「言う or 言わない」のバランス感覚が難しい。これからは経営者の自覚をもって言葉を紡ぐ
art. #16 / 3800 words (5 min.)
きょうのnoteは、書こうかどうか少し迷った内容になります。
概要は、書くことと書かないことの線引きをきちんとしないと、経営者としてはダメなんじゃないかなという話です。
友人からありがたい気づきを得たので、忘れないように残します。
自分自身に対するメモ程度の記事です。ご興味のあるかたは、お読みください。(少し長いです)
はじめに
先日、ある友人と話をしていたときに、ありがたいフィードバックをもらいました。
「高校の偏差値xx」って書かないほうがいいんじゃない?なんかもったいない気がする。
ハッとしました。
僕としては、ある意味「へりくだる」表現としてこのワードを選びました。
しかし、「自分を下に見せすぎてしまい、もったいないんじゃないか」というフィードバックでした。
続けて友人は、
ましてや、企業や社長にコンサルティングする立場なんだから、「あれ、誰でも入れるような高校に行ってたの?この人」って思われたもったいなくない?
少し極端な言いかただし、全員がそう思うわけではないと思うけど、オレはなんかちょっともったいないかなって、書かなくても別にいいんじゃないかなって思ったよ。
この話を聞いて、本当にその通りだなと感じました。
なぜ「偏差値xx」とか書いていたのか? ①恥ずかしさ、へりくだり
なぜ高校の偏差値をやや自虐的に書いていたのか。
※ 該当の記事には「高校の偏差値xx」と実際の数字が入っていましたが、現在は削除されています(2021年3月19日時点)
そこには、こんな想いがありました↓
<想い 1>
「沖縄の田舎で育ったこんな野郎でも、東京で良い仲間に出会って、刺激を受けて、支えられて。そして起業して、熱い思いで仕事をしている。
昔よりも格段に成長している。想像以上だ。人間の可能性ってなんかすごい」
<想い 2>
「実際、書類と約30万円あれば会社はつくれる。社長になれる。ただスタートラインに立っただけ。
肩書きにとらわれることなく、社会に価値あるサービスを残す」
↑この思いをストレートに伝えるのは恥ずかしいなと思い、やや自虐的な表現にしました。
なぜ「偏差値xx」とか書いていたのか? ②学歴フィルターへの反骨心
また、「学歴フィルターへの反骨心」があったことも一つの要因です。
「高校の偏差値がxxであろうと、30歳の僕には関係ない。比例してない」という反骨心です。
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ぼくが採用の仕事をしていて一番理解できなかったことは「学歴フィルター」でした。
新卒採用なら、少しは理解できます。
22歳で就活とすれば、18歳の学力は一つの基準になりうるからです。
しかし、中途採用での学歴フィルターはずっと疑問でしたし、今でも疑問です。
事業部とのミーティングでも「MARCH以上がいいな」という話がでたりします。たしかに、気持ちはわかります。
ただ、これだけ人材を奪いあっている採用市場のなかで、そのフィルターをかけるだけで、多くのかたが対象外になります。
つまり、ただでさえ厳しい採用活動を、より厳しくしているのです。
また、目の前の候補者は35歳なのに、18歳のときの知力を基準にして何の意味があるのだろうと思うのです。
「学歴フィルター必要ですか?」と聞くと、「地頭いい人がいいので」という返答がほとんどです。
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繰り返しますが、学歴は「18歳のときの知力」でしかありません。
ましてや、日本の教育や大学受験自体が「記憶力ゲーム」みたいなところがあります。
つまり実際に仕事で必要な「問題解決スキル」や「コミュニケーションスキル」と学歴がイコールかというと、イコールではないです。
学歴と地頭は、比例も、反比例もしません。
人それぞれです。
大学在学中に誰と過ごすか、どんな勉強(研究)をしたか、社会人となってどれくらい歯を食いしばって仕事したのか、それらの方がフォーカスされるべきだと強く主張します。
中卒で実業家の家入一馬さんについて、どう説明するのか教えてほしいです。
(話がそれるのでこのへんにしておきます)
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そんな「①はずかしさ、へりくだり」「②学歴フィルターへの反骨心」を込めての「偏差値xx」でした。
しかし、初見の人には関係ありません。(そりゃそうだ)
小さいやりとりかもしれませんが、ぼくには大きな気づきでした。
友人:じゅんのキャラクターとか人間性を知っていたらさ、全然気にならないんだけどね。逆におもしろいというか、そうなんだ!っていうネタにもなるし。
でも、じゅんを全く知らない人も読む記事なわけだし、会社の代表として会社にも影響を与えることでもあるからさ。
偏差値って数字で比較しやすいからってこともあるかもね。こいつオレより下か、大したことないな、みたいな。
まあひとまず、ちょっとだけ思ったから伝えておくね。あとはじゅんのセンスで。
…友人よ、ありがとう(涙)。
じゃあこれからどうしていくのか
タイトルにもある通り、この2つと考えています。
(1) 経営者としての自覚を持て
(2) バランス感覚を持て
よーく考えると、「偏差値xx」なんてことは、別に言わなくてもいいことですよね。
少し自虐側に寄りすぎというか、本音/本当すぎるというか。初見でくすっと笑えるわけでもないですし。
自虐も含めた超本音/超率直な意見とかは、オンラインサロンとかstandfmとかの「より密度が高い、狭く深い場所」で言ったらいい。
ここはnoteであり、無料で、誰でも読める「浅く広い場所」。だから、noteでおこなうコミュニケーションは、へりくだりすぎず・傲慢すぎず。
「少し整った等身大のことば」くらいでnoteは書こうと改めました。
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(1) 経営者としての自覚を持て
一会社員だったら、一個人事業主だったら、別にそこまで気にしなかったのかもしれません。
しかし、一挙手一投足が見られる役割であることを、再確認しました。
言ってくれた友人には大変感謝しています。本当にありがとう。
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(2) バランス感覚を持て
ありきたりな言葉ですが、バランス感覚をもってやっていきます。
そこでふと思ったことは、今後のnoteをどう書いたらいいのかということでした。
「アウトプットはスタート」という言葉から始まったnoteなので、当初は自分の思考回路を"全て"さらけだしてみる予定でした。
悩んだり、考えたり、チャレンジしたりする過程について、自分自身が楽しんでいこう、あわよくば読者に楽しんでもらおうと考えていました。
しかし、"全て"をさらけだすのは違うかもなと改めました。
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「曝け出す(さらけだす)」という文字には、「暴れる」という字が入っています。(突然、金八先生)
そして、1日という時間や場所をあらわす「日へん」が左側にあります。
良い意味だと、「晴れる」という字のごとく、暴れて空を突き抜けるようなブレイクスルー的な意味合いがありそうです。
悪い意味だと、「暴飲暴食」という熟語のごとく、自分の意のままに暴れて損をするような負債的な意味合いがありそうです。(どちらも推論です)
つまり、良い意味もあり、悪い意味もある。
さらけだすこと(オープンマインド)によって、相手の警戒心を解き、お互いに打ち解けやすい空気を作ることも大切。
しかし、逆にさらけだしすぎることによって、会社や自身のブランディングを崩してしまうこともある。
おもしろくない結論ですが、このバランス感覚が一生大切ということですね。
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おわりに
「へりくだりすぎず、傲慢にならず、バランス感覚を大切にしていこう」という、単純だけど大切だなと思う話をつらつらと書いてみました。
ただ、バランスバランスと言いすぎて、自分の主張ができなくなるのはダメですね。それこそバランスがよくありません。
かといって、SNSでありがちな「見た目はとりつくろっているけど、リアルで話をして見てたら全然たいしたことない人」にはなりたくないです。(実体験。)
自身のバランス感覚が、そのまま会社のバランス感覚となり、ブランディングとなるわけで。
だからしっかりしないとなと思いつつ、そうやって「しっかりしよう」って肩に力を入れすぎるのはよくないのではと思いつつ。
そういうシーソーような思考(=シーソー思考)を繰り返しながら、一歩ずつ進んでいきます。
※「シーソー思考」は、たったいま思いついた私の造語です
おわりのおわりに
このnoteを書こうか迷ったのは、これを書くこと自体も「さらけだしすぎ」に該当するのでは?と思ったからです。
ただ、自分にとって大切な体験だなと思ったので、自分のためでいいからこれは残そうと思って書きました。
両極端に振りすぎたらダメ、でも真ん中すぎてもおもしろくない。
また、いろいろと考えてみます。
おわりのおわりのおわりに
今後のnoteの方向性としては、もう少し絞ることにします。
絞るというのは、さらけ出しすぎずに、きちんと経営者としての発信をこころがけるようにするということです。
今後、どこかでご縁があり、一緒にお仕事をするであろう仲間・投資家・クライアントに対して、自身の誠実な思いが伝わるように、今後もnote発信を続けていきます。
「アウトプットはスタート」としてスタートしたからこそ、今回の気づきを得られました。それ自体が大成功だなって思います。
今後も、可能な限り「毎日」書いていきます。(少なくとも365日間)
長文・散文を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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