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嘘みたいに静かな午後だった。太陽の光がふわりとリボンのように降り注いで、その先にいるメイアンは祝福されているみたいだった。この学校がそういふうに、神様を信じなさい、と教えているからではない。教会なんてものがあって、旧い、誰も使わなくなった廃墟が残されているから、という訳でもない。
「あらボニカ。いたのなら声をかけてくれたら良かったのに」
「…少し、見惚れていて」
「ああ、この天使様に? それは分かるわ。私もそうだったもの」
本当はメイアンに見惚れていたのだったけれど、それを訂正する意味もなかった。メイアンはボニカ、とちゃんと名前を呼んだけれど、それは此処を出て学校に戻ったらまた忘れてしまうものなのだから。
嘘みたいに静かな午後だった。メイアンだけが本当は天使なのだと、現実がそんなものであったら良かったのに、と思う。
「ボニカとお話するのは楽しいわ」
メイアンが笑う。それが嘘ではないと分かっている。こんなに嘘みたいな午後なのに、此処には真実しかない。
「メイアンの背中にも翼があったのかもしれないね」
「私に? そんなことはないわよ」
「どうして?」
「だって、」
天使様はもっと、幸福な顔をしているものでしょう。
メイアンが此処にやってくるのは、学校という容れ物がつらいからだった。知っている、それくらいのこと、すぐに分かってしまう。一体どれくらい見てきたのか分からない、一体どれくらいのメイアンを、メイアンたちを、見送ってきたのか分からない。
「ところでボニカ、この旧い建物には怪談話があるって知っていて?」
「真夜中に増える十三段目の階段の話?」
「いいえ」
嘘みたいに、静かに。
真実を語るような唇を、止めることは出来ない。
「此処には世を儚んだ生徒が天へ還れず、彷徨っているという話」
止めることは出来ないけれど、訂正することは出来た。出来てしまった。それがメイアンにとって、優しくない話でも。
「そんなの嘘よ」
「そう?」
「だって、幽霊なんていないもの」
「ボニカは天使様を信じているでしょう? 神様も」
「ええ」
「幽霊も」
「だからこそ言い切れるわ。此処に、幽霊は彷徨っていない」
「………そうなの」
きっぱりとた口調に、メイアンは少し、寂しそうに呟いた。
「でも、そうよね! 確かに、天使様がそんな生徒を放っておくはずがないわ」
「…うん」
「私ったら、馬鹿みたい。もし―――もし、それが、本当だったら、私―――ずっと、ボニカと一緒に、いられる、なんて、そんなことを、一瞬でも………」
「うん」
いいよ、と呟く。耐えきれなくなったように、メイアンはわっと泣き出した。授業の鐘には間に合わないだろう。そこをどうにかしてやることは出来ないけれど。
「メイアンが望むのなら、また、話をしに来て良いから」
「…ありがとう、ボニカ」
「いつでも、此処にいるから」
「そうよね、ボニカはいつでも此処にいるわ。…あれ、でも―――授業は? ボニカ、リボンタイをつけていないけれど…何年生………」
ぼう、と。
メイアンの瞳が少し、暗くなって。
「私、何か言いかけたかしら?」
「次の授業は何だったか、気にしていたようだけど?」
「次は、化学だから。私、化学が得意なの」
「一つでも得意なことがあると、嬉しいよね」
「そうね!」
きらきらと、涙を弾ませてメイアンが笑う。
授業の鐘が鳴った。
鳴って、でもメイアンはまだ少し此処にいるようだった。
「ボニカ」
少し腫れた目は、あとで冷やすように言う。
「お話を聞かせて」
「どんな話が良い?」
「そうね、じゃあ、薔薇の下で内緒話をした女の子の話」
「良いよ」
何度も繰り返されてきた真実を、この唇は簡単に語ってみせる。
でもそれで、メイアンが、メイアンたちが、これまでの、これからのメイアンが。笑うのならばそれで良いのだ。
ひどく軽くなった背中のことを思いながら、この彫像の翼もさっさと朽ちてしまえば良いのにな、とその思いには蓋をした。
▼詩集「午後の秘密」
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