琉球古典芸能コンクール2021・付き添い編
琉球古典芸能コンクールの歌三線新人部門の本番を間近に控えたある日のことである。
先生から私の本番の2日後の同じ新人部門に先生の門下生がエントリーしており、その日は先生が最後まで付き添えないので、お手伝い出来ますかと言われた。
私に務まるのかしらと思ったが、私の三線人生にとって良い経験になるだろうと直感し快諾した。
しかし、付き添いとは何ぞや。
これが後々、結構重要ポジションだということが分かる。
私がコンクールの出場の日、先生に付き添いについて質問した。先生は「今日の私のように動いて下さい」と言ったので、自分の演奏準備と平行に先生の動きを観察し、違った意味で気持ちを引き締めていた。
私が付き添うことになった門下人は台湾人のSさんで、三線との出会いは留学先の四国の大学だったそうだ。ゼミの先生の趣味が三線だったことをきっかけに三線の魅力にとりつかれ、しかも琉球古典音楽を学びたいと沖縄に引っ越してきた行動派である。
付き添い当日、琉球新報ホールのロビーでSさんを待つ。演奏者だった2日前とは明らかに気楽であり、ロビー内をキョロキョロ、冒険心がうずき、意味もないのにウロついた。
さんざんウロついて、ロビー入り口に三線を背負っている長身の男性が立っていることに気づいた。
受付のお姉さんがその男性を指差しして頷く。お姉さんは「あれがSさんだよ」っとジェスチャーで教えてくれたのだ。
私は受付をした際、先生からSさんのフルネームを聞きそびれていたことに気づき、演奏者名の欄にSさんの名前を書く時に、もたつき、「今日が初対面なもんで」っとブツブツと呟いていた。
Sさんはまん丸メガネが良く似合う青年で、流暢な日本語を話し、私の日本語よりはるかに言葉使いが丁寧だった。
山内先生の鮮やかな着付けが終わり「すみませんが、よろしくお願いします」っと先生は颯爽とホールを後にする。多少の心細さを感じなからも、自らに与えられた今日の使命を全うしなければならない。
「モニターで舞台の様子が見れるので行きましょう」っと別室に移動する。
モニターを見てSさんは「ステージがすごく広い!」
動揺しているのが手に取るように分かった。
なぜなら私も一昨日のコンクールのまさにこの瞬間、同じことを感じたからだ。
「カメラの位置だと思います。実際は結構コンパクトなステージですよ。」と声をかける。本当は「美しいステージですよ」と言いたかったが、それは私の主観であり今日の主役はSさんだから、でしゃばってはいけない。一連の所作にも師匠によって多少の違いがあり、戸惑う様子があったので「教えもらった所作で間違いないですから大丈夫です。」と伝えると「ふぅーっ」と胸を撫で下ろす。
私は付き添っているだけだが、演奏者のあれやこれやの不安感が軽減する情報を伝達する重要な役割だ。
限られた空きスペースで短時間の声出しをして本番を待つ。
Sさんが持っている三線のことや、日頃の練習方法、好きな歌三線の曲についてなどなど、お互いの三線談義は止まらない。歌三線を捉える視野が広がるようでワクワクしっぱなしだった。
あっと言う間に本番が目の前まで迫り、舞台袖に移動する。
舞台からは乾いた三線の音が聞こえ、三線談義でリラックスしてた気持ちが消え去る。
Sさんがつつがなく舞台にあがるために進行具合に神経を集中させる。
声出しの様子は落ち着いていて、どっしりと歌いきっていたから、私が心配をするほどではないだろう。
しかし、何かあってでは遅い。
Sさんが舞台の中央、赤い座布団に座って歌持ち(前奏)を弾き始めるまで、私の集中力よ続けと念じる。
Sさんの受験番号が会場に響き渡り、黄金色に輝く舞台にSさんが歩き始めた。
私は山内先生がしていたように舞台袖で正座する。
Sさんの「稲まづん節」は滑らかで、音符が舞台から客席にサラサラと流れる様子が見えるようだった。思いのままに音を操っている、そんな空気感だ。
聴いていて気分が和らぎ、思わず深呼吸をしてしまったくらいだ。
音楽はいいなぁ、生演奏って染みるんだなぁ。
ユラユラ心地良い4分50秒だった。
舞台袖に戻ってきたSさんは「手は緊張したけど、心は大丈夫でした。」とまん丸のメガネに似合う、まん丸の笑顔になっていた。
琉球新報社の前でSさんと別れた後、充実した夏が過ぎていくことがたまらなく嬉しくて、蒸し暑さも気にせず、ゆいレールの駅までの道を小走りで駆けた。
もちろん、Sさんは無事に合格した。