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琉球古典芸能コンクール2021・その②私の「稲まづん節」について考える

 今年のゴールデンウィークもステイホームが呼び掛けられている中、琉球古典芸能コンクールの応募が無事に終了し、コンクール本番まで4ヶ月に迫った。

相変わらず山内先生は上京できずにいる。
ゴールデンウィークが終われば山内先生は沖縄から来ることができる、コンクールまであと3回はレッスンが受けられるはずだからギリギリ間に合う、時々焦る気持ちをなだめながら自主練習を続けた。
しかし、東京、沖縄の緊急事態宣言の発令、沖縄の緊急事態宣言延長とコンクールを受けたい私にとっては、嫌がらせと思う状況が続き、対面でのレッスンはコンクール前日まで受けることができなかった。
予定されていたレッスンが中止になる度に心が折れそうになる。
きちんと練習が出来ているのか、間違って覚えている場所はないか、抑揚が自己流になっていないか、不安材料をあげればキリがないが練習を続ける。
私に与えられた環境だと自分を鼓舞した。

往復1時間の通勤時間、車の運転中に先生から頂いた音源を何度もリピートし、喉がカサカサになるまで歌った。
夕食後は皿洗いは夫にまかせて暗譜の作業、苦手な部分の繰り返し練習、三線の手の確認、山内先生の音源と共に三線にかじりつく。今年の新人部門を受ける誰よりも「稲まづん節」を歌って弾いてやると、がむしゃらに取り組んだ。
きっと「稲まづん節」が体に馴染んだら、本番でも手が自然に動いてくれるはずだと信じるしかなかった。

コンクールまで1ヶ月を切るころ、こんなことを考えた。私らしい「稲まづん節」ってなんだろうっと。
生意気にも表現力とやらを気にする。

ふと、宮城県石巻市で米を作っている叔父を思い出す。秋になるとドーンと豪快に米が届くのが恒例行事になっていて、「今年も良い米だった。」とか、「ダメな米も多かったけど、美味しかった」など、その年の米の評定を教えてくれる。
豊作の年には一段と明るい声だ。
豊作は人を幸せにするのだ。
「稲まづん節」は豊作の喜びが詰まっている歌だと改めて噛みしめる。 
想像しながら歌ってみよう何かが変わるかも。
だから、通勤経路に続く田んぼで作業をしている人や幼稚園児と同じくらい大きい散布用のヘリコプターを面白そうに試運転している人を見かけては「あの人の蔵が米で一杯になりますように」と思いながら、時には、仮想審査員を目の前に「豊作の宴で私は歌三線を披露している、目の前の審査員たちは泡盛でご機嫌になっている人たちだ。」と想像しながら練習した。

そして、またまた気づく。今までバカみたいに歌って弾いているのに「稲まづん節」の琉球舞踊を見たことがない。
さっそくYouTubeで動画を検索し、練習しているテンポで踊っている動画を凝視した。片手に稲穂を持ち、全身で深い深呼吸をしているかのような優雅な佇まい。歌三線は寄り添うが、控えめな存在感は品があった。「控えめでも存在感がある」って良いじゃないか。
試行錯誤の中、こうして「私の稲まづん節」は出来上がった。
つづく。










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