たまにはベンチに腰掛けて ニケと歩けば
沖縄に台風。その影響なのか風が雲をいつもより早く動かしています。
日の出が5時過ぎになって今朝は曇り空。
あちこちで捕らわれた蝉の悲鳴とバタバタ最後の力を振り絞ってもがいている羽の音が残酷であり、蝉の終末を知らせています。
目も耳をふさぎたくなりますが、これも自然の生業。夏 真っ盛りの風景です。
争って奪い合うカラスやスズメ。我先にと獲物に飛びつきます。
毎年の事ながら遠い昔、父と雑木林に虫籠を持って蝉取りに行ったこと、子供たちも同じように主人と。籠いっぱいになれば、放してあげるのが約束。
最初は怖がっていた娘も教えてもらってこわごわ掴んだのに暴れる蝉に驚いて、すぐに放してしまうのがいつもの事でした。
道野辺には早くも虫の声が聞こえます。シロツメ草の中から小さなバッタが飛び出しました。
大きな蜂には闘志を燃やして追いかけまわすニケですが、それ以外の虫には全く興味を持たずに熱くなる前のひと時を楽しんでいるようです。ひらりちょうちょがオリーブの古木の幹、ひと休みなのかなかなか飛びそうにありません。
仲良しの柴犬、麦ちゃんが坂を上がってきました。ハアハアと言う息使いがしてニケも気が付いたようです。
お互い、喜びの再会などと言う感情は表さず、少し尻尾を振っただけ。これも柴の挨拶なのでしょう。
飼い主の話が長くなりそうだと見越してお互い冷たい土の上に腹ばいで同じ方向を見ています。
数分のことですがそれも散歩のメニューの一つ。二頭は別れ際に少し鼻先をくっつけて「また明日ね!」となります。
少し行くと小さな公園があります。
青々とした草の絨毯を踏みながら、遠くの海を見ると朝日を受け入れるようにキラキラ輝いています。
ベンチに座ってひと休み。空は今日も雲を流して、心を和ませてくれます。
原爆が投下されて78年にもなるとか。同じ空の下、大変なことも人は乗り越えてこられたと思えば、生かされているありがたさがしみてきます。足元のニケは風に目を細めて今!を生きています
青々としたシロツメ草の絨毯にぽつんとベンチ。座りたくなりませんか?
そこに座って、上を見上げると青い空に白い雲、暑すぎる日にはやめておいた方がいいですが、朝の早い時間まだ大丈夫となるとちょっとひと休み。
空高く飛ぶ鳥はそれぞれ高度を変えてさながら飛行機のようです。出遅れたのかのんびりなのかツバメも飛んでいて、一番高いところは黒くて大きな鳥です。カラスとも違って悠々と羽を広げて泳いでいます。
あちこちから違う鳴き声が飛び交って会話のようにも聞こえます。
目的地に向かってほかには目もくれず進んでいた時と違っていろんなことがみえるようになりました。
なんだこんなところに神社があった!とか山のすそ野に戦時中の防空壕の穴、石垣に咲くきれいな花、小さな城跡の立て札。乾いた土管をねぐらにしているまち猫は白と黒のぶち…。
こんな狭いところからでも向こうに海が見えた!
寄り道で見つけるものはみんな生活の中に溶け込んでいて、ひっそりと存在していますが、何十年もそこで生きつづけていたのだと思うと、ちょっとした歴史を感じます。私が気づかなかっただけでそこにも時間は流れていたのだと改めて…。
人生も同じことが言えます。
横道にそれないことがいいように言われてきましたが、果たして豊かな心を育めたかどうか。
私たちの親は「横道には逸れないようにね」と言うのが常でした。
特に男の子を持つ母親は…。究極のことを言っているのですが小さいことから目を積んでおかないと大変なことになるという心配もあったようです。
私は子供にも寄り道は大切だと思っています。
もちろん程度はあります。親の知らないところでいろんなことを知ったり、学んだりと、親にとっては心配なことですがそこは子供を信頼して、見守ることも大切です。
「どこでそんなこと覚えたの⁈」ということもたびたびありました。親の知らぬところでちゃんと成長している証です。それを歓迎するくらいの心の大きさを親は持ちたいものです。
親が教えることには限界があります。いろんな人に出会っていいも悪いも吸収できるのは王道ではなく路地裏にたくさん落ちているものです。またそれは子供たちにとっては魅力的!なことが多いようです。
しかし子供たちが安心して寄り道ができるのも、温かいごはんを作って待ってくれているおうちがあるからです。
疲れても帰るところがあるからです。
人のあたたかさを知っていればまた戻ってきます。
帰っていくことのできる港があれば安心して航海ができることに似ているように思います。
今日もいい日にしましょう!
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