見出し画像

上杉謙信から学ぶ”戦略”の重要性

「敵に塩を送る」
現代でも使われる慣用句だが、これは戦国武将上杉謙信の逸話からきている。僕が一番好きな武将だ。
今日はその上杉謙信の華々しい活躍というよりは、失策(あえて失策と言わせてもらう)から、ビジネスにおける学びをお届けしたい。
謙信ファンには申し訳ないがそこから学ぶことがある時点で偉人だったということでご容赦いただきたい。

どういう人物?

「越後の虎」「軍神」などと言われていた謙信。
その異名から分かるように、謙信の戦ぶりはまさに神がかったもの。
生涯で一度しか負けたことがないというほどだ。(2〜3回とも言われているが・・)
その勝率は9割5分。70戦も戦ってだ。まさに無敵。
ここで比較するのは信長。
信長の勝率は70戦ほどして7割強。十分すごいが。
何を隠そうこの信長にも謙信は圧勝をしている。
川中島での信玄との度重なる戦も有名だ。

「敵に塩を送る」というこの敵は信玄のことで、甲斐にいた信玄は陸に囲まれて海がなく、塩の確保が難しかったよう。北には上杉、南には北条がいたため、正直兵糧攻めをされると若干武が悪かった。
そこで助けの手を差し伸べたのが永遠のライバルである謙信だ。
「お前を倒すのは俺だ。塩ぐらいくれてやる」こんなこと言ったかは知らないが、少年漫画風っぽくて良い。笑
とにかく義に熱く、めっぽう戦に強い。これが謙信だ。

なぜ天下を取れなかったのか

ここで一つの疑問。
これだけ強かった謙信がなぜ天下人として世を統めることができなかったのか。

・軍師(No.2)に恵まれなかった
・部下育成が苦手だった
・政治が苦手だった
・人付き合いが苦手だった

様々なことが言われている。
ただ僕が思う最大の理由は、
「天下統一を本気で目指さなかった」ということ。
天下布武を謳った信長とは圧倒的にこの部分が違う。
謙信自体が天下にそれほど執着がなかったことも大きいが(そういうところがまたたまらなく好き)、信長と比較するのであればここに尽きる。
信長は上に書いた点も上手かったのだが・・。
目の前の戦、そして信仰も大事にしていた謙信。求めるものが違ったのだろう。

何を学ぶか

野望がなかったから?
いや、謙信にも野望はあった。天下無双になる。それは果たせたと思う。
でもそれはなんのためだったのか。成した先に何があったのか。
それが天下統一だったのか、自分の追い求める強さだったのか。
それだけの話。

そこへ至るまでどういう道筋を辿るか、どういうリソースでどういうステップを踏んで達成していくか。
いわゆる戦略の部分だ。

でもそれはあくまで最上位概念に目的というものがあるから。

戦略やそこから降りてくる戦術や策略はあくまでも目的を果たす手段でしかないということ。
天下布武を追い求めた信長と比較したのはそういうことだ。

マネジメントができない、部下育成ができない、チームビルディングができないなど、もちろんスキルや経験が足りないのは一旦事実として、
これらはあくまで目標対比でできているかできていないか。
そのさらに上位にあるのが目的というもの。

そのあるべき姿から戦略は降ろされるものなので、
目的が違えば当然戦略は変わってくる。

曇りなき眼で見定める。

アシタカ・・笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?