「書く」が、もたらしていること
noteの毎日更新を始めて丸2年が経過した。
はじめた年の年初に立てた目標が、週に3回noteを更新していくことだったから、毎日更新はその時には想像できなかったことだと思う。
今回は、その記念として、2年書いたことが、もたらしてくれたことについて書いていきたい。
気づけるようになった
ふと、2月4日という特に自分にとっては、記念日でもなんでもない日に毎日更新しようと決めた。
できなくても誰かにとって迷惑をかけるわけでもない。そんなに意気込んでいたわけではない。
だけど、自分を変えたかったのは確かだ。
じゃあ、何が変わったか。
今日は何を書こうかと自分に問いかけたときに、日々の生活のなかで忘れそうになっていた大切なことに気づけるようになった。
あの瞬間に自分は何を感じていたのだろうか?
あの人は、何を伝えたかったんだろうか?
ふと立ち止まり考える。
アイデアがふってくるなんてことは、ほとんどない。
でも時々、書いていると過去の出来事が頭にやってきて、最近の出来事の解釈が変わることがある。
また逆に、過去の出来事の解釈が変わることもあった。
じっくり書くことに集中するときに、思い出すという行為も同時にしているから。思い出すという行為は時を超えて、時には子どものときの記憶まで辿り着く。
自分で気づけると行動につながる
ぼくは、他者から言われたことを表面的にしか理解できないことが多い。
理解してないのであれば、聴けばいいと思うかもしれないけれど、理解したつもりになってしまうのだ。
本なんて、まさにそう。読んでいる時は、わかっているつもりになっている。
だから、本当の意味で理解できるのは、別の誰かに伝えるとき。書くときだ。
その瞬間に自分がほとんど、わかっていなかったことに気づくし、書いてようやく掴めたときに、納得して行動しようみたいなところに繋がる。
話すという行為は他者が必要だけど、書くのはノートでも日記帳でもnoteでもそうだけど、いつでもできる行為。
だから、書くようにしている。自分のことを知るために。
まだまだうまくいかないことばかりなんだけど、きっと書くという行為に助けられてきたし、きっと書くという行為に助けられると思う。
やめるかどうか立ち返ったけど、もう少し続けていきたい。