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【三国志の話】三国志沼にハマった二日間(後半)
今月はじめにつぶやいた三国志イベント(3/16・3/17)に、幸運なことに二日連続で参加できました!
本記事はその後半、3/17(日)のレポートです。
早稲田大学総合人文科学研究センター・三国志学会共催シンポジウム「翻訳文学の多様性――三国志を中心に――」
長谷川隆一(早稲田大学文学学術院講師) 「正史『三国志』翻訳の立場から」
長谷川先生は、渡邉義浩先生が編集されている「全譯三國志」(汲古書院)の執筆者の一人であり、その事例を紹介して下さいました。
まとめると、このような感じです。
漢文を訓読して送り仮名をつけるだけでも、意味が分からないとできない作業だから、翻訳と言ってよい
接続詞を適切に選んで、意味を確定させる
意味が分かりにくい表現がある場合、本文とは別に注を付けて内容を補完する
日本語に置き換えると意味が狭くなる場合は、あえて原文のままの語句(ターム)をそのまま使う
渡邉先生は、「注を充実させることは、(正しく根拠を記録していく)研究者の仕事。書籍では注のために分厚くすることはできない」というコメントをされていました。
さすが、数多くの著書を出版した経験者ならではですね。
仙石知子(二松学舎大学准教授)「『三国志演義』翻訳の立場から」
仙石先生は『三国志演義』を専門とされていて、文学作品ならではの事例を紹介して下さいました。
筆者が特に重要と理解したのは、この二点。
会話の言葉遣いは二人の人間関係を映し出すので、とても大事である
原典の違い(例えば、李卓吾本か孟宗崗本か)による差分は、編者の意図を汲んで訳し分ける
後者の例としては、「呂布に徐州を追われて逃走中の劉備が狩人の劉安の家に泊まり、劉安が妻の人肉を劉備にふるまう」というシーンがあります。
時代とともに、劉備がそのことに気付かないように、また劉安とも距離を置くように、描写が変化しているとのことです。
しかし、そもそもそのシーンは必要なのかという疑問があるわけです。それは、割股という、自分の体を傷つけて親族への敬意を表す清代の風習が関係するらしいとのことでしたが、筆者はいまひとつ理解できず。
筆者は当初は「阿斗を投げ棄てた劉備」などと同じで、中国ではありふれた行為なのかと思いましたが、さすがに妻を殺すというのは異常です。
つぎに、騎馬民族では女性がモノ(戦利品)だった影響かと思いましたが、それはこのシーンが入った理由にはなってもカットされない理由にはならない。
やはり漢民族の文化的背景があって(それが割股?)、時代によって描写が変化したもののカットされず後世に伝わったのだと、ひとまず理解しました。
いずれにせよ、今回のポイントは「翻訳者が細かい描写の違いに気づくべき」ということなので、その例としてはよく分かりました。
ロジャー・プライヤ(北九州市立大学准教授)「横山光輝『三国志』の英和対訳版の立場から」
ロジャー先生は、イギリスのヨークシャー地方出身で、横山光輝『三国志』などを英語に翻訳された翻訳者でもあるとのことです。
その人物が英語の話者ならどう言うか、を重視する
姓名と字との使い分けが難しいので、代名詞(IとかYouとか)を多用する
田舎者の場合は、どこかの地方に限定した方言は使わず、労働者階級のくだけた英語で表現する
とにかく詩は難しい!(意味をとらえるのか、詩のリズムを重視するかで、両立するのは無理)
など、苦労した点を数多く挙げて頂きました。
基本的にはマンガは舞台劇に似ているとのことで、視覚では伝わらない説明を言葉で補うようです。
映画の字幕とも共通点はあり、字幕では時間(シーンの秒数に合わせた文字数)という制約が、マンガでは空間(スペースに合わせた文字数)という制約があるとのこと。
渡邉先生のトークでも、映画「レッドクリフ」を監修したときの話が出ていました。
総合討論 -翻訳文学の多様性- モデレーター:渡邉義浩(早稲田大学文学学術院教授)
渡邉先生のトークの中では、特に「訓読の重要さ」に多くの時間を割いていました。
ネイティブの中国人留学生が日本で訓読を学ぶと、意味を理解しながら読めるので訓読の方が読みやすくなるのだそうです。
質問コーナーでは、大変有難いことに、筆者の質問に多く答えて頂きました!
質問の意図を補足しながら、多少長いですがすべて記載させて頂きます。
Q. AIによる機械翻訳(自然言語解析)や古文書読解(文字認識)は、技術面・市場規模面でどれくらい可能性があるか?
A. (渡邉先生)技術的ではかなり実用的に使えるレベルになっている。ただしビジネスで考えると、お金をかけても回収できない。
Q. 日本語の読み方が複数ある人物の読み方が統一される可能性はあるか?(例)鄭玄(「じょうげん」「ていげん」)、区星(「おうせい」「くせい」)、毌丘倹(「かんきゅうけん」「ぶきゅうけん」)
(筆者補足)日本語に訳すときにアウトプットが安定しない点と、日本語から他言語に訳すときのリファレンスが複数存在しうる点で、翻訳者の立場では困るのではないか。という意図でした。
A. (渡邉先生)ケースバイケースなので、現状では難しい(という意味だと筆者は理解しました)。
例に挙がった三名には、それぞれ個別の理由があるとのことです。
鄭玄を「ていげん」ではなく「じょうげん」と読むのは、昔からそう読んでいたから。
区星を「くせい」ではなく「おうせい」と読むのは、文献に読み方の注がついているから。
毌丘倹は、文献によって字が違う。この字であれば「かんきゅうけん」だが、毋丘倹と書いてあるものは「ぶきゅうけん」となる。
Q. 年号を西暦に変換する必要性があるか?
A. (渡邉先生)元号表記は複雑なケースがあり西暦の方が分かりやすい場合があるので、参考のために西暦の数字を併記するのが通例。
(例:中平6年は「中平->光熹->昭寧->中平」と三回の改元があった)
もしも正確な西暦年に換算する場合は、太陰暦の11月と12月のどこに太陽暦の年の区切りがくるかが不規則なため、注意を要する。
(筆者補足)特に西洋文化圏の言語に訳すときに、元号をそのまま使うのか西暦に換算するのか、推奨を知りたいという意図でした。
西暦年を書く場合、元号に単純に当てはめた西暦年を書くのか、正確な西暦に換算した数字を書くのか。もしも正確な西暦年に換算するのであれば、3世紀当時に使われていたユリウス暦なのか、現在のグレゴリー暦かでは数日の差があるし、また翻訳者に閏月(leap month)の知識がないと正確に換算できないのではないか。と思って質問しました。
例:呂布の死亡日は建安3年12月24日で、ユリウス暦ではAD199年2月7日になる。(参考:呂布 - Wikipedia)
この場合、建安3年(西暦198年)と参考に併記されるその数字(198)を使うのか、正確に換算した数字(199)の方を使うのか。
#この例は、三国志大文化祭2023で、早大三国志研究会のスライドに「呂布(? - 199)」とあったのを、龍谷大の竹内教授が指摘されていましたね。
渡邉先生の回答から推測すると、和訳と同じく元号プラス参考の西暦年を併記するのがベストなのでしょう。
筆者も、正確な西暦に換算するには原文に年月日まで記述されていないとできない(が、正史には月または季節しか書いていないことが多い)と気づき、納得しました。
また、この問題は中国史に限らず日本史でも同じですから、日本史の先生にも聞いてみたいところです。
#例えば、徳川家康の出生は天文11(1542)年だが、12月26日なので西暦では1543年1月31日になる
Q. 袁渙伝の「清」を「清貧」「清廉」などと熟語に訳すと意味を狭めてしまうかもしれないが、漢字はそのままで「清さ」「清らかさ」とすればどうか?
A.(長谷川先生)原文の「清」は当時の中国文化の中でこその「清」という概念であって、現代の日本語にはどう訳してもぴったり当てはまらないと判断した。
筆者の感想
ネットや書籍などでたびたびお名前を拝見していた専門家の方々にお目にかかり、感激しました!
また、今回「横山三国志」の英訳者の方のお話を聞けましたが、このような事例をもっと知りたいですね。
(例えばゲームやアニメなど、初めからローカライズを考慮したメディアミックスの仕掛け人とか)
(前半はこちら)
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![町田 憲昭(歴史研究家/ゲーム評論家)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/155311191/profile_853a3b4f6ca1a80c74a79179434ce2f6.jpg?width=600&crop=1:1,smart)