三線職人、銘苅春政さんの話
握手をしたその人の手は柔らかくしなやかで、たゆまぬ情熱に満ちていた。
沖縄古典音楽の歌三線を始めて6年が経ち、歌う楽しさ、楽器を触る楽しみを知った。
歌って弾ける曲が増える一方で、少しサボるとあっという間に下手になる。先週まで出来ていた事が2、3日サボっただけで今週は全くうまくいかない。
この先、何があるわけではないのに焦る。
焦って、焦って練習してまた出来るようになるとホッとして落ち着く。その行ったり来たりを繰り返をしていると、これは果たして上達するのかと疑心暗鬼に陥る。
特段、強制されているわけではない。
もっと気楽に楽しめば良いことである。
一方で師匠の山内昌也先生の演奏を聴くと、あんな風に人を引き込む歌三線を身に付けたいと目標がグググと上がるので目が血走る。
歌三線を始めて、テレビや雑誌で三線が登場すると即座に反応してしまう様になった。
三線職人の銘苅春政さんの存在を知ったのはテレビ番組「情熱大陸」だった。
テレビの中の銘苅さんは、かなりの高齢と見受けるが硬い三線の木にノミを入れている姿は、細身の体のどこに力強い音を立てる力があるのだろうと思わせた。
銘苅さんの作る三線の魅力に全国から注文が入るという。オーダーメイドの三線は数年待ちは当たり前、日本中の歌三線奏者が自分の手元に三線が届く日を待ちわびているのだ。
ただし値段も桁違いである。
庶民がホイッと買える代物ではない。
到底、私には銘苅さんの三線を手に入れる財布の余裕はないと言う前提でテレビを観ていた。それは遠い国に住む、決して会うことはない人を見る感覚だった。
しかし、銘苅さんに会ってしまった。
正確には、会いたくて会いに行ったのだ。
銘苅さんの工房は沖縄県南部にある。
青い海を眼下に見下ろす見晴らしの良い風が良く通る集落に銘苅三味線店の大きな看板を見つけた時に、私の心臓は一瞬リズムを忘れたと思う。
恐る恐る庭先に入ると自宅の隣に見覚えのある工房があった。扉は全開で小上がりであぐらをかいた銘苅さんが見える。
情熱大陸で見た映像と全く同じだ。
銘苅さんは工房を逃げ腰で覗き込んでいる私に気づくと、何を聞くことなく中に入るよう声をかけてくださった。
緊張で何を話せば良いのか分からずフワフワしている私に銘苅さんは「この竿は東京に住む人からの注文でもうすぐ東京に行く、こっちの木はまだまだ寝かさないとね。」と三線の竿に使われる木のことを色々と話してくれた。
とてもサービス精神旺盛で、あぐらをかいて、足の裏どうしを付けた状態からどこにも手を触れないで立つという謎の技を何度も何度も披露してくれた。
90歳を過ぎているとは思えない身のこなしにちょっと心配になったが、そんな心配は無用とばかりに繰り返す。
あぐらからスッと立つ度にちょっとニンマリする表情が小学生みたいで可愛らしい。
銘苅さんは三線職人であるが三線奏者でもある。その腕前は師範代だ。私など足元にも及ばない。
私が歌三線を習っている事を伝えると、「趣味を持ち続けなきゃ人間はダメだよ。趣味があるって良いこと。続けなさいよ。」と言う一言は継続しなければというプレッシャーより、歌三線を続ける先に良い景色を見ることができるから信じなさい、と背中を押してくれるように思えた。
私は続けて、当面の目標が琉球古典芸能コンクールの優秀部門の合格であるが、間に合う気がしない、合格する想像がつかないと会話の語尾が少々弱気な具合で話を続けると、銘苅さんは言った。
「焦ることはない。とにかく何度も何度も弾いて、歌って、自分のモノにしてからでないとね。歌に重みが出ないよ、上手く弾くだけじゃねダメだね。焦らない事が大事だよ。自分のモノにするためにはね、視野を広く持つことも忘れないで。視野を広くすると歌にドンッ!と厚みが出るんだよ。」
気持ちに余白ができたように、何かフワリと軽くなった。
銘苅さんの話を聞くまでは上手く弾くため、歌うため、人前で恥ずかしくない演奏をするため、コンクールをパスするために三線を弾いていた。
しかし今は違う。
自らの歌三線にたどり着くために弾いて歌いたい。
上手いとか、人が聞き惚れるとか、たまに欲が出ることはあるが、それはお愛想。
オリジナルの芸術作品を作り上げるために歌い込んで、弾き込む事を意識する。
まだまだ趣味の域を越えることはないが三線と向き合う時間は自然と気合いが入るのだ。
銘苅さんが確かな目で三線を産み出していると想像すると、私は今日も三線に手が伸びる。
来年も1日でも多く三線に手を伸ばし、まだ見ぬ世界を手繰りたい。