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②子どもの「したい」を引き出すワンポイントー2

「学級は支配しない、学級は育てる」
学級を育てるには、「したい」を引き出すための”自分事の問い”を学級で共有する事が大切です。つまり、
「したい」=”自分事の問い”←共有
という話をしてきました。
本記事は、共有についてです。

①何を共有するか?

例を挙げるとキリがないのですが、例えば、「学級」と「授業」だと、何を共有するでしょうか?

学級
・学級目標
・担任の想い
・子ども達の想い
・学級で生じた問題
・学級で乗り越えたい課題
・個人、又は一部の困り
・個人、又は一部の希望  など

授業
・気づいた事
・考えた事
・わかった事
・疑問に感じた事
・問い
・友だちの考え
・自分の考え
・1時間、又は単元を通してわかった事  など

「当たり前やん!」が聞こえてきそうです。でも、考えてみてください。
本当に、学級全体で共有できていますか?
どうやって共有していますか?

もし、これが「共有しているつもり」だったとしたら、子どもの「したい」は徐々になくなっていきます。
年度当初は元気だった子ども達が、発表しなくなった。クラスの事を提案しなくなった。なんて事が起きている場合には、この「つもり」が潜んでいるのかもしれません。”集団解決”や”学級会”など、共有するために設けられた活動名に安心している先生が多いように感じています。大切なことは、その共有場面に全員が参加しているということなのです。

②どうやって共有するか?

「じゃあ、どうやって共有すればいいんだよ!?」という話です。
それは、「したい」と「しなければならない」のバランスをとりながら追い込みます。
ここまで、子どもの「したい」を引き出すと散々書いてきましたが、元来、子どもとは「したい」でいっぱいの生き物なのです。
「なら、どうして引き出さないといけないの?」ですよね?
それは、学校生活を通じて「したい」気持ちを削ぐ作業を、先生達が知らず知らずの内にしてしまってきているからです。

1年生の1学期、何をやってもやる気いっぱい!という印象、ありませんか?
低学年の方がたくさん手を挙げる!という印象は?
低学年の方が運動会の応援で声を出している!という印象は?
これら、心が成長しているから仕方がない…
集団から自分がどう見られているかが気になる年齢だから…と思っていませんか?
もちろん、その考えは間違っていません。しかし、
高学年のやる気がすごい!
高学年の授業がすごい!
高学年で行事が盛り上がる!という場面も、見た事がありますよね?
この矛盾に気付いていながらも、自分をこっそり正当化してしまう気持ち、私にもあります。しかし、ここは自分に厳しく!目の前の子ども達の「したい」が少なくなっているのは、自分のせいだと、言い切ってしまいましょう。
なぜ「したい」が少なくなってしまうかというと、
ヒドゥンカリキュラム
が1番の原因ではないかと思っています。

自分も含めたこれまで関わってきた大人達からは、隠れたメッセージが子どもたちに伝えられます。そして、自覚的又は無自覚的に、規範や価値、信念、知識などを隠れたカリキュラムの中で学び取ってしまったのだと思います。

難しいですよね。
例えば、「自主学習」。1年生に「これはどんな学習をしてもいいスペシャルノートだよ」と「自学ノート」を手渡すと、100%の笑顔でノートを受け取り、自主的にノートに学びを綴ります。しかし、先生がハンコだけ押して返却し続け、さらには、「山田さん!自学ノートが出てない!」などと言うようになったらどうでしょう?次第に、子どもは「自学、めんどくさい!」と思うようになります。
これは、口では「自学は自分のためになるんだよ!」なんて言いながら、実は「自学は面倒だけどやらなければいけない!」という先生の隠れたメッセージが伝わってしまい、子ども達は「自学は面倒だけど、しないと怒られるもの」という事を学習してしまっているのです。

こういう事が、学校現場では非常にたくさん起きてしまっている。さらには、そういう教育を受けてきた保護者は、先生のほんしん部分を言語化して子どもに伝えます。「宿題しないと、先生に怒られるよ!」みたいに。
こうして、子どもの「したい」は少なくなってしまっているのです。

「いや、いつ共有の話をしてくれるの?」って思いますよね?
実は、この話、共有の話だったのです。
ただし、今の共有は、マイナスの共有です。「したくない」の共有。
つまり、これを反対にすればいいだけの話です。

例えば、「自主学習」。1年生に「これはどんな学習をしてもいいスペシャルノートだよ」と「自学ノート」を手渡すと、100%の笑顔でノートを受け取り、自主的にノートに学びを綴ります。
次の日、実は、ごく一部の子どもしか自学をしていませんでした。「してくれないんだ…」と残念に思う気持ちに蓋をして、こう言います。
「みんな、すごいよ!」
「鈴木さんが、こんな風に自学をしてきたんだって!」
「先生もこんな風に自学をしていたら、もっと学ぶことが楽しく思えていたのかも!鈴木さんは学びの天才だね!」
「先生があげたノートをこんなに大切に使ってくれて、先生はとっても嬉しいよ」と。
すると、次の日、「先生、見て!」と朝から子ども達がノートを持ってくるでしょう。でも、まだしてきていない子どもがいる。しかし、言いたい気持ちには蓋をして、自学を楽しんでいる事を取り上げます。直接褒める。ノートにコメントする。学級通信に載せる。そうやって、「自学はイイモノだ」という事をクラスで広めます。さらには、学級通信や電話、家庭訪問、一筆箋なんかを活用して、家庭にも「自学はイイモノだ」という事を伝えます。

「自主学習に取り組んでほしい」という同じ事でも、このように働きかけ方で、大きく変わります。これを価値付けといいます。
元来持っている子どもの「したい」をさらに強めるには、プラスの価値付けを意識する事です。

しかし、プラスの価値付けを続けましょう。それでも、自学をやらない子どもがいるかもしれません。さらには、「そんな面倒な事してんのか?そんなんしなくても何も言われへんし!」と仲間を増やそうとネガティブキャンペーンに打って出たりもします。こんな時にどうするか?1つは、個別の指導です。しかし、この指導で「しないといけないんだよ!」と言ってしまうと、この子にとってはマイナスの価値づけをした事になってしまいます。
「してほしいけど、マイナスには思って欲しくない」
この葛藤、先生をしていたら感じた事があるはずです。
つまり、「しなければならない」をどうするか?です。

「しなければならない」は、温かく追い込みましょう。
例えば、
「全員起立!今日やってきた自学の1番のこだわりポイントをノートを見せながらお隣の人に紹介しましょう。2人で紹介し終わったら、座りましょう。」
「(全員座らない位で)では、みんな座って下さい。」
「上手にお話できてた人に、発表してもらうね。(2、3人指名する)」
「すごいね!今みたいな頑張りはマネしていいんだよ!よし、みんなでマネしあって、自学マスターがもっと増えるように、明日もお話してもらうね」
としてみるのはどうでしょうか?先生が明るく、楽しそうにする事がポイントです。
もし、やっていない子が、困りを言いに来たらどうしますか?
・お友だちの話を真剣に聞いてあげて
・今日、こんな自学してみようって考えをお話して
みたいな返しはどうでしょうか?あくまで、温かくです。
「今日こんな自学をしてみようと思います」と話せていたら、個別にしっかりと褒めましょう。「その自学、見たいな!」「そんなにいい自学だったら、お便りに載せないと!」「載せたいし、やってきてよ!おねがいね!」みたいなやりとりが続くと、どうでしょう?「やってみようかな?」と思いませんか?

まとめます。
「したい」→プラスの価値づけで強める
「しなければならない」→温かい追い込みで「したくなる」のを待つ

それもしない場合は、冷たい追い込みです。
冷たいと言っても、叱らずに追い込みたい所です。これは、別の機会に。

ペアトークやクラス会議のような共有の仕方も、もちろん有効ですが、ここでは方法論ではなく、先生のスタンスで共有について話してみました。

③共有できているか?

先生が全員参加にこだわって共有する。そのスタンスについて話しました。
しかし、みなさん、その共有、本当にできているか試していますか?
私の肌感としては、関わる先生方と話していて、ここが一番できてないと感じています。
共有したら、共有できているかどうかを確認しなければいけません。
いつ?どうやって?どのように確認していますか?


また、長くなってしまったので、続きは次回としたいと思います。
今回は、共有をするために、先生がプラスの価値づけをしていこうというお話をさせてもらいました。


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