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ひとりの夏

 噎せぶ程の暑さに降参を告げ、扇風機とうちわで涼を取る。それでも汗腺は休むことなく働き続け、額から頬へと流れる雫が首筋まで伝い落ちる。

 独り暮らしのこのアパートの一室は、私の両親の年齢くらいの築年数であり、当然クーラーなどという文明の利器はない。だからこうして夏の間は掃き出し窓を開けて我慢するしかないのだけれど、これがまた中々どうして辛いものがある。

 網戸越しに差し込む陽光も熱を帯びていて、そのあまりの眩しさに私は目を細めた。皮膚をちりちりと焦がすような感覚に耐え切れず、私は部屋の日陰を探して畳の上を転がった。

 畳の上に敷かれた敷布団が、私を受け止める。

 そのままごろんと仰向けになり天井を見つめた。視界には黄色くくすんだ豆電球と今にも抜け落ちてしまいそうな木板が見えるだけだ。

 視線を動かせばそこには押し入れがある。今は襖によって仕切られてはいるが、昔はよくそこから弟が顔を出したものだ。そうして彼は決まって言うのだ、「ねーね」と。

 私はその時のことを思い出しながら口元を緩ませた。

―――――きっとあの子は今も押入れの中で私を驚かそうとしているに違いない。

 そんなことを思いつつ、私はゆっくりと瞼を閉じる。
まどろみの中に意識を沈めていく最中、ふわりと線香の香りが鼻腔をくすぐった気がした。何だろうと思いつつも、もう瞼を開ける気力もない。

 やがて睡魔は私を飲み込み、ずるずると底無し沼に引き摺り込んでいく。

 抗う術もなく敷布団に溶け込んだ私の耳に聞こえてきたのは、遠くで鳴いているセミの声と弟の笑い声だった。


お題
・噎ぶ
・扇風機
・独り

で、書きました。

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