継いでいると思う。

歩くことに抵抗がない時代の人=母→戦時中生まれ
母が成年になった時代。1960年代は
女性が運転免許を取得することが珍しく
おそらく運転しようと思うことすらなかった。
だから当然のように車は運転出来ない。

そんな母の移動手段はとにかく「歩き」。
5km歩くなんてお手のもので
孫であるワタシの息子達も幼い頃は
遠くのショッピングセンターに行くために
延々と歩かされたとよく言っている(笑)

癌で闘病していた時期も
早朝に野外に出て散歩に出掛けるものだから
当時同居していた長男は
目覚めたらババがいないから心臓が止まりそうだった(^▽^;)
とヒヤヒヤしたこと数えきれず。

癌患者ですけど??何か?
といった具合。

山歩きも好きで
山菜採りにも何度も駆り出された。
高尾山も70歳目前に軽装で悠々登り切る。
2年間の闘病も車いすは無用。

歩くことが生きることと言わんばかりの
生き様を見てきた母の娘であるワタシも
気づいたら朝のウォーキングも18年目になる。


ウォーキングが散歩化したのは。

朝のウォーキングが運動という観点ではなく
散歩という方向性に転換したのは
まだここ最近。

それまではスマホで音楽聞きながら歩く。
それがステータスにて
頭の中は曲の世界なので
視界には意識が向いていない。
耳もイヤホンに全集中。
あくまでも運動の一環。

それが散歩に転換したのは
音楽を聴くのをやめた時点から。

実は歩き出す時間が
思いの外、早朝(笑)
家を出るのが午前4時半なのだ。

だから季節によっては
星空のディスタンスwww
まだ野外は「夜」のエリアに包まれていることもあって
山間の街だけに
奇妙な音も耳が拾ってしまう(^▽^;)

・鹿の鳴き声。
・カサカサと何かがおるぞ?!音。
・イノシシの鳴き声。
・時々、猫の発情大会。

その音が一気に恐怖と身体が反応してしまうので
音楽を聴きながらというのは必須。
でもその必要がなくなったのは
夫婦で歩くというスタイルに変わったのもある。

主人が歩き始めたのは
ワタシよりずっと後。
キャリアとしては先輩のワタシ(^▽^)/
当初はまだ主人も若かったので
ワタシと歩くと調子が狂うと別々に歩いていた(笑)

客観的に見ると
「運動好きな不仲な夫婦。」

近所の人たちは口には出さなくも
不思議な光景だったはず。

それが年を重ねて
フットワークも一緒に重くなり
主人も運動主体のウォーキングから
散歩に転換したのだろう。
今では夫婦で歩くというスタイル。

しかも
お互い特に朝から話題も見つけず
無言なのは
また不仲って言われてしまう光景。

それぞれの散歩をそれぞれに楽しむスタイル。

散歩に転換したら見えるもの。

散歩に転換したここ最近。

五感が暇になったと同時に
「空」を見る習慣が身についた。

それがオバちゃん写真の始まりになる。

朝の景色は
長い間生きていた中で知らなかった世界。
若い頃は「寝る」ことが至福だったために
早起きなんてもってのほか。
時間が許せばガースカ寝ていたので
朝焼けすら知らなかった。

五感を持て余すより
五感を感じて歩く散歩は
思いの外エネルギーをいただく。


朝焼けの線路で。


知らなかった景色を
随分と見させてもらっている。

それはその瞬間にもう二度と見ることが出来ない
空と太陽と雲と月と星と風と・・・
自然のフルコースをいただける。

それを知ったからには
もう足は止まらない。

寒い冬はお休みする気持ちはあっても
勝手に身体が野外に出ようと急かす。
夫婦どちらかが風邪でも引かない限り
ストップがかからない朝活。

残念ながらこれからの季節は
空の目覚めは全く期待できない。
出発から帰宅まで
常に真っ暗のまま。

それでも朝の時間に見る星空に
背中を押されて
ワタシと主人は今日も歩く。

いいなと思ったら応援しよう!