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「はたらくことは暮らすこと」と「Work to live / Live to work」~生きたいなら、自分でつくればいいじゃない(できる範囲で)~

もうだいぶ前の話になってしまいましたが、SNSでこんな記事が流れてきました。


この記事を読んで、改めて手仕事をはじめとした「モノを作れること」の価値を、今一度見出されてきているのかな?という気がしました。


というのも、かのウイルス騒動が発生したときの”買いだめ現象”を眺めていて思ったこと。

「モノが作れる力」が改めて大切!と感じると同時に、現代には、身のまわりの自然を観察する力を持たない、あるいは忘れた人たちが、こんなにもいるのか、と思い知らされました。


でも、もし彼らが、コットンやリネン布でマスクを縫う習慣を持っていたり、普段から薬や消毒液に頼ることなく、身の回りの野草やハーブ・食べものの持つ効能・効果を少しでも理解して、暮らしの中に活用できるとしたら?

おうちのお庭やベランダ・窓辺で、ひとり分だけでも、1種類だけでもいいから、生活に必要な野菜やハーブを育てていたら?


たったそれだけのことかもしれないけれど、自然の特性を理解し、その恵みを活用できる力がああれば、きっとあれほどまでに多くの商品が品薄になったり、お店で購入希望者の怒号が響くことなんてなかったんじゃないかな、と思ったのでした。


そう。自然を身近に感じて暮らすこと。畑をやったり暮らし周りの環境を整えながら、自然の恵みに感謝して、自分たちの必要なものを作ること。


育てた野菜や穀物を加工し、調理する・繊維を紡いで糸にし、衣服や道具をつくる・木を切って道具や小屋を建てる、などなど。


もちろん、すべてをこなすのは難しい。でも、できること、いっぱいあるんじゃないかな~、と思うのです。

自分ひとりでこなすというよりは、小さなコミュニティ単位で協力しあうことで、充分な自給暮らしは可能なんじゃないかなあ。


夢のような話かもしれないですが、本来の人々の暮らし方ってそうだったと思うので、また「グローバル経済」から「ローカルコミュニティで小さく回す」という方へ向かっていってほしいな、と切に願っています。

いまは、ローカルですばらしいアイテムを作っている個人や企業もたくさんあるので、いろいろ吟味しながら「ほんとうに必要なもの」を選ぶのも手だと思う。


そうそう。先日SNSでこんな動画を見つけました。


2年前かな。何かとちょこちょこお世話になったご夫婦が、いつの間にかユーチューバーになっていました笑。

千葉のある里山にセルフビルドの家を建て、自然農で畑をし、器やカトラリー・ちょっとした暮らしの道具をつくる、すごい人たち。

そういえば、ちょっと前に紹介したスプーンたちも、彼らの手によるものです。クオリティにホント、脱帽である。


とにかく、久しぶりにお二人の畑や暮らしぶりを観て、いま自分が目指すべき暮らしの姿を、改めて見せてもらえた気がします。


2年前、このおうちに何度かお邪魔して(または、当時の仕事場に来てもらって)ご主人のお話を聞く中で、自分の食べものや暮らしの道具は、出来る限り自分の目で見える・手が届く範囲で作りたい!と思ったこと。


いま、アフターコロナがどうこう議論される場を、メディアやSNSでよく目にしますが、結局これらで語られることって、お金や経済社会ありきの話ばかりだな、と感じています。

もちろん、現代社会においてお金はある程度必要で、そのために稼ぐ手段は持っていたい。お金を稼ぐための仕事のバラエティは色々あっていいと思うし。


でも、たとえば「お金を稼ぐために学校へ行く」ってなると、本来の学びの意味が変わってきてしまうような気がする。

そして、Live to workなのかWork to liveなのか、よく分からないルーティーンに陥ってしまったり。


このへんの話はややこしいのでここでは語りませんが、「学ぶ」「生きる(暮らす)」の動機付けや目的が「労働する(働く)」であってはならない、と思うのです。


わたしにとって、自分の求める暮らし方は、英語の感覚でいえばWork to liveなんだけど、日本語の感覚で言うと「はたらくことは暮らすこと」が近いです。

ここでいう「はたらく」は、いわゆるお金稼ぎの仕事ではなく、暮らしに直結すること、つまり食べものや繊維を育てたり、暮らし周りの道具をつくったり、食材を加工して調味料やその日の食べものを調理すること、が当てはまります。


暮らしの場でこの「はたらくこと」がある程度機能すれば、経済社会に大きく頼る必要はないし、冒頭に述べたような買いだめ現象が起ころうが関係ない。

だって、すでに目の前には資源がたくさんあるんだもの。困らないよね。


そんな感じの生活にどっぷり浸かっていた時期があるせいか、いまの生活はどこか不安定に感じるところがあって、いくらオーガニックや国産食材へのアクセスがよくても、自分で作っているわけじゃないければ、物流が滞って食料品へのアクセスが絶たれたときに、困るのは自分だな、と思うこの頃。


加えて、最近はこちらでちょこちょこ記事を書かせていただいていますが、自分で疑問に思ったことや気になることを積極的に調べていることもあり、書きながら「う~~ん」と唸っていることが増えています。

なんというか、多角的に考え出して見えてくる正解は「自然農あるいはパーマカルチャー形式での地産地消」やな、ってところだから。


コンテンツ執筆の大きな意義が「マーケティングの強化」にあるということは重々承知なのですが、どうしても購買意欲や不安な心理を掻き立てる構造が苦手なので「買って買って~!」という方向に持っていけない。

大概のセールスライティングに向いていないという一大事が発覚してしまったもんで、大丈夫かいな~と自分を心配している日々ですが、たとえば純粋に手仕事のよさだとか環境問題・エシカル消費・サスティナビリティといった面で推すことはできる(むしろ大得意です!)なので、まあヨシとしましょう。


と、最後はなんだか自分を慰める雰囲気になってしまいましたが、今日はこれでおしまい。

このご時世だからこそ、改めて「はたらくこと」「暮らし」「お金」といった側面から、みなさんが自身の暮らし方を考えるきっかけとなればうれしいです。わたしもめっちゃ考えています。


日本の外に身を置いて、大好きな日本を観察すること、いまの自分に必要なんだろうなって思いながら、日々を過ごしています。

そして、戻ったときには何ができるか?を思考しつつ、自分とまわり、ひいては地球にやさしいはたらき方・暮らし方を模索していきたいな。以上。

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rie nochu|sumiyas
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