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「空が広い日」は気持ちの器が大きい日

その日は特に何も予定がない穏やかな休日だった。

カルディで買ったちょっと変わったラーメンをお昼に食べることを楽しみに、のそのそと布団から出た。
お昼になって例のラーメンの封を切ると麺とスープ以外のものはなく、かといって冷蔵庫もスカスカ。迷った挙句、ハムと海苔ととろけるチーズを入れてみた。

ラーメンとチーズという不健康な響きに若干罪悪感を感じつつ、
あとでミニトマトとみかんを食べて帳尻を合わせようと、強引に自分を納得させる。

食べ終わったら眠くなりそうと思っていたが
案の定眠くなったので、体が床に張り付く前に準備をして外に出た。

「今日はいい気温、いい天気だな~」と気持ちも晴れていく。こういう日の散歩ほど贅沢な瞬間はない。
なんだか空がいつもよりも広い気がした。

少し前に美容師さんとした会話を思い出す。

「海外旅行に行くと、ほんっとに空が広く感じるんですよ!」

少し興奮気味に話す姿に、私も「わかります!」と同じ熱量で返す。
海外に来たという解放感や興奮がそう感じさせるのだろうか。
「地球は広いなぁ」など壮大なことを感じたりもする。
今の時点では「心に余裕があって気持ちも大きくなり、視野も広がるから、空も広く感じる」がこの問いに対しての私の結論ということにしている。

3,4年前だろうか、「空の写真を撮ってSNSに投稿する=病んでいる」と世間では認識されることを知った。(実際特に意味なく空の写真を上げたら友人から心配されたこともありびっくりした。)

急にそんなことを思い出し、年単位の時差で「勘弁してほしい」とげんなりした。空が綺麗だと感じる純粋無垢な私の心を「病んでる」で括らないでほしい。

空が綺麗と感じる日は、自分の心の器が大きい時だと思う。
そんな日に私はnoteを更新したくなる。
広い空と暖かい日の光の元でしか
書けない文章もある。

「空は広いーな、大きーいーなー」と小さく鼻歌を歌いながら(今考えると正しくは空じゃなくて海だ)散歩から戻ると、何でもない日からしか得られない充足感が感じられた。

午後は何しよう。
コーヒーを飲みながら買い溜めた本を読もうか。なんて幸せな1日だろう。

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