文脈くん
文脈は、アートであれエンタメであれ、コンテンツを商品として成り立たせるためにはきわめて重要な役割を担います。アートビジネス、コンテンツビジネスが成立するか否かは、ほとんど文脈にかかっているのです。ぼくはこれまで、その文脈についてさまざまな研究をしてきました。それをご紹介していくのが、このマガジンのコンセプトです。また、その文脈についての論考をビジネスとも結びつけ、仮説を展開していきます。このビジネススキームの仮説が、みなさんの役に立つことを目指します。記事は月10本ほど、つまりだいたい週2のペースで五月雨式に発表していく予定です。
文脈とは何か? それは、価値が生成される過程の物語のことだ。人は、物語を必要としている。なぜなら、物語の真贋なら鑑定しやすいからだ。それゆえ、ものごとを見極めるとき、文脈を必要とする。 文脈に則った作品は、価値を認めやすい。例えば、モナ・リザという作品がある。モナ・リザは、イタリアを追われたレオナルド・ダ・ヴィンチがフランス王に招かれ、その地で亡くなったため、フランスの所有物としてルーブル美術館に所蔵されることになった。つまり、ダ・ヴィンチやモナ・リザの価値をイタリア人は
今日は誰にも言えないようなことを書いてみたい。
ネットを見ていると、最近「若き老害」が急激に増加しているように思われ、モヤモヤする。特に、おそらく氷河期世代くらいの人たちに、「若き老害」が多いのではないだろうか? ところで、「若き老害」とは何か? それを説明する前に、まず「老害」とは何かを見ていきたい。 「老害」とは、時代遅れの誤った価値観を、今でも通用すると思い込んで若者に押しつけてくる老人の行為、あるいはそれをする人物のことである。 例えば、昔はよく「男性が髪を伸ばすのはおかしい」と言う老人がいた。しかしそういう
「はじめにお断り」 今日の話は「感性」で書き殴っているので、まとまりや落ちはありません。あしからず。 「ここから本編」 今は端境期だと思う。どういう端境期かというと、「データ期」から「感性期」へと移行する、その端境期だ。 このイチローの記事を読んでいたら、そんなことを思った。
トランプ氏の大統領当選や斎藤元彦氏の知事当選で自身の「エコーチェンバー」に気づいた人が多いらしい。つまり、自分の周り(特にSNS)では彼らが不人気で、当選するはずがないと思っていたのに、それが実はマイノリティの意見だったと初めて気づかされる。そうして、自分がエコーチェンバーの罠にハマっていたと、初めて知るのだ。 ただし、これに気づける人もまだ少数で、大概は「おかしい。そんなはずはない。何かの陰謀ではないか」とエコーチェンバーの存在すら認められない。そうして社会はますます分断
左翼界隈の人はよく「資本主義の限界」などと口にするが、本当に限界なのは「資本」主義ではない。それよりも限界に達している「主義」がある。それは何主義か?
昨日すごいことに気づいたので書き留めておきたい。 それは「美とは何か?」ということについてだ。それが分かったのだ。美とは何かが分かったのだ。 「美とは何か?」 それはホメオスタシスのことである。恒常性のことだ。バランスのいい状態に戻ろうとする力のことである。 それは茶室についてずっと考えながら、庭作業をしているときに気づいた。庭作業をしながら、「なぜアシンメトリーは美しいのか?」ということを考えているときに分かった。 人間はシンメトリーを美しいと思うが、同時にアシンメ
世の中には「分かった気になっている人」というのがけっこういる。それはぼくの本がヒットしてインタビューをたくさん受けてから気づくようになった。インタビューでは話が通じないことが多い。ただし全く通じないわけでもない。体感で1割は通じるだろうか。残りの9割は通じていない。 なぜこういうことを思い出したかというと、この記事を読んだからだ。 この人は、残念ながら9割の方の人である。それで、「分かった気になっている人」の正体、というものが分かった。世の中には、なぜ分かった気になってい
「努力」についてあらためて考えさせられる記事がnoteにあった。 この記事の作者は映画『ルックバック』が見られないそうだ。なぜなら原作のマンガは読んだのだが、そこで主人公が脇目も振らず努力する姿を見て、同じマンガ家の自分は努力をしていないということを痛感させられ、打ちのめされたからだそうである。 この記事は多くの共感を集めているが、ぼくからすると「根本的な誤り」を抱えている。その誤りとは「努力をしなければならない」と考えているところである。努力を無批判に信奉しているところ
ぼくはかつて松本人志氏とも仕事をしたことがある。といってもほんの少しだったが、しかしそのときの強烈な印象というものもある。そういう観点から、松本人志氏の今後について予想してみたい。
昔、こういう話を聞いて印象に残っている。 「トマトが嫌いな人は、本当に美味しいトマトを食べたことがない人だ。本当に美味しいトマトを食べたら、トマトを好きになる」 これを聞いて、妙に納得した。ぼくはトマトは嫌いではないが、しかしトマトにはどこか「人工臭さ」が残る。「本当はもっと美味しいトマトがあるんじゃないか」という物足りなさが残る。 スーパーのトマトはたいてい味がしない。味がしないから不味いとも思わないのだが、あれを不味いと感じる人がいても不思議ではないように思う。「独特
ネットを見ていると、リベラル側からの「なぜハリスが負けたのか?」という分析記事が多い。そして多くのリベラルが「トランプが買ったのではなくハリスが負けた」と結論づけている。 なぜかというと、彼らはどこまでもトランプの勝利を認められないからである。だから、「トランプの勝利ではなくハリスの敗北」という言い方をする。 ではなぜトランプの勝利を認められないかというと、それはトランプが大嫌いだからだ。なぜ嫌いかというと、自分たちの価値観を否定するからである。それも論理的な価値観ではな
大統領はぼくが予想したとおり、というか予想するまでもなくトランプが勝利した。そこでぼくが思うのはなぜこれほど明らかなことが分からない人が多いのかということだ。ハリスが勝つ要素は何一つなかったが、それでもハリスが勝つと思った人は多いし、またそれ以上に「勝たなければならない」と考える人が多かった。今日は、そのことについて考えてみたい。 これは一つの「分断」である。それもよくいわれる富裕層と貧困層の分断ではない。古い勢力と新しい勢力の分断だ。 なぜ富裕層と貧困層の分断ではないの
みなさんは構造について考えたことがあるだろうか? ぼくは若い頃、構造について考えたことがほとんどなかった。ただ表層だけを見て、感覚的に動いていた。 だから、今考えると失敗が多かった。いい失敗ではなく、ムダな失敗が多かった。そのムダの積み重ねの末、とうとう自殺未遂まで追い込まれたのだ。 その後、いろいろあって考えるようになった。自分の身に降りかかった理不尽な出来事を、ただ理不尽と受け取るのではなく、その背後にある構造を読み取ろうとした。特に、当初は全く理解できなかった最初の
YouTubeで大地の再生の矢野智徳さんの動画を探していたら、こんな動画に行き当たった。 内容は、矢野さんが神宮外苑の再開発について、大地の再生の視点からその本質を語るというものだ。1時間を越える長い動画だったが、全部見た。かなり面白かった。 要点をかいつまんで話すと、江戸あるいは東京という街は、秩父山系に端を発して東京湾に流れ込む荒川と多摩川に挟まれた水域(流域)のことを指す。この水域全体がまさに「東京都」の形をしているのだが、この荒川と多摩川に挟まれた扇の要のところに
Instagramのショート動画をつらつらと見ていたら、こんな言葉が聞こえてきた。 「自分の悪口を言う人はどんな人か?」 その答えは、「自分を引きずり下ろそうとする人」だそうである。悪口を言うときは、それを言うことで、相手を自分のレベルまで引きずり下ろそうとしている。その意味では、悪口を言う人は相手を「上」に見ているのだ。上に見ているからこそ、下に引きずり下ろそうとする、というのである。 実際、立場が上の人は、下の人の悪口を言わない。相手にしないか、そもそも眼中に入って