【書評】毒親小説│「金木犀とメテオラ」安壇美緒
毒親が悪いだけ。彼女らは何も悪くない。これはそういう小説である。単なる毒親と言っても、両者の間に差はある。一方は、教育ママと死別した父親。一人娘を僻地に送って、子供の意向とプライドを蔑ろにした。一方は、ギャルの母親。金がなく、家をごちゃごちゃにし、愛人である起業家の金で生活している。
東京出身の宮田佳乃は、父親に北海道行きを告げられる。彼女の成績なら都内の上位難関私立に入るのは簡単だった。一方、地元出身の奥沢叶は美少女で、優等生。しかし、彼女は秘密を抱えていた。つまり、親が貧乏で、かつ毒親なのだ。この二人が、お互いを強く意識し、嫉妬しあいながら、切磋琢磨する。そういう小説である。
宮田の親は、確かに僻地に送ったとはいえ、金は出す。それに、幾ばくがまともである。奥沢の親は救いようがない。どちらにせよ、こういった異常な親の元に育てられる彼女たちは、青春を過ごすが、常に張り詰めた空気の中に生きている。彼女らからしたら、他の生徒が、悩みもなく頭も空っぽに見えるのは至極当然だろう。
彼女達は東大を目指す。東大以外には空っぽであっても、彼女たちを非難出来ない。誰も彼女たちを、中身のない単なる序列主義者とは言えない。彼女たちは中身がある。鬱屈とした環境の中でもがく、実存的な競争者である。
歳のいかない少女である宮田の世界が狭いのは当然の事だ。彼女の中では、学校の順位、ピアノの腕、それが人生の全てである。こういった世界観でしか若者は生きられないし、その中で得られるものは多い。しかし、彼女たちはいつか気付くのだ。世界は思っていたより広い事を。
物語は緊張感を持ったまま進行するが、寮母の杉本の言葉でピークを迎える。序列主義者も屈服せざるを得ない。
現代の若者は、宮田らを諭してあげられるだろうか。ゆとりがどれだけあるだろうか。低学歴や非モテ、非正規雇用だけではない。高学歴と言われる層もブラック企業で精神を壊し、鬱に。皆、頑張りすぎている。社会が頑張る事を強要しているのかもしれない。
社会が悪い論を展開してもいいのだけど、この本では、もっと狭い世界で事が起こっている。宮田らに努力を強要するのは、社会というよりは親である。しかし、助けるのも親世代である寮母の杉本である。だから、この本において学べるのは以下の事だ。頑張り過ぎている人を助けられる、ゆとりのある人が、近くにいるといい。
社会に問題はあるのだろう。声を上げるのは重要だろう。しかし、それは目の前の問題に対して直接的なアプローチではない。まずは、身近な人に対して、どう接するかという問題に帰着するのだ。本書は、そういった視点から読まれるべきだと思う。
皆が皆、頑張りすぎている社会では、誰も誰かを助けられない。だからこそ、一息抜いている誰かの存在が必要だ。それは、スナックのママでも良い訳だ。そういった人間が、ある種の社会資源なのである。誰かに送った声援が、そのまま自分への声援になる。これは当たり前だけど、大事な事だ。
そして、本書のテーマは実に的を射ている。つまり、彼女たちはまだスタートラインにいるのだ。それと同時に、我々もまだスタートラインにいる。勝ち負けではない大切さを教えてくれる、優れた小説だった。
著者プロフィール:
抜こう作用:元オンラインゲーマー、人狼Jというゲームで活動。人狼ゲームの戦術論をnoteに投稿したのがきっかけで、執筆活動を始める。月15冊程度本を読む読書家。書評、コラムなどをnoteに投稿。独特の筆致、アーティスティックな記号論理、衒学趣味が持ち味。大学生。ASD。IQ117。