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「街道をゆく」とゆく

「街道をゆく」司馬遼太郎

私は司馬さんの小説が大好きだ。
死ぬまでに、全作読破したいと思っている。
そんな私が、特に好きなシリーズは「街道をゆく」である。

このシリーズは、司馬さんが1970年から1996年にかけて、日本国内外の様々な街道を辿り、その土地の風土や歴史、人々の暮らしなどを探求した紀行文である。
辿った街道は、北海道から沖縄、果てはアジアやヨーロッパなど実に多様で、それが全43巻に収められている。

「街道をゆく」との出会い

私がこのシリーズと出会ったのは、学生時代である。
ある日、実家の本棚を漁っていると、ズラッと並んだこのシリーズの背表紙が見えた。「街道をゆく」の文字と、その下に様々な地名が書かれた背表紙。それまでもちょこちょこと司馬さんの歴史小説を読んでいたので、今度は誰が主人公の歴史小説だろうと思いながら、読み始めたことを覚えている。
その時に読んだのは、大学が九州地方だったこともあり、
「17 島原半島、天草の諸道」だったかと思う。

「街道をゆく」と旅行

読み終わった時、私は、司馬遼太郎作品にこんなシリーズがあったとはという驚きとともに、「島原、天草に行きたい!」という強い思いが湧いていた。
そして、実際に島原・天草を訪れた。
その時初めて、ある程度の前知識を持って、その土地を訪れることの楽しさを実感した。これまでとは、全く見方が変わるのである。恐らくこの本を読まずに島原・天草を訪れていたとしたら、私は海と島々が織りなす絶景を見て、「あぁ綺麗だな」で終わっていたことと思う。
しかし、その裏には、山がちで土壌が痩せ、耕作適地がほとんど無い島原・天草における農民達の苦しみが隠れているのである。そこに領主による圧政が加わり、あの島原・天草一揆に繋がった。
私はこのような歴史を頭に入れていたため、絶景を見ながらも、悲しみを感じた。

この経験から、私は旅行について、以下の考えを持つようになった。
・何も知らないが故の、旅行先での感動や気づきには限度がある。
 「考えるな、感じろ」的な発想は、個人的には好きではない。
・ある程度の知識を持つことで、ものごとをより深い視点で捉えられるよう
 になり、その深い視点での感動や気づきは上記のものより大きい。


そんなわけで、私はこの「街道をゆく」を、旅行先の参考書として活用している。

「街道をゆく」から得られたもの

肝心の内容については、各自で読んでいただきたいが、
私がこの本を読んで得た知識の中で、特にためになったと感じたもの紹介する。(※外国編は未読なので、日本に限る。)

日本人の地域性

日本人といっても一様ではない。地域により、その言語や価値観などは多種多様である。
※以下地域性と呼ぶが正しい日本語であるかは分からない。
しかし、日々の生活では、そのことに気づきにくい。
なぜなら、そういった地域性は、その地域の暮らしに深く関わることで理解できるものであり、何気なく暮らしたり、旅行で数回訪れたりした程度では難しいからである。
また、地域性を理解するためには、各地域の風土や歴史を学ぶ必要がある。地域性というものは、その地域特有の風土や辿ってきた歴史の結果生まれるものであるからである。

これらを解決してくれるのが、司馬さんの「街道をゆく」である。
司馬さんはこの「街道をゆく」の執筆に当たり、対象とする地域にどっぷりと浸かる。
その地域をよく知る人の案内をもとに、
様々な景色と出会い、その地域の風土を感得する。
史跡を訪れ、その地域の歴史を辿る。
現地の人々と出会い、その地域に暮らす人々の考えに寄り添う。
司馬さんはこれを繰り返しながら、その地域性を学び取るのである。
そして司馬さんの膨大な知識量と鋭い考察を経て、体系化されていく本シリーズは読んでいて爽快でさえある。
一冊、また一冊と読み終わるごとに、私の頭の中の日本地図に色が付いていくようで、とても充実感がある。

日本の地名

日本の地名は難しい。単純な理由で付けられた地名であっても、当初の地名からは、音・漢字、共に変化していることが多く、その由来を解釈することは難しい。
「街道をゆく」では、たびたび地名に関する話が登場する。多くは地名の由来に関するもので、そこから歴史を紐解いていくという流れである。本シリーズを読めば、地名の由来を簡単に知ることができる。そして、地名はその地域性を色濃く反映しているということに気づかされる。
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例えば、
「崎」=半島など尖った地形の先端
「浦」=湾
(三浦半島の「三浦」は昔は「御浦」であった。「御」は神・天皇家・宮廷に属するものを指すので、当時は人々に神聖なイメージを持たれていたことが想像される)
などである。
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私は本シリーズを読んで、地名に対して興味を持つようになった。
そして、地名に詳しくなるにつれて、旅行中の楽しみが一つ増えた。それは現地の道路看板を見ることである。知っている地名が刻まれた看板を見つけた際、その地名の裏に含まれる意味や歴史を一瞬蘇らせながら、その地域に入り込んでいく。この瞬間がたまらなくワクワクする。
また、日本には場所は違えども、地名が同じであったり、似ていたりすることがよくある。そんな地名を発見した時に、ふと「きっとこの地名は、あの地名と同じ由来なんだろうな。」と応用が利くのである。

最後に

私は「街道をゆく」を読み始めて、日本がより好きになった。そして、私の中で、日本のことをもっと知りたいという欲求が芽生えた。司馬さんのように、飽くなき探求心で日本各地を訪れ、日本を知り尽くす。これが私の目標である。
司馬さんは亡くなる直前まで、この「街道をゆく」の執筆を続けていた。まだまだ書きたい街道はたくさんあったことと思う。私もよく「この地域を書いた「街道をゆく」があったなら。。」と考える。
しかし、司馬さんにばかり頼っている訳にはいかない。これからは自分で考察するということにも挑戦してみたい。

この記事を読んで、少しでも興味が湧いた方は是非「街道をゆく」を読んでもらいたい。きっと日本の見方が変わるきっかけになりうると思う。

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