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若手女性研究者として「女性研究者」は得か?損か?



はじめに

私は、日本の大学で働く理系の若手女性研究者です。
職位は助教です。

正直、私のプライドが働いてしまい、研究者の前に性別をおいて名乗りたくはあまりありません。
なぜなら男性であればその必要がないからです

でも、女性として他の女性研究者の方はどうなんだろう?と気になることはよくあります
なので、見つけてもらいやすいように「女性研究者」と名乗ります

ここでは一人の女性研究者として、「女性研究者」についての正直かつ個人的な感想を書きたいと思います。

私の専門分野では、女性の方が少ないのもあって、仕事として女性研究者としてのコラムの依頼などをいただくこともあります

しかし、私の性格上、そういうところでは本当のことは書きづらいです

男性社会で生きている女性として、
男性にとって耳障りの悪いことを記録に残る形で発言することは私にとっての不利益になりうるからです

男性社会でその地位を確立できる女性というのは、男性社会にうまく適応した女性です

でも思いはあります

ここでなら思った通り気楽に書けるかなぁと思ったので、だれかがいつか読んでくれるだろうと思って、まとめます


女性研究者は得なのか?損なのか?

【得なこと1】すぐに覚えてもらえる

私の分野では、女性の研究者、特に若手は限られています。
その結果、私の存在は目立つようで日本では、他の研究者の方にすぐに覚えていただいているように感じます。

存在が認識されるというのは、研究成果を広める上でも、ポジションを確立するうえでも、研究プロジェクトを進めるうえでも非常に有利に働くことだと思います。


【得なこと2】公募で有利

ご存じの通り、女性を積極的に採用するとうたった公募は多数あります

巨大なプロジェクトにおいても、若手研究者や女性研究者の登用を積極にうながすものは多数あります

かつ、若手・女性であると存在を認識してもらいやすいので、
「〇〇さんを仲間にいれよう!」「〇〇さんに声をかけてみよう」となりやすいのは確実にあると思います


【損なこと1】男性研究者のコミュニティになじみづらい

昨今は、セクハラ問題やアルハラ問題に敏感です
私は研究者コミュニティ内では「若い女性」として認識されます

それもあって、主に男性で構成される研究者のコミュニティに他の男性と同じようになじむことは非常に困難に感じます

博士課程時代、私の指導教員の先生(男性)は私と二人きりにならないようにいつも気を遣ってくださいました

私と二人でディスカッションするときは、常に扉があいています

込み入った話をするときは、通行人がいるような外のベンチで話したこともありました

しかし、コミュニティに他の男性と同じように入り込めないことは損になります

なぜなら本当に重要で、有益な情報というのは非公式な飲み会や内輪での雑談で非公式に共有されることがほとんどだからです。

得に、日本というのは「空気を読む」「不文律」というのが存在する社会です。

特に研究者コミュニティはずっとClosedで、小さなコミュニティです

専門分野が同じだとすると、国内では全員顔見知りといっても過言ではない場合もあります

「空気を読む」「不文律」を把握するために必要な情報をつかむ機会を逃すこと、
そして一部の人だけが知ることができる
お得な情報が得られないことは損失に繋がります



【損なこと2】能力が低いと思われる、軽んじられる

こういうことを言うと、被害妄想だろうと言われる可能性もあるので、普段は口にしません

ただ、普段生活しているとこれをひしひしと感じることがあります。

女性が積極的採用されやすい公募があるということは、能力の低い女性も採用されうるということだと一般的に認識されています

ただ、当然ですが、それは全ての女性が能力が低いこと意味しているわけではありません

しかし、若手女性研究者ときいて「きっと優秀な人なはずだ!」とどれだけのひとが心から思えるでしょうか?

理系分野で最先端の教育をうけた方は、「能力の高い女性」というのを目にする機会がほとんどない人が多くいるのだと思います

これは彼らの所属した大学の学部・専攻も主に男性で構成されているためです。

若手女性研究者が本当の意味で、他の男性研究者と同じように認められるためには、他の研究者を凌駕する圧倒的な業績が必要なように感じます

また、例えば、業者の方、事務スタッフの方が、他の大学教員に対しては〇〇先生と呼ぶのに対して、私に対しては〇〇さんと呼ぶというシチュエーションが何度かありました

これは無意識のうちに私を「大学教員」「助教」と認識するのではなく、
「若い女性」として認識したためだと思います

また、学生が研究テーマを決める際、若い女性助教が発案した研究テーマ、男性教授が発案したテーマについてそれぞれどんな印象をもつでしょうか?

若い女性助教のテーマを選べば、きっと優しいだろうし、楽できるだろうと思う学生はいないでしょうか?

具体的なエピソードは説明できませんが、たびたび私は「私が50代の男性であれば、この人は同じことを私に言うだろうか?」と考えることが多々あります。

避けられないことですが、人は見た目、立場、性別で人をある程度判断してしまうのです

「若い女性」に対する、アンコンシャスバイアス(無意識の偏ったモノの見方)というのは意外と根深いです


【結論】得か損かはわからないけど、得られるメリットは教授すべき

こういったことが起こる理由は、「若い女性」である私がこの研究者コミュニティにおいて
圧倒的なマイノリティであるためでもあります

男性であるため、女性であるためで生じるメリットやデメリットは様々です

男性も男性であるからこそ、享受できているメリットもありますが、
デメリットもあります

本当は男性であっても女性であっても同じようなメリット・デメリットを享受できるとよいのですが、生物学的な問題や性別による役割分担意識が理由となってこれを実現するのは現状難しいでしょう

だからこそ、現時点で、私が若手女性研究者として意識していることは、

変なプライドをもたずに、
ぞんぶんに享受できるメリットは享受する

ということです

私が何かプラスの作用の一端を担えると信じて




P.S. ここまで書きましたが、自分が若手女性研究者だと意識する場面はそこまで多くない気もします。
ここでは、じわじわと私の胸に時々ひっかかていたことをまとめました。



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