ソフトウェアオブジェクトのライフサイクル/テッドチャン
難しい問題提起
デレクの視点⬇️
ロボットの脳手術 or 好きな人の脳手術
どちらを許容するか
人間(好きな人)にアドバンテージ がある
加えてロボットそのものがしたいと言っている
アナの視点⬇️
何としてもロボットに脳手術を受けさせたくない
だから自分が代償を払う。(脳手術)
デレクと違って、好きな人より子供を選ぶ
感想⬇️
このようなデレクの選択肢を後押ししているのは、アナへの気持ちが決定打だが、人間の性質である、未来のリスクにおいて過小評価しているのが伺える。
愛と1括りでは言えない。 恋愛と親子愛で分ける。
文脈があるが、以前から気持ちを募らせているデレクは恋愛を選び、アナは親子愛を選択。
ここから言える事は、長期的に最も愛を注げている期間が大事だと思う。
性という物に私たちが反感しているのも伺える。
言葉では発言しないが、内心では風俗とか売春婦とかを軽視している。
実際私も悔しいがそうである。
思考実験 自分が好きな猫だとしたら ⬇️
「現状」
現在私たちは、猫たちに去勢を行っている。
つまり逆の事を採用している訳だ。
これの理由として感染症や、私たち人間が飼うのに適さない行動をするからだ。
猫の性に対する考えは分からないが、我々は性行動を規制している。道徳的に正しいかと言われるとグレーラインだが、お世話するという免罪符でそれを選択している。
本来あるべき姿を大事にと反証は出来るけれど、実際に絶滅させないように、人間に迷惑をかけないように育てろと言われると縦に振りずらい。
結局は人間を第一にしている。
「猫が生殖機能を持っていなかったら」
脳手術をして性機能を作るとなると反感をもつ。
その猫が言語を介してしたいと伝えてきてもだ。
この嫌悪感は、違う生命体同士が性の関係になるという気持ち悪さと、性というのは元から与えられるべきであるというある種の神聖化を行っているからだ。
まだ譲歩出来る点は、肉体を持つ事で、後に考え方が変わって嫌になっても、体の影響などで辞めざるを得ない点だ。(売春婦になるという前提)
ロボットは後に嫌になったとしても、永久にやらざるを得なくなる。そこが非常にネックだ。
しかし辞めたいと言ったら、辞められるのなら話は別になってくる。
嫌になっても辞められないなら答えはNOだ。
しかし嫌になっても辞められるとなったら?⬇️
ここで反論出来る点は、著書に出てくる経験不足というもの以外にないかもしれない。
ちょっともう1回読みたい。
1回目 普通にありじゃない? けど育ててきた子供に、脳手術をして性を転換させるのは出来ない
性に対して負の感情を抱いている。
感情を持っていてもAIを停止していいのか⬇️
前提:AIが意識をもっている
命あるものに対しては、最後まで幸せにするという認識が私にはある。
しかしこれを深掘りすると、自分のペットや子供に限定される感情が浮き彫りになった。
つまり、警察犬などの愛情を与える事を第1優先に目的としてない動物に対しては、あまり感情移入できていない。
これの理由として、自分の好みの体型をしていないというエゴ全開の、人間にも当てはまるものを持っているからである。
しかしその犬と意識をもつAIに対して、法的権利を持つという意見に対しては、分断している。
犬には与えていいが、AIには頷けない。
理由としては、知性が人間より賢くなるリスクがあるものへの恐怖と、実体化していないものへの軽視が当てられる。一方で、従業員としてAIが実体化していても、怖いので賛成できない。
映画エクス・マキナみたいに裏切られそうという恐怖と、映画アイロボットのような関係に憧れている自分もいる。
➡️本題に戻ると、ペットの放棄とAIの停止とは少し本質が異なる。過程において苦しむかどうかだ。だからこの著に出てくる人間は、短絡的に停止できている。
私も恐らく停止してしまうだろう。もしもそのAIを作った責任者としたら話は別だが、やはり苦しまないという免罪符の元、行動に移すのは容易い。気持ちでこそ敬意を歌っても、行動にはできない。
停止できてしまうという選択があると、おざなりになってしまう。
永遠に付き合う事になったら、人間と同様に努力していくのは自信がある。
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