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ユングを詠む(029)-ユング読書会から『モモ』

 特にSNSには告知はしていないのだが、私のところではユング読書会を月1回開催している。

 ユングのどの著作のどの章を読んでくるようにとか宿題は出さないし、何らかのテーマについて発表を出席者に依頼するとかもしない。ただ参加するだけで良いものだ。流石に無口では困るのだが。

ユングの著作に関する話題の談話会といった面持ちである。

ユングの著書以外にもユングの分析心理学関連の本や情報についても話題になる。6月(2024年)でもいくつか話題になった本があったがその中でもミヒェル・エンデの『モモ』はユングと近いところがあると聞いた。

ミヒェル・エンデは映画の『Never Ending Story』(邦題『はてしない物語』)を見たことがあったが、『モモ』は読んだことがなかったので一読してみた。いや、2回読んだ。

1.   ミヒャエル・エンデ『モモ』とは

それは、『時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語』

著者ミヒャエル・エンデの紹介。

 ミヒャエル・アンドレアス・ヘルムート・エンデ(Michael Andreas Helmuth Ende、1929年11月12日 - 1995年8月28日)は、ドイツの児童文学作家。父はシュールレアリスム画家のエドガー・エンデ。日本と関わりが深く、1989年に『はてしない物語』の翻訳者佐藤真理子と結婚している。

ミヒャエル・エンデ

どんな物語かはAmazonの作品紹介から引用する。

 冒険ファンタジー『はてしない物語』の著者であるミヒャエル・エンデが贈る、時間どろぼうと風変わりな女の子の物語である。文章のみならず、モノクロの挿絵までもエンデ自身が手がけた本書は、1974年にドイツ児童文学賞を受賞。小学5、6年生以上から大人まで幅広い年代の人たちが楽しめる、空想力に富んだ小説だ。

 円形劇場の廃墟に住みついた、もじゃもじゃ頭で粗末な身なりをした不思議な少女モモ。黙って話を聞くだけで、人の心を溶かし悩みを解消させる能力を持った彼女のまわりには、いつもたくさんの大人や子どもたちが集まっていた。しかし「時間」を人間に倹約させることにより、世界中の余分な「時間」を独占しようとする「灰色の男たち」の出現により、町じゅうの人々はとりとめのないお喋りや、ゆとりのある生活を次第に失っていく。

 本書は、時間どろぼうである「灰色の男たち」とモモの対決というスリルあふれる展開を通して、1分1秒と時間に追われる現代社会へ、警鐘を鳴らしている。たとえば、モモの友だちだったニノが「スピード料理」の店を始め、大繁盛しているせいで他人とわずかな世間話をする暇もないというように、時間を盗まれた人たちは、現代の私たちの姿そのものとして描かれている。昨今、モモのように際限のない時間の中で、空想をめぐらせ楽しむ生活はほとんど忘れられている。子どもばかりでなく、忙しい大人たちにも夢見ることの大切さを教えてくれる本だ。(砂塚洋美)

Amazonの作品紹介

  コーチ・セラピスト、コンサルタントの端くれとして興味が湧くのは、
“黙って話を聞くだけで、人の心を溶かし悩みを解消させる能力”
 である。
 傍にいるだけ、話を聞くだけでクライアント自身が課題に気づき、その解消にまで至るのが理想の中の理想だ。
 
 その秘訣が児童向け小説に書かれているわけはないと思ったが、まあ読んでみる動機の一つとなった。
 
 “時間泥棒”と形容されている「灰色の男」とか「灰色の男たち」は、一人ひとりの人生を搾取していく勢力のことであることは容易に想像できる。具体的にどんな者たちかは追求しないこととしても、ユングのいう「個性化」を阻んでいる者たちとイメージできる。
 
これも読んでみたい動機のもう一つになった。大人向けの童話とか寓話といったところ。
 
最後に三つ目、読んでみようと決めたダメ押しの理由は最後に書こう。

2.『モモ』もくじ <※:感想を書いた章>
 第一部 モモとその友だち
1章      大きな都会と小さな少女
2章      めずらしい性質とめずらしくもないけんか
3章      暴風雨ごっこと、ほんものの夕立
4章      無口なおじいさんとおしゃべりな若もの
5章      おおぜいのための物語と、ひとりだけのための物語
 第二部 灰色の男たち
6章      インチキでまるめこむ計算
7章      友だちの訪問と敵の訪問
8章      ふくれあがった夢と、すこしのためらい
9章      ひらかれなかったよい集会と、ひらかれたわるい集会
10章 はげしい追跡と、のんびりした逃亡
11章 わるものが危機の打開に頭をしぼるとき
12章 モモ、時間の国につく
 第三部
13章 むこうでは一日、ここでは一年
14章 食べ物はたっぷり、話はちょっぴり
15章 再会、そして本当の別れ
16章 ゆたかさのなかの苦しみ
17章 大きな不安と、もっと大きな勇気
18章 まえばかり見て、うしろをふりかえらないと
19章 包囲のなかでの決意
20章 追手を追う
21章 終わり、そして新しいはじまり
 
3    感想
ア)「2章めずらしい性質とめずらしくもないけんか」から
 クライアントが求めるのは、確かにこんなことが多い。

いい考えを教えてほしい。
慰めてほしいのから心に締めうる言葉を言ってほしい。
何についても賢明で正しい判断を教えてほしい。

『モモ』p22から編集

 とにかく正解を即座に欲しがる。でも、それはどうしてもと言われなければ私はやりたくはない。というのは、クライアントが自主自律型の人間に成長していかないからだ。

“モモ”のできることは、聞くことだけ。こんな感じ。

 モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にも急にまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。ただ、じっとすわって、注意ぶかくきいているだけです。その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。するとあいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すうっと浮かびあがってくるのです。
『モモ』[P23]
   あいての中にすっかり入りこんで、その人の考えや、そのひとのほんとうの心を理解することができる。『モモ』[p141]

『モモ』[P23],[p141]

 これは、理想のコンサル/コーチだ。答えはクライアント自身が知っていると考える。それはクライアントの無意識の中にあって、コンサル/コーチは気づいてもらうサポーターになれれば最高だ、しかし、この本にそのノウハウを求めるのは野暮だろう。

 ここのところを読んでの閃きはこんなことだった。私自身も、心理的に安全な環境を作って自由に話をしてもらうと、クライアント自身の意識と無意識の間に話し言葉が通じあう瞬間があるのを見たことがある。自分でも体験したこともある。話し言葉でなくともジャーナリングと称する心に浮かぶ言葉を連続的に書いていくことでも同じようなこと・無意識から思わぬ言葉が得られたりする。ラポールという言葉はユングも使っている。

 こんなことだろうかと想像する。クライアントが自分自身で喋ることで、クライアントの心の中にいる自我、ペルソナ、アニムス・アニマ、そしてさまざまなコンプレックスの間に話し言葉が聞こえるようにしてあげる。無言ではお互いに意志が通じなかったコンプレックス間で意思の疎通が開かれるイメージだ。

 ちょっと話がずれるが脳梁を切断された人は、右脳と左脳が直接ニューロンで結ばれないので話言葉で語らないと左右でコミュニケーションできないという話がある。コンプレックス間でも同じようだ。

 安心して話ができる環境をいつでも誰にでも提供できる技術が完成できないものかと理想像が湧いてきた。具体的には、ミルトン・エリクソン流のヒプノセラーピーもその一つの技術と思う。

イ)「4章 無口なおじいさんとおしゃべりな若もの」から
 モモの仲良しのおじいさん、道路清掃夫ベッポがモモにこんな不安な気持ちを語る。

 とっても長い道路(の清掃)を受け持つことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。(中略) いつ見ても残りの道路はへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。

『モモ』[p52]

そしてどんな意識の持ち方で仕事をするか悟ったことを話し出す。

 いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん。わかるかな?次の一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけ考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。

『モモ』[p53]

 要するにたった今のことに集中しようってことだろう。先のことを憂いたりはしない。書いてはないが、過去にくよくよもしない。
 
 何かといえば「マインドフルネス」ですね。別な言い方をすれば、“フロー”とか“ゾーン”と言われる意識状態に持って行ければいいというわけだ。
 
「マインドフルネス」ってユング心理学に直接関係ないように思うかもしれない。
 しかし、『ユングの発達理論』というのがあって、タイプ論でいう「優越機能(主機能)」と「補助機能」を活かして人生の前半戦を経過してそのままでは成長も学ぶこともできなくなるという。後半戦はそのままでいいかというと違うという。
 
人生の後半戦においても、新たな成長とそれに伴う喜び、幸福感を味わうにはユングのいう「自己実現」が必要で、それには「個性化の過程」を辿る。その第1歩として「感覚機能」を磨いて「いま、このとき」を生きることを意識、これすなわち「マインドフルネス」の過程が求められる。
 
 この発達理論に関して私自身はユングの著作や文献に見出せておらず、ユング派の研究者の主張や実践書を読んだに止まる。
 
 ユング. 人生の転換期. ユング/鎌田輝男訳とModern Man in Search of a Soul by C. G. Jungに書かれているらしいので手配した。(やれやれまた課題が増えた)
 
話戻って、ベッポ爺さんの悟り。

するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。

『モモ』[p53]

注意事項としては、中途半端に「自己実現」に至ると破滅的な失敗、暴走を招くことがあるのでよく知ったコンサルやコーチ・セラピストが必要になる。

 ジョブ・クラフティングという手法に通じるところもあるようにも感じるかもしれないが、行動心理学から来ているこれは違う。

ウ)「6章 インチキでまるめこむ計算」から
 
 時間を人々から盗むというか詐欺で時間を取り上げる「灰色の男たち」がこの物語での敵役である。「灰色の男たち」は「時間貯蓄銀行」という怪しい組織のメンバーである。
 
 親が子供の世話をする時間、恋人と過ごす時間、近所の人やお客さんとの雑談とか、睡眠、食事、家族の世話、ペットを飼う、ショッピングすら時間を節約して、「時間貯蓄銀行」に預けよと勧誘する。五年で倍になるよう利子をつけるとセールスするが、62歳では一生よりも長い時間の預金、いや預時間ができる。
 
 ここでおかしいだろと気がつかないのかと思うが詐欺師のトークにはハマるものなのか?口頭で約束しただけで契約が成立して、どんな方法かわわからないが節約した時間は自動的に吸い上げれる。契約したことは記憶から消され一方的に時間を召し上げられる。
 
 ここは「外向型」の陥りやすい注意点とみた。こんな説明を以前にもした。

 客観的要因によって強く影響されている状態は、一見したところ生存条件に完全に・あるいはまったく理想的に・適応しているように思われるかもしれないが、決してそういうことを意味しているのではない。
(中略)

 客観的な条件は時代や場所によっては異常になることもありうるのである。こうした異常な状況に順応している個人は、たしかに周囲の異常な流儀とうまくやっていくが、しかしそれは同時に普遍的妥当な生の法則という見地からすると、周囲の人々全員と共に異常な状態におかれているのである。
(中略)

 しか最後には普遍的な生の法則に背いた罪によって周囲の人々全員と共に破滅してしまうだけである。

[3]p359-p360

 そして、吸い上げられた時間は「灰色の男たち」が「時間貯蓄銀行」がセールス活動するために使われていく。決して返還されることはない。
 
要は、洗脳するわけだ。

特は金なり–節約せよ!

『モモ』[p105]

 やはり時間とは金のことである。現代の拝金主義、無産階級は愚か有産階級すらもお金の奴隷になって儲けること以外は犠牲にして悪なき利潤を追求する資本主義を風刺・揶揄していることは明らかだ。
 
 話を本題に戻すと、時間とユングといえば「共時性(シンクロニシティ)」を思い浮かべる。だが、この『モモ』において共時性を連想する部分は見出せなかった。そして、『タイプ論』の中でも共時性については触れられていないのでこの面から『モモ』を見ることはやめる。

 「共時性」は興味あるテーマなので後日に取り上げたい。
 
 そして、結局は「モモ」と、時間を人間に与えるマイスター・ホラ、ホラの買っている亀のカシオペイアの活躍で、「時間貯蓄銀行」に貯蔵されていた時間は預時間者に返還される。
 
 返還された時間をどう人生を豊かにするために使うかについては友達と交流する時間を持ちましょうぐらいのことしか語られていない。そんなところにこのお話に物足りなさを感じる。

エ)「9章 ひらかれなかったよい集会と、ひらかれたわるい集会」から

 亀のカシオペイアについて。ユングの『元型論』には元型とかシンボルとして亀は出てこない。多分その他のユングの著作にも出てこないのではないかと思う。
 
 しかし、日本人であれば浦島太郎を竜宮城に連れて行った亀を知らない人は少ないだろう。日本書紀、万葉集などに原話があるという。亀が乙姫の化身であったというバージョンもあるそうだ。
 
 インド神話においても、大地を背中に乗せている象たちを、もっと巨大な亀が乗せているという宇宙観が伝えられている。その亀の名は「アクパーラ」という。さらに「アクパーラ」はバスケットのようにトグロを巻いたウワバミの上に乗っている。
 
 『モモ』では亀卜のように亀の甲羅に熱を加えて亀裂の入り具合で占いをするような残酷なことはしない。カシオペイアという亀は甲羅に文字でメッセージを伝えてくれる。で、30分後までの未来を見ることができるという設定。亀は未来へ連れて行ってくれるシンボルとして使われている。
 

)「13章 むこうでは一日、ここでは一年」
 
第三部では、亀のカシオペイアに連れられてマイスター・ホラの住む「時間の国」につく。マイスター・ホラとはMister・Hourの訳らしい。
 
気がつくこととしては、これも浦島太郎と同じで「時間の国」では時が遅く進む。アインシュタインの「一般相対性理論」が成立する距離が離れているtところということになる。これは余談。
 
マイスター・ホラは時間をこころで感じるものだと「モモ」に説明する。日中の時間の変化は生物時計という仕組みが明らかになっていて脳内の視床下部の視交叉上核というところで司られている。視床下部も心の一部と捉えられないこともなかろう。
 
そして「時間の花」という心の中にある花をマイスター・ホラは「モモ」に見せる。この花がなんであるのか一言で言い表せないが、時間のシンボルだろう。
 
ユングの著作で花といえば、『黄金の華の秘密』。

「黄金の華」とは、個人の精神的覚醒や啓示の象徴であり、その開花は内面的な光の放射と見なされる。
(中略)
ユングの解釈によれば、「黄金の華」の開花は、個人が自己の深層と調和し、全体性を達成する道程を象徴している。

[ChatGPT4o 20240624]

“時間の花“と”黄金の花“ではどう似ていて、どう違うか『黄金の花の秘密』を一通り読んでからあらためて感想を書きたい。
 
私のレベルのユング視点のレンズで『モモ』を読むとこんな程度とお粗末様でした。
 
次回はユング心理学の日本の第一人者と思われる河合俊雄先生が、『モモ』関する講義をされている。どのような視点でどのような認識・評価を『モモ』についてされたか見てみる。私の味方の拙劣さを認識してみる。
 
これが『モモ』を読んでみようとした最大の理由である。

というわけで今回はここまで。

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参考文献[2] MBTIタイプ入門 タイプダイナミクスとタイプ発達編https://amzn.asia/d/70n8tG2

参考文献[3] 『タイプ論』https://amzn.asia/d/2t5symt

参考文献[4] ユングのタイプ論に関する研究: 「こころの羅針盤」としての現代的意義 (箱庭療法学モノグラフ第21巻) https://amzn.asia/d/aAROzTI

参考文献[5] 『元型論』https://amzn.asia/d/eyGjgdX

参考文献{6}『ユング――魂の現実性(リアリティー) (岩波現代文庫)』https://amzn.asia/d/cUEvxPS

背景画像:原案:ティールコーチ小河。作画:ChatGTP4o。
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こころざし創研 代表
ティール・コーチ 小河節生
E-mail: info@teal-coach.com
URL: 工事中
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