僕を天才と呼ぶ人へ
僕はしょっちゅう怪我をする。
去年も今年もどうしようもなくなって足首の手術をした。
けれどもフィンスイミングで学生日本代表になり、前回の日本選手権では2位となった。
2年前の僕は、デザインの「デ」の字も知らなかった。
本当に訳が分からなくて、すっとこどっこいな案をいくつも出した。
けれども一年生の時の成績を認めてもらって、2年時には学業特待に選んでいただき、去年はACジャパンの広告学生賞で奨励賞に選んでもらった。
僕は大学に入るまで一眼レフカメラなんて触ったことがなかった。
けれども今ではこんな写真が撮れるようになった。
僕は「天才」と呼ぶ人がちらほら現れた。
僕は約4年半前にフィンスイミングを始めた。
高校1年生の10月ごろだっただろうか。
2歳の頃からずっと競泳はやっていた。
けれども最初にフィンスイミングをしたときは、水揚げされた魚のような泳ぎ方だった。
25mを全力で泳いだが、フィンをつけない方が速かった。
でも、その不自由さ・難しさの虜になって、今でも続けている。
「全然出来ない」という歯痒さが僕を焚きつけた。
これまで練習中はずーっと
「もっとこうした方がいいんじゃないか」
「少し大げさに動きすぎたかもしれない」
と、本当にずーっと考えながら泳いでいる。
練習後も、しばらくずーっとその日の泳ぎを振り返っている。
家では毎日30分〜2時間のストレッチをしている。
食べるのがきつい日も、たくさんご飯を食べるようにしている。
高校の時は、栄養素のことをやたらと調べて、いつのまにか無意識に栄養バランスの良い食事を摂るようになった。
食事の時間、休息の時間も換算したとすれば、
僕は24時間のうち、8時間くらいはフィンスイミングに充てていると言えるだろう。
僕は大学に入るまで、デザインのことなんて考えたこともなかった。
高校には美術の先生もいなかった。
だから、平面構成だとか、デッサンだとかそんなワード、全然意味がわからなかった。
だけど分からないままで何もしない、なんてことは一度もなかった。
先生の説明で理解できなかったところは必ずメモして後で調べた。
作り方の分からないデザインは、最初はネットで拾った画像を参考に作り、後で再度自分で作り直していた。
だから人一倍時間がかかって、課題の忙しい時期は2週間連続で4〜5時間睡眠を繰り返した。
課題で遅れても部活は欠かさなかった。
体力の限界突破はしょっちゅうあった。
功を奏して、最近ではそれなりにスタートラインに立てているような気がしている。
僕は、大学一年の9月まで、一眼レフカメラなんてまともに扱ったことがなかった。
露出補正とか、F値とか、まじで何それ美味しいの?状態だった。
でも、シャッターを切って、想いに留まった像を写し撮れるその作業に魅了されて、ズブズブと沼にハマっていった。
ものの一年で、人にある程度のことを教えられるくらいには成長した。
けれども、専門用語だとか、いい写真の構図だとか、そんなものは数え切れないほどあるから、ただカメラを触っているだけでは身につけることができなかった。
分からないことや、興味のあることがあったら、パソコンで1時間でも2時間でも、なんなら5時間くらい調べ尽くした。
それでも分からないことも何度もあるから、分かるまで何日もかけて調べた。
周りの人に聞いても誰もそんなことは知らないし興味もないから自分1人で調べた。
すると、いつの間にかセンスが磨かれ、
自分でもハッと息を呑むような写真が撮れるようになった。
課題の制作が遅れていたのはこのせいでもあった。
そして、いつの間にか僕は
「変な人」と呼ばれるようになった。
でもこれだけは伝えておきたい。
僕の、才能と呼んでいいのかも分からない長所は
1日1秒を無駄にしない精神で成り立っている。
だから僕の評価を自分の基準だけで行なったり、
それで勝手に絶望するのはやめて欲しい。
誰にだって可能性はあるのだろうから。