推しと私の人生と
昨夜は推しのLIVEだった。
とても心震わすステージだった。
推しの存在は私にとって酸素だ。
あまりに少ないと息苦しくなって、完全になくなると死んでしまう。
…下手だろうか?
例えがイマイチだろうか。
もはや例えないほうが良かっただろうか…。
とにかく、生きていくうえで必要不可欠なもの!
仕事だって、推し活をしたくて頑張ってる。
何人かいるその存在は、欠点さえ愛おしくて、丸ごと愛せるもの。
もちろん、一芸に秀でているところに魅力を感じてる。
でもそれだけじゃ長くは推せない。
ふと見せる人間臭さ、その人間性が滲み出る部分にとても惹かれる。
そんな、尊敬できる部分があるから、何年、何十年と推せる。
推し活は、ただ「楽しい」「可愛い」だけじゃない。
それだけじゃつまらない。
楽しいだけでなく、学びがあったり、自分が生きるうえでモチベーションになったり。
つまり、日常までをもキラキラさせてくれるものだ。
とても大切。
20年以上追っかけている人がいるのだけど、その人は本当に家族同然に大切。
逆に、家族同然に大切にしてもらってるようにも感じる。
こんな幸せなことがあるだろうか?
それだけで私は産まれてきた意味があるように思える。
ずっと推しは一人だったのだけど、最近になって増えた。
贅沢だ。
なにがきっかけだったのかはもう覚えてない。
推しが増えると、推し活の機会も増える。
心底「東京近郊に住んでて良かった」と思う。
アクセスが良くないとこんなには通えないからだ。
私は19歳で、専門学校進学を機に関東に引っ越してきた。
理由は、当時住んでいた関西の水に合わなかったから。
親の転勤で中学生から、神戸で住むことになったのだが、関西独特の当たりのキツさがカルチャーショックだった。
高校卒業まで住んでも、慣れることはなかった。
ずっと関東に戻りたかったのだ。
そんな理由だったけど、推し活のことを考えての引っ越しではなかったけど、今は「過去の私よありがとう!」という気持ち。
また、「専門学校頑張ってこなして、国家資格取ってくれてありがとう!」とも思う。
週2で無理なく働けて、追っかけする資金が稼げるのが有り難い。
これまでは、仕事中心の人生だったけど、楽しみのために働く人生だって良いのではないかと思い始めてる。