【幸せは自己決定力】あの時、先生の言う通りにしなくて正解だった
今年で23歳になり、少しの時間だけ過去を振り返る事があった。
高校卒業まで野球をして、その後には海外に行ったり現場仕事をしたり時間過ぎるのはあっという間だと痛感している。
ひとつ振り返りをして気付いたことがある。それは、自分のしたい事や決めた事に対して否定されることが多いこと。
思い出せる範囲で言うと、最初は中3の高校の進路だった。
いくつかの高校から野球の推薦でお声がけしていただき、勉強が出来なかったことで野球推薦で行くしかないと思われていた。
だが自分には行きたい高校があり、推薦されていなかったので受験していきたいと心から感じていた。もちろん、親も先生も反対していた。
最後は、親も先生も認めてくれて自分の行きたい高校に進学することができた。
さらに高校3年生の秋にも、大学の進路相談でも起こった。僕は大学には行かずに高校卒業後はアメリカに留学したいと思っていた。
特に目標や夢もなく、そのために高い学費を払い4年間という貴重な時間を過ごすより、実際にアメリカという海外に住んだり生でメジャーリーグを見たいという欲が大きかった。
高校は自称進学校で、自分以外は大学や専門学校に行くかプロの選手として活躍するかの二択で就職やフリーターなんていなかった。
クラスメイトからは「海外逃亡」と言われたり、担任の先生からは「行くな」とも言われた。今思うと笑いが出るほど否定的だ。
両親からも大学に行って欲しい願いがあり、学費は払えるから大学に行ってくれと言われた。それでも僕はお金を貯めて渡米した。
今までの決断は全て自分だが、もしあの時全て親や先生の言う通りにしていたら今の自分はどうなっていたんだろう。
自分の行きたい高校には行かず、先生や親の言う通り野球推薦で行っていれば違う運命もあったかもしれないが、一つ確実に言えることは今でも関わってくれている高校で出会った人たちには出会えていない。
僕が進学した高校は超スポーツ校で、毎日プロに行ったり能力が化け物の人と会っていた。そして人格者の先輩も多くて相談に乗ってくれることが多かった。
そして、アメリカへ行かず何となく大学に通っていたらどうなっているだろうか。恐らく平凡な学生生活でアメリカに長期で住んでみたいモヤモヤを持ったままだ。
はっきり言うと、平凡でただ過ごしている自分なんか○んだ方がマシだと途中で退学しているかもしれない。
人生は選択の連続、そして自分の人生なんか自分でしか責任を負えない。
仮に言いなりになって、今の状態を先生や親の言う通りにしたせいだと言っても、必ず知らんぷりする。
不可能を可能にすることは難しいことかもしれないが、可能なことを自分で不可能にしてはいけない。その先入観が可能を不可能にする。
そして自己決定力が、生き方を豊かにしていく。