2019年夏、浜通り取材 6国の風景<終>
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<続き>
双葉厚生病院で折り返し、福島第一原発が最も良く見える大熊町長者原へ向かう。その周辺は、6国の中で最も空間線量が上がる場所でもある。
道路脇に停車し、下車して撮影する(本来は禁止)。15年5月に初めてここを訪れた時もそうやって撮影した。当時に比べると、今は割とすぐにパトカーがやってきてやめさせられるという。
これまで何度となくここからの風景を撮影してきたが、代行バスの中から撮ることが多かった。ここまで綺麗に撮れたのは初めてだ。
18年5月に訪れた時は、この場所にフレコンバッグはなかった。その年の10月に来た時は、既に大量のフレコンバッグが積まれていた。
排気筒の解体はこの日(8/1)から始まった。以前の写真と比べると、新しく建屋を建設しているのがわかる。解体した排気筒を保管するのだろうか。
この日も気温は最高34度。そんな中でも、長袖長ズボンの作業着を来て頑丈なマスクをし、被曝量を管理しながら働く人がいる。
「帰還困難区域でも防護服なしで働いている」とドヤ顔で語り、安全を喧伝する人がいるが、それは明確な間違いだ。防護服を着るのは放射線を防ぐためではない。防護服で放射線は防げない。防護服は「放射性物質を外に持ち出さない」ためのもの。つまり、ここで防護服なしで仕事をしていても、仕事を終えたのちに作業着を回収してしっかり洗濯(除染)をすれば問題ない。
僕らが帰還困難区域に入域した時も、ただのビニールの使い捨ての雨合羽だが、「防護服」が支給された。それは、そのまま着て帰ることは許されない。スクリーニング場で回収され、放射性廃棄物として処分される。
「公益目的」として自治体から許可をもらうことで帰還困難区域への入域が許される場合がある。その場合は、防護服を自ら用意しなければならない。ここで、目的地の線量が低いことを理由に、防護服を用意せずに入域する業者が出てくる。自治体の企画した視察ツアーでさえ、防護服なしで入域することがある。東電や自治体職員が、「防護服もいらないほど復興しました」と頓珍漢なことを言う。そういった「グレーゾーン」があるために、「未だ帰還困難区域があるのは防犯のため」などといったデマが流布される。非常に迷惑で、許し難いと思う。
手前の家は、初めてここを訪れた4年前から何も変わっていない。どれだけ汚染されているだろう。
凄まじい螺髪の山。大切な財産が廃棄物に。
この家も車も、あの日のままだ。
炎天下の中、ここでも働く人がいる。
「特定復興再生拠点区域」が設定され、大熊や双葉の帰還困難区域でも急ピッチで除染作業が進んでいる。全ては東京五輪のため。聖火リレーが走る場所を徹底的に除染、解体し、何もなかったかのように、復興したかのように演出し、能天気にランナーが聖火を掲げてのんべんだらりと人の住まない(宿泊は禁止、以前の居住制限区域と同じ)避難区域を走り抜ける。
ふざけた演出で、僕の知る限り歓迎してる避難者はいない。現地に住む人も、聖火ランナーが走ったから復興したとは思わないし、そう思われたらたまらないのではないか。
眉間に皺を寄せて、なんとも言えない気持ちで車に乗り込み、道の駅ならはを目指すことにする。
4.38μSv/h。この日の最高値だ。車に乗ってるのでさほど怖さは感じない。徒歩で毎時3μSvの場所を歩く方が怖い。
道の駅ならは。17年3月、竜田駅に来た時に、Jヴィレッジやここまで歩こうかと考えたが、結局やらなかった。
96年作と書いてある。いつ寄贈されたものだろう。震災で避難指示が出ていた頃は、この絵はどうなっていたんだろう。
17年3月に調べた時は、ここはただの休憩所でしかなかった。今は道の駅らしい施設になっている。やや寂しい感じはあるけども。
メダカを売っていた。
僕がここを訪れた時は、どこかの高校のサッカー部の生徒たちが訪れていた。この辺りは空間線量は比較的低いが、それでも首都圏の2〜6倍はある。低線量ではあるが、場所によって毎時0.23μSvも超える。そして、最近の報道で、Jヴィレッジ周辺に地表面70μSv/h、地表1mで1.7μSv/h等、複数のホットスポットが確認された。
https://www.env.go.jp/press/107536.html
環境省は除染をしたと言うが、それでも0.39μSv/hと0.28μSv/h。首都圏なら立ち入り禁止だ。
ここに高校生を連れてくることに、僕は反対だ。
年に1度や2度ならともかく、ここでサッカーをさせたり、ここで生活させることは、僕に子供がいたらそれはやらない。
…これは僕の考えだ。批判される謂れはない。
広野の火力発電所。よく調べずに初めて訪れた人は、一瞬、原発の排気筒と間違えるという。
火力発電所の向こうに…これは2Fの先に見えたクレーンだ。
この日の空も海もとても青く澄んでいた。この海を汚した原発事故を呪った。
向こうに見えるのは四倉。15年5月に泊まった蟹洗温泉があるところ。食事処は決して安くなかったが、味も量も満足できて、素晴らしい温泉だった(健康ランドスタイルで、一泊3000円で泊まれた)。しかし…
オーシャンビューの素晴らしい温泉だったが、防潮堤でぶち壊しだ。これは本当にショックだった。宮城でもそんなところばかりだという。
東日本大震災に乗じて土建屋がホクホク。不当に低い賃金で全国から労働者を集めてこき使い、役員だけが焼け太り。そして今はそんな奴らが東京五輪に群がる。
本当に、残念でならなかった。溜息しか出ない。
海水浴場は再開していて、綺麗なのだけど。
青い蒼い海は綺麗なのだけど。
午後3時にはいわきに到着し、Sさんとはそこで別れた。本当ならば猛暑で全身から塩を噴き出して死んだように帰っただろうが、そんなこともなく初めて見る場所もたくさんあり、とても助かった。ありがとうございます。
今度は飯舘村を案内してもらおうと思う。
帰宅後は郡山のお酒、雪小町で一献。こまちと名のつく酒に目がありませんw
真夏の福島県浜通り。個人的に、やはり徒歩の方が地味な発見があっていいと思うが、気温34度の猛暑とあってはそうもいかない。葛尾村や田村市は実は初めてだったが、この時に見たフレコンバッグの仮置場が、のちに台風19号であんなことになるとは思いもしなかった。なんたる偶然だろう。
詩集「紅」の制作のために急遽取材に訪れたが、この時に見たものはあまり生かせなかった。しかし毎度毎度発見はあり、12月の個展で一部は生かせたように思う。まだまだ見たい場所はあるし、定点観測的にまた行きたい場所もある。そこで僕が見たものを僕なりの表現でアウトプットし、そしていろんな人に届けたいとしみじみ思った。
なかったことにされないように。
<終わり>
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