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パートナー解消からの仮住まいでヤケクソな海外⇔日本暮らし

前のお話
浅はかな私の海外生活終盤/2年半付き合って婚姻届を出した日本人彼氏との結末

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最初に、少しだけリアルタイムの話。
2024年の夏、夫の休みを見計らってお盆期間に互いの親戚に会ったり、パート復帰したりと意外と忙しない日々を過ごしております。
夫側の御家族がひたすら優しくて、気持ち的にとても助かりました!
私としか血が繋がっていない上の子のことも可愛がってくれて、あちらのお家にお伺いした日は至れり尽くせり。
従兄弟ができてから我が子もずっと楽しそうだし、ご馳走もお土産も想像の50倍くらい頂いてしまった。お礼し倒したよ…。
環境的には今が人生で一番安定した時期なのでは?

最近は地震に台風と、なんだか災害や天候はとても目まぐるしいけど、今週末はようやくゆっくり。

ふいに落ち着いた時、また過去話書かないとなーと考えたところで昔好きだった物の数々がボンヤリと頭に浮かび、そこからなんとなく暗黒の学生時代(15年くらい前だけど)印象的だったWeb漫画を辿るネットの旅に出ていたのですが、「ピョウ」の覇亜さんのHP無くなっていた…。
何を隠そう自分、2000年代後半~2010年代前半のWeb漫画好きだったんだよね。
「胎界主」は健在どころか今も第三部バリバリ連載中で嬉しかった!!
ボリューム凄いけど第二部の終わりまでは読んだ記憶があるので、そこから最新話まで一気読み。
時刀純さんの「Hypnotize No.6」も残ってて、懐かしいなーーと思いながら読んでいた。
いや、どれも傑作だよ……。


関係無い前置きと近況が長くなったけど、とにかく元気です。
それでは、2016年頃からの過去話の執筆を再開しようと思います。


学生時代が終わった後に付き合いだした彼氏との2年半の生活の終わりまで書きました。

前章は過去一長く、なんと全文43,500文字オーバーでやっと編集画面を閉じる事となりました。
ちと書き過ぎた…!

でも、自分の海外での暮らしの最後の方のエピソードを一気に書き切れて良かったです。

あらすじ代わりに、前回有料部分のお話を引用でちょい見せ。

頑張って荷物を全て自分の車で運び、業者を介さずに引っ越した。
母と外国人父にたっぷりハグして貰い、9年ほど住んだ実家を出た。
(中略)
給料以外にもチップ文化のお陰で、実家を出て生活できるだけでなく、貯金も簡単に貯められた。
社会的には弱者のいち庶民だが、口座には常にお金がある生活が始まり、自立したての私はそれだけで嬉しくてにんまりしていた。
職場内で仕事ができる優しい女性を目指し、親切に丁寧に、ひたすら頑張った。
当時はなかなかいい仕事っぷりだったと思うし、ありがたい事に私が貰えるチップは日々増えていった。

彼の事を改めて客観的に見てみた。
他者を差別しないとても良い奴だが、常識はなく、相手の気持ちを推し量る事があまりにも出来ないと感じた。
優等生から小悪党まで等しく友達になれるが、同棲中も真夜中にドアを叩いて金を借りにくるような不法滞在者のあらくれ外国人と仲良くなった時は、流石に恐怖を感じた。
仕事でやってんのか?ってくらい、彼はヤバい奴とつるむ事に抵抗が無い。
ケースワーカーでもカウンセラーでもボランティアでもないが、ノリが良く基本何でも許しがちな気のいいアジア人は、変な奴からよく好かれた。
(中略)
誰とでも仲良くできるのは素晴らしい事だと思うが、彼ほど相手を見極めずに交友関係を広げる人も珍しいと思う。
軽犯罪を犯している友達も多かったかもしれない。

彼自身は、良くも悪くもフワフワしている。
私はこれまでに、「ちょっとだけ交友関係や言動に気を付けて、後々リスクを生みそうな行動は控えてね」と彼に何度もお願いをしてきた。
(激しい喧嘩中だけは友達切れクソ野郎!とハッキリ言ったような気もするが、基本は穏やかに、相手を尊重して…。)
しかし、結局どんな状況で話しても彼が変わってくれる事は無かった。
肝心な所ではのらりくらりとしてばかりで信用ができず、将来的に家族を危ない目に遭わせそうな危険性を孕んでいる。
そんな彼と、日本でなく海外で過ごしていかなきゃいけない……そう考えれば考えるほど不安が増す。

私が本心では日本にずっと帰りたいと思っていたこと、一緒に過ごしていて彼も何となくは解っていた筈だ。
それでも、私が日本で夫婦になろうと言ったとして、恐らく彼は前向きになれず海外に滞在する為の協力を私にお願いし続けていたと思う。
私は彼の要望に合わせられたけど、彼は私に合わせられないというのが答えな気がする。

ちゃんと別れが決まってから、家族と職場オーナー夫妻にだけこっそり状況を打ち明けた。
家族はあっさり了承して、これから助けが必要なら連絡してねと優しく言ってくれた。
若い頃に反発したり色々と失敗したりした時はよく怒られていたと思うのだが、私の初めての結婚が秒で終わってしまった事が悲惨だったのか、皆叱らずに優しく接してくれた。
職場のオーナー夫婦にはかなり話しづらかったが、顔を合わせて事の経緯を説明した。

しかし、それから一旦家に帰ると、別れ話を境にすっかり態度を変えてきた彼が、「のあって意外と図太いんだね。もう別れるんだから、早く家から出て行きなよ。」と言ってきて、私は今まで聞いた事もないような彼の口調にめまいを感じた。
この人、そんな事が言えたのか。
…そういえば、どんなに優しい男でも別れ際にこそソイツの本性が出るって、今までの彼氏で何度も学んだ筈だった。
ていうかそもそもここは私が契約した部屋なんだけど、という突っ込みもあったが、もはや強く言い返す気になれなかった。
「仮住まいだけもう見つけたから、シフトない日に荷物まとめて出て行くつもりだったよ」と、震える声でかろうじて返し、私は翌朝のシフトまで自室に籠った。
自分で選んだ道とはいえ、なかなか地獄である。
同じ職場もあと数回だけ通わないといけない。


こんな感じ。
奇跡的にどうにか籍を汚さずにパートナーと別れる事には成功したものの、そこからは茨の道だった。
選択して良かったとはずっと思っているけれど。

これから順番にたっぷり書いていくけど、その先は生活の為に奔走したり、引っ越した後もイライラから男遊びをしたりと、暗い時期が少しだけ続きます。
(日本に住む事を決意したりと、ワクワクするような変化もあったけど)
一応、ご了承下さい。

昔の記憶の振り返りnote、再開です。



ちょっと落ち着いてからの生活


そんなこんなで2年半一緒にいた彼氏と別れた。
まあ仕方が無かった。
無理になってしまった。

当時の私の行動について(破局や日本と海外を行き来する生活になったことを)ものすごく深く突っ込んでくる人は、意外と居なかった。
まあ私がSNSや公の場でお気持ち表明なんかせずに、本当に親しい子に個別にしか近況報告をしていない所為だったんだけど。
知らない人は本当に知らずに、私がずっと海外でお気楽に過ごし続けていると思っていただろう。

この時に学んだのだが、周りの人らは意外と誰と誰が別れたかとかはどうでもいいのだ。
(私自身そうだし…。)

まあ、本当に気にかけてくれる人、あるいはゴシップ好きなクズは多少は気になるかもしれないが、結局他人事ではあるので、意外と皆そこまではといったところだ。
他人の恋愛に干渉しまくる奴なんて全然居ない。
こちらが言いづらかったり、打ち明けるのに勇気が要るような事は、実は他者にとっては全然大した事ないトピックだったりする。

恋愛や人生設計で手痛い失敗をしてしまった人は、本人ら同士の問題で落ち込む事はあっても、関係無い周りからの評価に関してはあまり気にしないようにして欲しい。
犯罪とか泥沼不倫とか、人に迷惑かけまくるようなマジの失敗じゃない限りは他者もすぐに忘れるし、どうでもいいと思っているだろう。
大体は周りには言っても言わなくてもいい話だ。


破局後、外国人父の小綺麗なアパートメントに身を寄せつつ、色々と立て直した。

海外の方の父がたまたま近くに単身赴任していなければここまでスムーズに切り替えられなかったので、今でも当時の父には感謝している。
途中で母も日本から数日間だけ遊びに来たりして、可能な範囲で家族時間を設ける事もできた。
(彼らの遠距離生活も板に付いてきた頃だった…)
お陰で立ち直るのはかなり早かったと思う。


とはいえ父も基本は仕事で忙しくバタバタだったし、私はちょくちょく友達と会いつつも、流石に海外生活そのものに嫌気がさしてきたという事もあって、ふと病みそうになる瞬間がゆるやかに増えていった。

いてもたってもいられなくなった時、ひとまず貯金から日本へのフライトチケットを買ってしまった。

しかしこの時は完全帰国ではなく、2週間ほどの短期間の一時帰国。
結論、かなりリフレッシュできたし、海外での先の見えない生活のプレッシャーを忘れられて、この一時帰国は私の中でかけがえのない時間となった。

男共からもかなり言い寄られてキープが増えたけど、どちらかと言うと同性の日本在住の友達の輪がさらに広がったのが良かった!
友達の友達から仲良くなるパターンも多かったけど、他県でなんとなく入ったアパレル店の可愛い女性店員さんでさえその場で仲良くなって連絡先交換するというフットワークの軽さ。
若さっていいな……(?)
ちなみにその子とは30代の今でも仲が良いという。

ギャル系の友達からは帰国記念に可愛い浴衣セットもプレゼントして貰って、それを着て皆で花火大会へ行った。
日本の夏って最高だなーと思ったのを覚えている。

やはり私は、何年海外に住もうが日本の方が好きだった。

周りの女子達の恋愛事情を聞くのも勉強になった。
身近でリアルな実体験を聞く方が、ちゃんと話が入ってきて学びを得やすいような気がする。
年上のバツイチ建築系のヤンキー社長の女となってイキった生活をしていた子もいれば、初めての彼氏と中学から社会人まで7年間ずっと付き合い続けた子もいるし、恋愛事情は本当に人それぞれだ。

但し後者の子は、長年付き合っていた彼氏にすっぴんだったガキ時代の顔もアイプチ覚えてから華やかになった顔も全部知られて、二人で色んな思い出を積み重ねていったにも関わらず、結局その後男の心替わりで唐突に振られてしまって、可哀想だった…。
しかし時間を置いてなんとか次の彼氏ができるも、菅田将暉似のイケメン同僚とセフレになって激しく浮気を重ねたりしていて、女の人生って感じがした。
一度男に振り回された子は(自分も含め)こうなるケースが多い。
ずっとではないけど、振り回す側になったり、男を弄ぶ側になるというか。

いつかは全ての熱も冷め、平常に戻ると信じたい。



一時帰国中の忘れたい縁


そんな感じで、短い期間に日本で作った女友達は、基本ノリよく同性にも優しい子達を選んでいた。
しかし浅い繋がりからスタートした縁が多かったので、良い子ばかりという訳ではなかった。
中には変わった子、キツい子、人との関わり方が下手糞だったり独特すぎる子もいた。
まあ、そういうのとは同性でも長くは一緒に居たくない。

(今にして思えば)話を盛りまくったり人間関係でトラブルの多かった肥満体型のギャルがいたのだが、女だけで楽しんでいたお祭りの日に逆ナンしようよ!と言い出して、逆ナンまではする必要性を感じなかった私や周りの子達のノリの悪さに火がついてしまったのか、終いには"男の子が最低一人は居てくれないと今夜は終われない!"とか言い出して躍起になっていた。
しかし彼女一人の力では野生のメンズは掴まえられず、最終的には彼女が大好きだった倖田來未のファンのネットワークで繋がったと言う謎の塩顔男を召喚されて、私以外の子は上手く理由を付けて帰ってしまった。
(私も帰りたかった笑)

最後に3人でカラオケだけ行って解散したんだけど、まあまあな謎時間だった。
関係性も浅そうなその男子は、暇だから呼ばれて来たといった感じだったし、特に盛り上がりもせず、結局あらかた歌った後は始発まで雑魚寝して過ごすという…
おまけに後日、デブギャルから「この前会った××君とはもう関わらない方がいいよ、あいつ人殺しだから。」と唐突に爆弾発言をされ、自分で呼んでおいて何不穏な事言ってんだコイツ!?!?とビビりまくったという。
嘘か本当か(嘘だったとしても男側の虚言か女側の虚言かは)不明だが、海外で傭兵みたいな事をした経験がある人だったらしい。
自衛官ならまだわかるが、かなり眉唾だ。
しかし祭りの夜以降の彼との関わりは特に無かったため、私としては真相は正直どうでもいい。
何にせよ、言い方ってモンがあるだろうと思った。
私はデブギャルの態度の方が気に食わなかったので、そのまま普通に彼女と距離を置いた…。


その他にも、関係を切った同性の友達の中でもよく覚えているのは、当時35歳だった年上メンヘラ女子だ。

喋り方は明るく普通だが、今にして思えば顔だけちょっと固くて、常に病気っぽい表情。
本人は若見えをすごく自慢してくるのだが(誰かに面と向かって私若くてカワイイなんて言う一般人にロクなのおらんわな笑)実際は単に中身が幼くて、化粧けが一切ないだけというタイプの人だった。
ルックスも上っ面から見える内面も特にキレイという訳ではないし、なんなら癖が強い。
初めて出会ったのはこの時期だが、なんと、学生時代の章で書いた日本での長い夏休み中に働いた思い出のバイト先が切っ掛けで知り合った。
(あれから数年経っていたし再度働くという事はもう無かったものの、この頃くらいまでは私も一時帰国をする度にお客さんとして通っていた)

私はお店の客、彼女はアルバイトスタッフ。
ちなみにこちらのお店、長く働いている人達とは海外に戻った後もLINEやSNS上で何年か交流が続いていた為、日本へ帰る度に軽く飲み会に誘われたりしていて、その場について来た彼女とも長く話す機会を得たという流れだった。
出会い自体はまあまあ自然。
彼女はわりとお喋りな方で、20代とつるむのに一切抵抗が無いお姉さんなのかなーと思い、むこうがグイグイ来る分私も最初からそれに応じて、仲良く接するようにした。

食事会の翌日、早くもサシのご飯とカラオケに誘われて、特に何も考えずに了承したのだが、それに参加したいと仲のいい男性スタッフが手を挙げた。
私はどちらかと言うとこの男性の方が付き合いの歴が長かったので居てくれたら安心するし、全然構わなかったので、企画者の彼女がOKならいいですよー程度に返した。

すると、本人OKどころか、まさかの激しくNO。
まだ絡み始めて全く時間が経っていないにも関わらず、かなり強めに、「のあちゃんと二人きりで遊びたいじゃん!?男邪魔じゃん!?」と、まあ気持ちは解るんだけどよくハッキリ言えるな~…という感じのお答え。

そして、そこで終わるならまだしも、彼女は謎にヒートアップ。
「ていうかあの人、実はさあ!!」と男性の悪口を暴露しまくる。
特定避けで詳しくは書けないのだが、その内容が無駄に的を得ている部分もあった為、当時バカだった私は裏取りもせずにちょっと納得させられてしまって、結局男性の参戦は直前でお断りをする事に……。
しかも彼女が「断り方は私に任せて!!」とか言い出して、ちょっと酷い対応になってしまったかもしれない。
(この時だけとはいえ、何故この女の言いなりになってしまったのか、今でも自分が解らない…)
男性からは、待ってたしもっと早く断ってよー的な事を言われて、胸が痛んだ。
その節は申し訳無い事をしました。

しかも、その所為で肝心の食事とカラオケは結構つまんなかった笑
彼女は心が弱い女性で、傷の舐め合いをする相手が欲しいんだな~という感想。
親からは好きに生きろと甘やかされ、同世代からは相手にされず、男関係も上手くいかず、かろうじて働けたバイト先の縁で繋がった年下女子(私)を親友と思い込みたいんだなあと。

いい歳して友達が居ないって、運が悪いのも多少あると思うけど、やっぱ9割は本人の性格の問題か?
古臭いキラキラスタンプを貼りまくった真剣なキメ顔自撮りを私にまで送ってくるって、どういうセンスと精神構造してるんだ…。
まあ、一方的に語ってくる内容を聞く限り、一時期ガチの精神病ではあったらしく、自傷行為だけは何とか辞められた状態だったらしい。

彼女は実家住み35歳なのだが、「おにいちゃん」と呼んで家によく招く男性がいたそうだ。
以前は彼氏だったけど別れてしまったようで、その後もズルズルと命ネタや身体を使って関係を繋いでいたらしい。
男もこのメンヘラを切らないのスゲーな…と思う。
「最近はおにいちゃんと生でしかセックスしてない。赤ちゃんできたらまた付き合って今度こそ結婚できるから。私を実家から連れ出してくれるから。」とカラオケの日に一方的に語られて、マジで顔が引き攣ったのを覚えている。
どこから突っ込んだらいいか解らない、恐ろしい思想である。
やはりグイグイ来すぎて距離バグな女は最初から要注意だね。

彼女は感傷的で幼稚で、人にぶら下がってしか幸せを得られない典型的なバカメンヘラ女で、私が海外に帰ってからも毎日延々とLINEで視野の狭い話をしてきた。
そりゃ多少くらいは世話になったとは思うが、途中から生理的に無理というか、かなり対応が面倒になってくる。
付き合いが非常に短いわりに執着されて、自分でもわりと丁寧によく相手してあげた方だとは思うが、次第に疲れてしまい、やがて通知が来る度にうんざりするようになった。

ある日、一瞬だけ塩対応をした。
すると、その僅かな温度差から、彼女は激病み。

「わたしがあなたに何をしましたか?よくそんな仕打ちをわたしにできますね。」といったメッセージが届き、流石にちょっと怖くなって、とうとうブロックに至る。
(他者のストレスに疎いくせに自分は痛がりですぐ傷付くんだな……)
そこからかなり年月が経ったが、運よく粘着はされず、その後も関係は切れたままだ。
よかった。

ちなみにその数ヵ月後、お店の先輩が教えてくれたのだが、彼女は唐突に20歳なりたての若い大学生バイトの男の子に好意を寄せて、無事トラブルに発展し、お店はすぐ辞めていったとの事……。

周りにざっくり話を聞くと、「彼の方からデートに誘われて行ったら、よくわかんないけどホテルにいて、自分でもわからないけど襲われたかもしれない!!」と、自分達の事なのに"わからない"だらけの曖昧な話を周りに広めまくって、被害者として大暴走したらしい。
真相は不明だし本当に酷い目にあったのなら可哀想だけど、男性側はマジで平凡な好青年で、まずデートドラッグを使用するようなヤバい男でもないし、彼女の記憶が曖昧な理由としては本人にとって都合が悪い部分を隠しているだけなのかな……というのが周りの見解だ。
そもそも男の子はデートや性交渉はしていませんと断言していたらしいので、被愛妄想と被害妄想が爆発した結果の虚言だったのだろうか?
果たして彼女はそれからどうなったのだろう…。

今、これを書くにあたって軽く調べてみたら、なんと彼女の現行SNSアカウントが見つかった。
どうやら2024年現在も元気に生きているようだが、ネタでなくガチっぽく「32歳です」と何度か公言しているのが気になった。
一体何歳サバ読んでるんだ……?
35+8が正解だろう…?
32歳って今現在の私の歳じゃないか…と少し怖くなったところで、彼女のエピソードを締めよう。


メンヘラ女の話だけなのもアレなので、男の話も。
一時帰国中、純粋に仲良くしてくれる男友達もいたが、あからさまにアピってくる男達も多かった。


一人一人は流石に覚えていないが、色んな男性と知り合った。
後々なら関係を持った相手もいるが、この時点では私の拠点が日本じゃなかったのもあり、大体は断るか、好意に気づかないフリをするか、今後に向けてキープするかだった。

そして、(この時は)ワンナイト系は断り続けた。
元パートナーと色々あった後なので、セックスを楽しむ気どころか、セフレや彼氏を作る気が起きなかった時だったのである。
セフレに関しては、この段階では人生で一度も作った事すら無かった。
数ヶ月後ハチャメチャな生活送るんですけどね…

単なる友達にしても何にしても、男性と会い続けること自体は辞めなかった。
ひねくれて心の中で男性の事は下に見てしまっていたが、いいヤツだって多いし、こじらせて同性としかつるまないような人間にはなれなかったのだ。

そういえば、大体の男性は掌握してわりと簡単に距離を詰められるものの、一人だけ私にハマらず友達としても興味を持って貰えなかった男がいて、この一時帰国時にうっかり再会してしまったのだが、「誰だっけ?」といじわるな冗談を吹っ掛けてやれてスッキリした。笑
何もしなくても男が寄ってきて、全く男に困らない時期というのは、無意識に天狗になりがちかもしれない。

国内弾丸旅行もまた実行できて、全然違うエリアの友達にも再会できた!
地方で車を出してくれた男もいて結構助かった。
まあ、そのうちの一人はなんと数年後こじらせてしまって、私がSNS辞める去年までずーーーっとネトストしてきたんだけどね…。
一体何年間粘着されたのか覚えていないが、男女問わずこじらせるような奴は頼むから視野を広げてくれと言いたい。


それと、この帰国中はネット友達とは全然会わず、既にあった友達の輪をじわじわ広げていった感じだったのだが、たった一人だけネットの縁で連絡先を持ってた奴から懇願されて少し会って来た。
その実態は、全然雰囲気すら良くない吊り目チビのイキリビジネスマンで、似合ってないけど好きなバスケ選手と同じファッションをしていて、ガムのくちゃくちゃ音とミントの匂いがキツく、更にお話が本当に面白くなかったので、お茶した後ブロックしたっけ…

何の発展も望まない相手でも、せめて友達や話し相手として波長が合うならいいんだけど、全員が全員自分と合う訳ではない。
話がダルい、あまりに無作法、自分から誘ってきた癖にクソおもんない、とかは揉めなくても先手でスパスパ切っていたと思う。
時間の無駄だし、身は一つなので、要らぬ交友先を増やし過ぎても大変だし。

このイキりリーマンもそうだったけど、ちょくちょく海外生活好き勢の日本人からも目を付けられていた。
純粋に興味を持たれたり、もしくは語学の練習や情報共有して欲しさに擦り寄られたが、まぁおもんないやり取りばかり。
多少協力してあげる相手も居なくもなかったが、どいつもこいつも性格合わないし、こちらはまるで興味無い外資系の仕事とTOEICの点数の話で勝手に盛り上がるし、中にはネットワークビジネスやスピリチュアル好きも紛れてるし。
あと、日本人同士なのに無駄に外国語縛りで話そうと強制されたりしてダルかった。笑
私日本の方が好きなんで、よそでやってくれ!

……とまあ、今回の一時帰国では、広がる縁もあれば切る縁もそれなりに多かったような気がする。
気分転換で日本に降り立ったので、ストレスは極力省きたかったのだと思う。



再び海外へ戻るが、またトンボ帰り


日本での楽しい日々はあっと言う間だった。
海外の父が空港まで迎えに来てくれて、長いフライトの後は車でのんびりと帰宅できた。
この頃にもなると、すっかり空港や国際便にも慣れきっていて、国の行き来も全然苦ではない。

海外に戻って早々、私は既に日本に帰る事を考えていた。
結局、日本が良いのだ。

海外在住の友達も多少残っていたが、心から正直に色々と打ち明けられる親友は全員日本に帰ってしまっていたし、好きな人や好きな物といった心の支えは、全て日本にある気がした。
とはいえ海外の面々にも助けられていたし、いざ離れるとなると寂しくなるんだろうなあとは考えていたけれど。

戻ってからの時間の流れはゆるやかだった。
予定が途切れると、羽振りのいい日系人の男友達の高級車によく乗せて貰い、夜のドライブを楽しんだ。
ちょっと好かれてはいたけど、今まで一度も男女の関係にはならず、一緒に遊ぶと落ち着く奴だった。
そいつは海外の道路にも関わらず、三代目J SOUL BROTHERSの名曲「R.Y.U.S.E.I.」を爆音で流しながら運転するので、最初こそ周りの目が気になってめちゃくちゃ恥ずかしかったが、途中からクールだなーとまでに思うようになった。笑
日本よりもスピードの早い海外の道なので、そんなにジロジロ見られるほど目立たないしね。
今ではR.Y.U.S.E.I.をどこかで聴く度に、まだ暑さの残る夜の海外の風景を思い出す次第。


友達と会ったり家族と過ごしたりして色々と考え、今後は日本へ完全に帰国する寄りの方向になったのだが、とりあえずそれでも最後にもう一度だけ様子見がしたくて、再び私は一時帰国のフライトチケットを購入した。


…職も手放したのに、月1ペースで日本に帰ってどうする。

貯金があるから買えたものの、今後の引っ越しや新生活を考えたら貯蓄を崩すべきではなかった。
私はアホである。

国際便の航空券は、かなり高い買い物だ。
それでも抑えきれなくて再度一時帰国をしてしまうという…。
また帰るよと報告したら親も変な顔をしていたが、これから住みたい土地のリサーチという名目を携えたところ、確かにねーと納得(?)してくれた。
先月の一時帰国のうちに済ませろよって話だけど。


そして日本に再び降り立った際、私は吹っ切れた。
そろそろ自分の力で次の居場所を見つける。
金を再び稼いで生活を安定させる、と自身に誓った。

恐らく最後になるであろう今回の一時帰国で、情報、経験、お金といった何かしらの大きな成果を持って帰りたい。
そして次を完全帰国として、日本で本格的に暮らしたい。


正直、日本で一人暮らしをする事に関してずっと憧れつつも、若干怖いと感じる部分もあった。
中学の終わり頃から家庭の事情で海外移住し、大人になってからようやくたまに一人で日本を歩くようになったが、‪世間知らずで未だ知らない事も多い。
この時やっと25歳になったのだが、日本でずっと過ごしている社会人の25歳と比べたら赤ちゃんみたいなものだと自己分析していた。
今後日本で暮らす事を考え始めたなら、生活に関してある程度学ばないといけない事もあるし、まとまったお金が手元になければ心許ない。

怖かったが、決意が必要だった。

私は短期でお金を稼ぐ為に夜職デビューまで考えていた。
早く海外から離れて引っ越しをしたかったのだ。
お金も減ってきたため、日本への出稼ぎ感覚で一時帰国中にドカっと稼いで、ずっと仮住まいでトロトロせずに素早く環境を変えたかった。

特に借金があった訳でもないし、絶望的に切羽詰まった訳ではないのに夜デビューまで考えてちょっとバカみたいだけど、逆にまだその位置に居て、好奇心も旺盛だったからこそサクッと夜職に入ろうと思い立ったのかもしれない。
しかし酒はそんなに強くなかったので身を守れないかもと考え、キャバとガルバとお酒が飛び交うコンカフェは入店を断念した。
そうなると、手っ取り早いのが風俗系だが…。

いくらプライベートでは昔からエロい事が好きな私でも、果たして仕事としては務まるのだろうか?
周りからちょくちょく話を聞く事はあったが、実際に働くとなると、何もかもが未知数だった。

初めて本格的にネットで風俗の情報収集をした。
店サイト、レポート、嬢達の生々しい体験談を沢山見てからは、正直ちょっとビビり始めた。


しかし、かなり怖気付きながらも震える手で風俗情報サイトに登録。

思い切って自分から面接の応募までした。

なんだか思った以上に店からのレスポンスが早く、丁寧だったのを覚えている。

面接日程はその翌日となり、応募してデビューが決定するまで本当に驚く程あっという間だった。

……呆気無さすぎるとも言える。


風俗経験者の女友達もいたが、何でも打ち明けられるまでは仲良くなかったのでバレたくなくて、結局自分一人で情報を集めて一人で面接を決めたわけで、それはもう半端なく緊張した。
一緒に入店とまではいかなくても、せめて相談出来る相手が居ればここまでは緊張しなかったかも。
まあ周りに広めたくないし結局良かったんだけど。

今にして思えば笑っちまうが、闇金ウシジマくん原作が大好きだったので、風俗入店後の最悪のケースもいくつか想定して心配にもなった。

いくら「きっと私ならやれるっしょ」と考えたところで、実際に入店までのカウントダウンが始まると心臓がバクバクいって、不安な考えで頭がいっぱいになった。

しかし自分から賽を振ってしまったのだ。
入店予定日も刻一刻と近くなっていく。
人生は一度きり、社会勉強にもなると思って一度やってみるしかない。


ちなみに、人生初めて入った風俗店だが、方向音痴な自分は接客毎の移動のストレスなく、さらに本番なしのサービス店を望んでいたため、"箱ヘル"こと店舗型ヘルスを選んだ。

以前男友達が回春エステの良さを語っていたのを思い出し、メンエス系へ行こうとも少し考えたのだが、当時はそこまで流行っているように見えなかったのと他者へのマッサージめっちゃ疲れそうという超単純な理由から、結局ヘルスに流れた。


まあ、当然ながら濃ゆい話になるので、初勤務の風俗店に関するエピソードだけ切り取って、後日単話でnoteにしたいと思う。



それからの日々


短いスパンで母が一人暮らしするマンションに何度も居候するのも悪かったので(仲良くなったが基本ドライな母に拒否られるのもしんどいし)、今回の滞在期間中は友達のアパートにお邪魔する事にした。
ただし、男友達という…。
交通の便や家主都合から、そうなってしまった。
急遽帰国を決めたので選んでられなかったという事もある。

なんか、後にも先にも、付き合っていない男宅にずっと寝泊まりする生活はこの時だけだったかも…?
のちのガッツリ男遊びしていた時期は、自分のアパートを借りた後だったしなあ。

これから詳しく書いていくが、滞在期間の途中で家主の男友達に本気で好きと伝えられて非常に気まずい思いをする事になったり、そいつの友達にも頼る羽目になったがそっちは性欲丸出しで色々と不快な思いをする事となってしまった。
やはり家族か女友達宅の方が楽でした……
今となっては私もちょっと悪いとは思ってるけど。

風俗店勤務に関しては分けて執筆するので、一時帰国中のそれ以外のエピソードをつらつらと書いていこう。


今回はお金を稼ぐ事を優先しつつ、ストレスとわりと上手に向き合い、瞬間瞬間で病む事はあっても、意外と平和に暮らしてはいた。

海外で絶望して泥沼破局してからずっと感情が一部死んでいたのかもしれないが、そのお陰でハードな体験も思ったよりかはしんどくなかった。


しかしビビりだったので、色々と心配はあり、当然ながら家族にも友達にも(こっそり再開したSNSにも)誰にも風俗デビューの事は絶対に言わなかったのだが、周りへの言い訳は必要になってくる。
バイトに関して訊かれた時は、「メイドカフェだよ!」とか何とか言って誤魔化していたのだが、意外と疑われなかった。
25歳になってしまったが、相変わらずビジュには自信があって、顔を褒められる上に全体的にも18歳~ハタチくらいにしか見られず、カワイイ系のお仕事を伝えてもあまり違和感が無かったのかもしれない。
(自分は家系的に老けにくいというのもあるが、海外暮らしが10年以上あってわりと好き勝手に生きていたので年齢不詳になった説を推している)

しかし、アパートに居候させてくれていた男友達が途中からガチ恋になってからは、「仕事休みの日にのあちゃんのメイド喫茶行きたい!!」と言って聞かず、その時だけ対応が大変だった。
その男友達は私の3個上で、意外と顔もよく、爽やかなスポーツ好きのイケメンだったけど、中身がどうもちょっとズレていて、ヤニカスで歯も黒く、卑屈な仕草とものすごい猫背が特徴。
自由に使えるお金も女性経験も少なく、女の扱い方をまるで解っていない事から、付き合いたいとまでは全然思えない人だった。
だからこそ、これまでは普通に友情が続いていたんだけど…

そいつが、会社都合(?)で埼玉奥地のお祭りの屋台の手伝いをやらされる事になった時、普段と違う業務で大変だろうし励ましたろと思って、サプライズで差し入れ持って2時間半かけて会いに行ったのだが、それから明らかに好意を寄せられるようになった気がする。
実際のところ気まぐれの一人旅だったので、そいつが大好きだから行った訳ではなかったのだが、ちょっとやりすぎたかもしれないと感じている。
でも、海外の父へのお土産にいい七味が手に入ったという記憶があるので、フラッと遠出するのは楽しかったんだよなあ…
道中食べた押し寿司もとても美味しかったよ ඉ́ ̫ ඉ̀

それからまだ滞在日数もあるのに明確に好きと伝えられ、ずっと気まずかった。

実は相手が夜勤シフト多めで生活リズムがそんなに合わないという事から過ごしやすいかもと思い、彼のアパートを拠点にさせて貰ったのだが…。
ごくたまに寝る時間が被ると、まあ気まずい!
片方ロフトの上、片方床と寝床は別れるものの、こっちの布団来る?と恥ずかしそうに訊かれた日は、ごめん行かないよと答えるのがちょっとだけ申し訳無かった。

あまりに居づらくて、そいつの同僚でもあり友達の別の男と交流があったため、軽く相談して、そっちの方のアパートに一晩だけ泊めて貰う日もあった。

しかしそっちの男は初めから下心があったようで、その日ガッツリ夜勤へ行くと言っていたので安心して眠らせて貰っていたところ、明け方にすぐ帰って来て私の布団に入って来ようとしたので、大変不快だった。
おまけに私に断られて吹っ切れた後は、紳士面から本来のゲスな感じを出してきて、のあちゃんにはオレの白い精子をプレゼントしたかったのにな~!とキッショい事を言っておちゃらけていた。
襲われる前に覚醒してちゃんと断れて良かった…。
それにしてもキモい。

そいつのアパート周辺は「あーマンコ舐めてぇ~~~~」とわざとらしく言いながら私が歩く道をグルグル回ってくる自転車の変質者も出没して、当時めちゃくちゃ怖かった記憶がある。
なんなん?性欲抑え切れないゴミが多い地区なん?

ちなみに友達同僚の精子男(命名)は、女好きというよりかは、とにかく突っ込むだけ突っ込みたい、ヤりたくて堪らないといった感じの非モテの小デブ男だったわけだが、後に職場の気の弱そうなバイト女子と無理やり付き合う事に成功し、それで性欲大爆発して、避妊せず交際後すぐに孕ませてしまって周りから総スカンを食らったと風の噂で聞いた。
まさに精子男。
危ない男やな……。


そいつと比べると、私の元々の男友達の方はイイ奴ではあった。

滞在最終日には多少は吹っ切れてくれたようで、寂しそうに送り出してくれた。
気持ちに答えられなくて本当にごめん。

しかも、予定的にしゃーなかったのだが、車を出せる別の男友達に空港までお見送りして貰うことになって、大荷物持って別の男の車に乗り込むところでバイバイしちゃって、ちょっと感じ悪くてマジでごめん……(悪気は無いのだ…)
でも、会話が特別面白い訳でもなく、ものすごく落ち着く相手という訳ではなかったし、回転寿司一緒に行っても玉子とハンバーグしか食べられないのは流石につまらんし、付き合わなくて良かったとは心から思っている。
うん、何度も言うけどゴメン。

なんか、周りに内緒で風俗デビューを果たしたのが多少関係しているのかしていないのか判らないが、男の扱いが酷くなったというか、今まで以上にキッパリと割り切れるようになった気がする…。


そういえば、共通の友達(男)が、「なんでアイツと付き合わなかったん?なんでアイツんちに泊まったん?」としつこく訊いてきたのがちょっとウザかった。
女みてーな男だな。
考え方は男!って感じだけど。

私に悪い所があったのは百も承知だが、そういう突っ込まれ方もなんか少し違うような気がしてならない。

私としては単に泊まれそうだったから泊まっただけの話なのだが、どうやら男側がそれだけ聞くと私が悪女に見えるらしい。
"なんであいつとヤッたのか"で責められるのでなく、"なんであいつとヤらなかったのか"が悪になるという、男社会の不思議。
というか、そういう対象じゃない友達だから男女関係にならなかったのに、わざわざモテない奴目線の質問しないで欲しい…。

因みにだが、質問してきた奴とはすぐ疎遠になったけど、男友達当人とは数年後なんかの機会で一度だけ再会した。
相変わらず彼女はできないようだったが、のあちゃんはいいお嫁さんになれるよ、と寂しそうに応援してくれたのを覚えている。
現在ではもう連絡先は残っていないけど、今は彼女か嫁さんが隣にいるといいな。

そして、元同僚の精子男はデキ婚に至るも左遷されてかなり遠くの地方に飛ばされ、最終日に車を出してくれた別の男友達はその後私のストーカーになった。
ああ人生。



2つの国を行き来する生活のおわり


こうして最後の一時帰国が終わる頃には、ほろ苦い思い出も残しつつ、手元のお金が再び潤い、一応の目標達成ということで私は少し安心した。

滞在期間は恐らく3週間ちょっとだったと思うが、風俗のバイトで本当に稼げたのだ。
親から貰った身体を……などとは考えなかったが、最初は常に罪悪感のようなものが付き纏っていて、しんどい時もあったが、何とかやり切った。
初の出稼ぎとしては、正直大成功だった。

今まで風俗店どころか風俗街に立ち入る事もなかったため、初ヘルスは緊張したしドキドキとヒヤヒヤの連続だったが、この経験で肝が据わったような気がするし、引っ越し資金が短期間で貯まった。
嫌な思いをする事もあったが、身体を売るとはそういう事なんだと理解できた。

とにかく、残っていた貯金と今回やり遂げて稼いだお金を合わせたら、海を越えての引っ越しも比較的楽に済みそうだと思った。
遊びよりもシフト重視で頑張った期間だったので、大きな出費は航空券くらいなものだ。
仕事を頑張って日本円をたくさん手にする事が出来て、ひと安心。


日本へ帰って再出発しようと、再度強く決意した。
決めてしまえば後は突き進むだけだ。


海外の父に話し、日本にいる母と実父にも連絡した。
そこから急ピッチで、引っ越し準備など完全帰国の為の手続きを始めた。
新たなフライトチケットも探したが、次のチケットは往復じゃなくて片道で、ちょっと不思議な気分。

引っ越し業者は日通さんにお願いした。
海外にも支部がある事をこの時初めて知ったのだが、当時はサービスも手際も良くて助かった。
荷物の受け取りに来てくれたスタッフの一人が学生時代の後輩という謎サプライズもあった。
懐かしいなあ…


この時、2016年半ば。
日本でバイトに出ていない時にアニメを全ジャンル観まくっていた頃で、海外へ戻ってからもお気に入りのアニソンを口ずさんで引っ越し作業をしていた。

ちなみに、2016年~2018年頃は食わず嫌いせずに色んなアニメを観まくっていたので、この時期のアニメは特に詳しい。
中でも2016年あたりの作品は激動の時期に心の支えになってくれた事もあって、今でも懐かしくてサブスクで追えるものは追ってしまうほどだ。

亜人、アクティヴレイド、このすば、暗殺教室、GATE、紅殻のパンドラ、ヴァンガードG、昭和元禄落語心中、だがしかし、食戟のソーマ、デュラララ結、ハルチカ、ヒロアカ、ブブキブランキ、僕だけがいない街、エンドライド、カバネリ、ジョーカーゲーム、双星の陰陽師、マクロスΔ、迷家、リゼロ、クオリディアコード、斉木楠雄、ダンガンロンパ3、一人之下、タブータトゥー、91Days、ベルセルク、3月のライオン、モブサイコ、ドリフターズ……いや全然これだけじゃないんだけど、なんかキモい量になってきたのでこれくらいで。

OPED曲だけで言ったら、ディバインゲートOP、最弱無敗の神装機竜ED、DimensionW OP、NORN9 OPあたりもお気に入りで今も聴いちゃう。
本当にジャンル関係なく観まくっていたなあ。


やや脱線したが、とにかく引っ越し作業期間は、最後の海外暮らしをある程度まったりと過ごす事ができて幸せだった。

引っ越しが確定してからの自分の心は、周りのお陰で安定しだしたように思う。
(内緒の風俗の事とか遠い将来の事を考えるとまたちょっとだけ不安定なったけどね…)

日本行きのフライトチケットを取り、完全帰国までの思い出作りと称し、当面日本に行けない現地勢とよく食事をした。
女友達とは最後に海外のレストランと美容系ツアーを楽しんだ。
大きいモールへ何度かショッピングに出掛けて、日本へ移住しても周りにお土産やプレゼントとして渡せるような物をいっぱい買い集めたりもした。
たまに日系二世のメチャクチャな男と、語学学校留学中だった男がカジノに連れて行ってくれて、奢ってくれたり奢ったりもした。
私は思い出として奴らのノリ打ちに参加していたが、もう小博打は辞め、特にルーレットのココモ法には二度と頼らないと決意した。笑
お金溶けてATM駆け込むのしんどすぎ。


不思議な事に、学生時代から海外でずっと使っていた私の愛車が、帰国3日前にまるで役目を終えたみたいに壊れた。
ああ、とうとう次の段階へ行く時期なんだなあ、と改めて思った。
元々中古車ではあったが、悲しみと同時に感謝の気持ちが湧いた。
5年ほど乗ったが、色んな場所に連れて行ってくれて、本当にありがとう。

そして海外の父が居たからこそ、車にしろ引っ越しにしろ、様々な手続きがスムーズに進んだ。
可能な限りサポートしてくれる家族にも深く感謝をしている。

裕福な家庭ではないので、金銭面だけは勿論自己責任のガチンコ勝負。
ここからは完全なる自立だ。


最後の最後に家族で観光スポットとミュージアムに行ったり、現地のご飯を食べ納めしたりして過ごしたが、やがてあっと言う間にフライト当日がやって来た。

11年の海外生活に終止符を打ち、いよいよ完全帰国の時だ。


父は泣いていて、いつも聞かせてくれる賑やかな片言日本語が話せなかった。

私も思う事はたくさんあった。

母と再婚して14歳の頃から支えてくれたのに、この地に住み続けられなくて、本当にごめんなさい。


胸を痛めながら、空港でスーツケースを引いて、最後に父へ笑顔で手を振った。
父も涙を拭い、笑顔でずっと見守ってくれた。

荷物を預けて搭乗ゲートの先を進み、ここから一人、10時間以上かけて東京羽田へ。
心細さもあるが、前進することに対しての強い気持ちもあったので、もう大して怖くはなかった。


ただ、いざ搭乗してスマホを機内モードに切り替える直前に届いたtextを見て、思わず泣いてしまった。
先程別れたばかりの父からだった。
大好きだよ、ハグ、と短く書かれていただけだったが、父の寂しさを知ってしまった今、すごく響いて涙腺崩壊してしまった。

ごめんなさい、ありがとう。

過ちや隠し事ばかり、賢くなくて、良い娘じゃなくてごめんなさい。

エコノミークラスで隣の人の目も気になったので、涙を適当に誤魔化して、そのうち気持ちを切り替えた。
新生活、頑張らなくちゃと思った。

それから最後の機内食を味わい、世間で公開されたばかりの映画をいっぱい観た。
(貧乏性なので何らかの形でチケット代の元を取ろうとしてしまう笑)
長時間フライトはもはや慣れっこで、足腰は全然痛くなかった。


やがて、羽田空港に着いた。

私が自分で物件を契約するまでの間だけ母のマンションの一室に住まわせて貰う事になっていた為、空港から大荷物を抱えて自力で母宅まで移動した。

再会した母はある程度喜んでくれていたが、パーソナルスペースが無いとお互いダメになる事を十分解っていたので、そんなに長く居着く気はなかった。
喧嘩だけじゃなくて遠慮もしちゃうしね…。


日本に着いて最初の食事は、部屋に荷物を置いた後に叔父さんも呼んで3人で入った和食ファミレスの御膳だった。
天ぷらとうどん、お刺身まで付けて貰った気がする。
なんだか物凄く美味しく感じたのは覚えている。

母と叔父さんの顔を見て、お話をして、あたたかい和食が食べられて、嬉しかった。

なんか、今日からやっと時間を気にせずゆっくり日本で過ごせるんだなあと思って、泣けた。



こうして私は、遅過ぎる完全帰国を果たした。



帰国後2週間以内にいいアパートを契約し、いよいよ日本での一人暮らしが始まるのだが、今回のところはここまで。

完全帰国を果たした後は新生活に奮闘したり、男関係で色々やったり、仕事を見つけて慣れようと頑張ったりと様々なエピソードがあるが、ひとまず次回はそれより少し前の人生初風俗勤務の体験談を書いていこうと思う。


𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄

次のお話
唐突に風俗デビューした先、繁華街の箱ヘルでの初体験談
※こちらは風俗店デビューのエピソードのみ抽出

完全帰国① 日本で0からの新生活

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のあメス
この前ふいにアイスカフェラテを奢っていただく事があり、これぞささやかだけど大きい幸せだぁ!と思いました。 なんだかいつもより美味しく感じました☕️ 誰かからカフェラテを飲ませて貰える分、明るく生きられる気がします。

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