記事を書き始めて1ヶ月(自己紹介2.5)。
2021/08/17で記事を書き始めて1ヶ月が経ったため、どう言った変化があったのかなどを書いていこうかなと思います。
1ヶ月前の記事
記事を書き始めた理由
私が記事を書き始めた理由は備忘録として活用したかったというのが、第一です。4月からの激動の毎日をせめて文字にすることで昇華させたいのと、生きている証が欲しかったのかもしれません。
昔の記事にも書きましたが、新しく社会に出たと思ったらものすごい勢いでいじめに遭い退職に追い込まれてしまったのと、共に発達障害が判明し結局のところ2次障害のうつ病も発症していたといういつの間にかてんこ盛りの人生を歩んでいました。
そもそも最初の記事はうつ病の影響か、昔の職場のトラウマの影響か上手に眠れることが出来なくなり中途覚醒をしてしまい時間を持て余した結果書いていました。
昔の記事
昔の記事を振り返ってみると感情がダダ漏れで、目次などnote特有のものですら使いこなせていないような状態でした。ですが、書くことによって気持ちがすっきりしたのを覚えています。
noteにいる人たち
何度かnoteを投稿をしようと挑戦するものの挫折するというのを行っていたのですが、ASDの特性か隠れたADHDの特性かはたまた薬の影響か勢いで始めたnoteですが、とても優しい心を持った人たちが沢山いる場所であると言うことに気が付き始めています。
自分が今立っている状況はすごく苦しくて、闘病中で寛解出来るのかも怪しいけれど、同じように頑張っている人がいる。
この事実が私が1か月noteに記事を投稿してみてわかった事です。
今の私
うつ病の寛解どころか日々悪化の経過を辿っているのが事実です。これはうつ病のせいなのか、最近自分自身の取り巻く環境のめまぐるしい変化のせいなのかはわからないのですが、落ち込む日々が確実に増えました。
ただでさえ、特性でマルチタスクが苦手であると言われているASDです。現状として、「支援してもらっている自分」と「そのうち支援する側になる自分」と「家庭の事情」と「うつ病寛解の焦り」と「発達障害への受容」と「発達障害を含めて考えた場合の職業検査」など多くの事が一気に押し寄せています。
多分、はたから見たら、社会復帰をしようとしているすごい人間に見えるかもしれません。ですが、頭の中では常にごちゃごちゃでキャパオーバーを起こしています。
多分、無理をしている。
自分でもこれぐらいは客観視できます。ですが、時間は止まってくれません。
最後に
皆さんならどのようにしてこの状況を切り抜けますか?私はこのまま生きていて息がしやすくなるのでしょうか。
定型発達の人たちが陸に住むのに適しているのならば、ASDという私は海に住む生物です。はたして息が続くのか。それが不安でならないのです。
ただでさえ、ASDって診断名が付いて、普通ではないとわかったと同時にWAISの結果も処理速度が凸という普通ではないカテゴリに分類されてしまった私の生きる道はあるのでしょうか。まさに暗中模索の日々です。
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下記のマガジンはこれまで自分が記載してきた備忘録になっております。お暇がありまして、よかったらご覧ください。