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「自分軸」を持って生きるとは。お姉さんからの教えと私と子育てと。


自分軸とは何か?


何がどーして自分をカタチ作っていて何をどーして軸とするのか。虐待サバイバーであるとそれが分からない、全く分からないでいました。子供時代に自分の考えや気持ちを表すより、親の気持ちを優先することを求められるからです。

自分の考えや気持ちが分からないということは、考えや気持ちが湧き起こった時に気付かない振りをする、または誰かが望む自分であろうと考え方や気持ちを変えてしまう。

そうしてしまうと、誰かがこー言ったから、あー言ったから、望まれたから、怒られたから、自分の考えや気持ちを置いてけぼりにしてしまいます、子供の頃からずっと。

自分とは何なのだ?
私は自分を、自分軸というものをイメージすら出来ないと何だかへなちょこやなと思っていました。


そこに飛び込んできたひとつの記事。noteのお姉さん、ゆうゆうさんの「自分軸を感じて生きる」

何回も紹介させていただいているのだけれど、これほどにバシッと響くのはゆうゆうさんの魂の言葉を綴ってくださっているからだろう。

自分軸とは、ズバリ!
自分として生きる責任!
ゆうゆうさんの記事より抜粋。

「責任」
とても重たい言葉であり、出来るなら逃れたいです…。

夫婦関係でも親子関係でも、社会生活を送る上でも私は「誠実」であるということをとても大切に思っていました、そうでありたいなと願っていました。「誠実」とは「責任」を伴うのですよね。

みんな嫌なんです、重苦しさを感じる、責任を持つことって!
自分に対しても同じように、それをしているのだと思う……
ゆうゆうさんの記事より抜粋。

私は私の命に誠実であるか、自分の考えや気持ちを表してもいい場面でも表せない、悲しい気持ち、醜い気持ちもある。そこから逃げていないか、私の信念とは美学とは何なのだと。

弱い自分でいたら生きて来れなかった、弱い自分でいていい場所がなかった。きっと生き延びる為に命に誠実であろうとしたのだ、責任を持とうと努力できたのだ、だからこそ自分の考えや気持ちを殺すことが成功体験となったのだと思う。

その一見、弱々しい姿はきっと強いのだ、スミレの花のように。


「自分軸」を持てない、何かも分からない、そんな私もnoteのお姉さんが教えてくれたから、自分軸とは何かと聞かれた時には、私も教えて貰ったのだけどねと虐待サバイバーの仲間に話せるようになった。

ゆうゆうさんがくれた優しさは巡っている。私がゆうゆうさんに教えてあげれる事はないのかもしれないけれど、教えてもらったことを必要としている他の誰かに伝えることは出来る。

それに、noteの妹として、遠く離れていても、傍にいる気持ちでお姉さんを笑わせる事は出来ると思う。

きっと、そんなことが生かされていて、出会えているということなんだと思う。定期的にゆうゆうさんの記事を紹介させていただくのは必要な方に届けるお手伝いを微力ながらしたいからです。

最近のつぶやきをすこし、
今の過程はこんなところにいます。


母には母の課題
私には私の課題
息子には息子の課題

私は母の課題を背負わなくていいし、息子の課題と私の課題は別である。

私は私の課題にのみ向き合って生きれば良いのだと思う。

親子ではあるが、
ひとりひとりが独立した(個)であるのだ、自他の境界線を親子では引きづらいが虐待サバイバーの場合明確に引くべきであると感じる。

私の子供で息子は可哀想。
おばあちゃんからお年玉やクリスマスプレゼントも貰えず、寂しい思いをさせている。

上手く子育て出来ず、時にフラッシュバックを起こし泣いたりして健全でないだろう、申し訳ない。

だが、しかし、お年玉やクリスマスプレゼントをあげてないのは、私ではない。私があげたくないわけではないし、そうせよと母に頼んでいる訳でもない。

上手く子育て出来ないかもしれないが、私は私の課題と精一杯向き合っている。

それこそ、フラッシュバックで辛い時も、どんな時も、息子から目をそらしてはいないし逃げていない。

それ以上でも、以下でもなく、

ただ、そうであり、そうして生きていく。

「自分軸」と「信じる」について。こちらも非常に密接に関わってくるだろうと思うので追記する。


ゆうゆうさんの言葉!ぜひ!


相手を信じることと

その自分を信じること

それは同じ意味❗️

信じるとは、

自分を信じること!

上記、ゆうゆうさんの記事より抜粋させていただきました。


「自分軸」とは、弱い自分、情けなくカッコ悪い自分、怒っている自分、誰かを罵りたい自分でさえも、それは自分であるという覚悟、責任を持つ事である。

同時に、責任を持つということは、どんな自分も受け入れる勇気を持てたという事であると思う。風に吹かれて雨に打たれて揺らぐ自分や泣いている自分もいていいよとすることは、とても勇気がいる。

こんな自分でいたいという美学とは自分を守ることも含まれると思う、自分を他の誰かに優しくするみたいに、切ないときにひとりでいようとしない優しさを持てることだったり、弱い自分もいるねと見てあげること。

そんな自分も自分でいてよくて、大切にされなかったこと辛かったと悲しんでる自分もいていいと見てあげることも、自分軸で責任を持つということで美学なのだと思う☺️🌸

揺らいでも、泣いても、凛と立つスミレのように生きたい。強く、しなやかに。

理想ね、理想😂😂
そうはうまくはいかないけども、頭では分かってきたということやね。


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