傲慢も善良も
辻村深月先生の「傲慢と善良」を読みました。
2年前に購入して、読んでいなかった本を読み終わりました。
辻村深月先生の傲慢と善良というタイトルの本です。
かがみの孤城からしか追えてはいませんが、辻村先生の文章の人間は人間よりも人間らしいといいますか、感情の溢れている文章を書く方だなぁという印象は相も変わらず。
ただ、学生時代にかがみの孤城を読んでいた時とは違いこの傲慢と善良では自分自身に当てはめることが出来ずだいぶ読み進めるのに気力がいりました。なので途中まで読んで2年前に放置してきてしまったんですね。
2年経ち、人生の経験を少し積んだ私がこの本を開いた時文章がスッと入ってくる感覚がありそこからは1日もかからずに読み終えることが出来ました。
なんかね、すごく分かってしまった。
腑に落ちる。じゃないけど本当にスポンジが水を吸うように吸収することができたし、自身の考えを拡げるきっかけになったのかもしれないです。
本の中の真実と、自分が一緒に成長できた感じ。
70点の点数付け、自分の中の劣等感
すっごく印象に残ってしまった部分を抜粋するんですけど、私は特にここでした。
架の過去の彼女である子と真実が比べられた?じゃないけど、架には悪気の無い中で比べてしまった事が、本人からではなく周りから真実へ伝わってしまった。
ショックは受けつつも、その中で真実も自身の婚活を振り返り自身もお見合い相手に対して無意識に評価付けをしてしまっていたことに気がつく真実の自分の傲慢さ、汚い部分に気がつく場面がとてもリアルな描写だと感じました。
私が真実自身ならどう考えただろうか
たぶん、真実とおんなじ考え方をするかもなあ。
これに尽きるなと思いつつも、気にしないふりをして結婚するけどずっと引きずって、引きずったままで過ごしていくうちに疲弊していくんだと思う。
だって怖いじゃん。怖いよ。
乗り越えられる気がしないんだよね。
疲弊した私自身に相手が気がつくかは謎だけど。
まあそんな相手も今のところはいないのだけれど。
気がついてくれる人に出会えてたならそもそも論こんな気持ちになるとは到底思えないんだよね。
実際架だって真実の深いところまでまた理解できていなかったんだろうし。
だからこんなに拗れてんだよ。たぶんね。
人間ってさ所詮個人だし、恋人ってさ血も繋がってい無いわけじゃないですか。
まあわかりっこ無いのよね。
余程素直になれなきゃね。素直になることってじつは生きていく中で一番大切なことなのかもしれませんね。
意地張ってても誤解しか生まないからね。
私が傲慢と善良を読了して得たもの
素直になること。
人を認めること。
人を理解すること。
これは人間としてというか生き方というか、そういった部分で改善していけたら良いなって部分だなと感じました。
改善していけば少なからず今よりは幸せになれるだろうし。
自分の傲慢さを認めること。
自分自身を見つめ直すこと。
善良な人間で居ようとしないこと。
これは自分自身の考え方だよね。
人間って、独りよがりでじつはいっぱい考えてることもあるだろうし
特にタイトルにもある"傲慢" "善良"の部分ですよね。
昔からいい子になりなさいと親に言われて子供は育っていくことが多いと考えていて、そのように育てようと一定数の親は思うわけで。
「いい子でいなきゃ。」
「私がこんなに傲慢な考えを持った人間だと思われたくない思いたくない。」
って考える人も多いんじゃないかなぁ。
少なくはないと思うんだけど。
どうですか?
こういう考えは少しでも少なくして、
「自分は傲慢な人間だ」
「いい子でいるだけが正解ではないのだ」
と考えることも、自分自身と長く付き合っていくには大切なのかもしれませんね。