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昭和の節分
小さなころ、節分の夜には近所のあちこちから「鬼はー外、福はー内」と大きな声が聞こえたものでした。最近はしずかな節分の夜です。暗闇の中から聞こえた子供の声、キャーキャー言いながらも鬼にむかって豆を投げている様子が思い浮かびました。
次の朝には家の前の道の端っこにたくさん落ちていました。
それを丁寧に三々五々近所の人が集まってきれいにします。ほうきで掃く音が長い時間聞こえました。
お正月以来のごちそうは、祖母が得意なちらし寿司と海苔巻き。
今のように恵方に向かって黙って食べることはありませんでした。
久しぶりに遠くの親せきがやってきて近くに住んでいる叔父は珍しい日本酒の一升瓶を持ってきました。
その日が本当の年の始まりと聞いたことがあります。
前日母たちはやっとお正月の雑用が終わったと思ったら早くも節分。
一月は往ぬる、二月は逃げて三月は去る。
正月から三月までの期間は何かと忙しく、あっという間に過ぎてしまうという意味だそうですが、子供のころはピンときませんでしたが、この年になるとよくわかります。すさまじい速さで通り過ぎる暦の流れに半ば流されている感じです。
おとなは丸々と太った鰯を庭の七輪で焼いて頭だけを柊の小枝に刺しました。ちょうど鰓のところにグサッと。それを玄関の引き戸の柱に釘で打ちつけます。
なぜ?と聞くと、「イワシは腐りやすくて焼くと匂いがするのでそれを鬼が嫌がって逃げていくから。」と祖父は真顔で言いました。おまけに柊のトゲの痛さで退散となるようです。信じがたいですが、真面目な顔で取り付けている祖母は大柄なので、高いところも平気です。パンパンと手を叩いてなんだか満足そうに家に入っていきました。
吊り下げられたイワシの目が何とも不気味でしたがこれで鬼が来ないのなら有難いこと。
暖かい居間には大きなテーブルに所狭しとごちそうが並んでいました。
季節の変わり目、昔の人はこの行事をとても大切にしました。七草がゆに始まって、この慣習は子供にとってもいいことのような気がします。
今年は七草粥もすっかり忘れていました。娘が一緒に買い物していたなら見つけてカートに入れたでしょう。
個人を祝う誕生日、二人で祝う結婚記念日。それはそれで大事な行事ですが、家族みんなの健康を祈る行事をあの当時のおとなたちは大切にしてきたようです。
今は買ってきた丸被り寿司を頂きますが、家の海苔巻き。あの甘い卵焼きやかんぴょう、よくしゅんだ干ししいたけに湯がいた三つ葉。半日かけて作ってくれた祖母たちの家族に対する愛情が今更ながら本当に暖かいものであったのだと思います。
料理を作ることが何よりの仕事と思っていた母たちには簡単にデパートで調達する私は何とも情けない姿に映っているでしょう。
せめて澄まし汁。息子が北陸旅行で買ってきたのどくろのだしの粉末で作りました。あの美しい景色、まだまだ大変な思いをされている被災した方々に心をはせて今年の節分は今までと少し違った日になりました。
今日もいい日にしましょう!