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【短編】『不便な時代』

不便な時代


 巷で人気を博しているスマートフォンがあるという。人気とは言っても姿形は至って普通のスマートフォンと同じだ。側面はペンのように細く、表面はタロットカードのように縦に長い。特別な機能があるのかと思いきや平凡だ。むしろスマートフォンにしてはスマートな方ではない。僕が実際に購入し、使ってみてそう感じたのだ。インターフェースの反応も遅く、つい長く使っていると熱くて触れなくなってしまう。そんなスマートフォンがなぜ今人気なのか。そのスマートフォンを使う者に尋ねてみても、返ってくるのは「流行っているから」という答えばかり。何が流行りなのかと聞くと、皆揃って口をつぐんでしまう。世界は無能な人間で溢れかえっている。そう思いながら、スマートフォンの人気の謎にたどり着けないことに歯痒さを感じていた。

 僕は一度だけこのスマートフォンの広告を見かけたことがあった。仕事帰りに同僚と飲みに行った際に、古い居酒屋の壁にチラシが貼り付けられていたのだ。チラシには、〈特大セール30%オフ、通信会社からの特典も多数!〉という文言とともにスマートフォンの写真が大きく載っていた。チラシの端は黄色く滲んで何が書いてあるのかわからなかった。デザインや色味から、かなり古い品のように見えた。

 その時は酔っていて特に気にしていなかったが、改めて考えると昭和の時代にスマートフォンなど存在しないのだ。平成初期といえども、そんな見知らぬ機種が市場に出回ることはなく、携帯会社は数が限られていたはず。僕はあの時、あるはずのないものを見たと、酔った頭で思い込んだに違いない。あるいは実際に見てはいけない広告を目にしてしまったかのどちらかだ。しかしそのスマートフォンは今や誰もが肌身離さず持ち歩く流行り物だ。仮に過去の産物だったとしても今に蘇るはずがない。やはりあの広告は偽物か自分の見間違いだろう。

 それにしても、自分の手に握られたこのスマートフォンがなぜ世の中で売れているのか知る術はないものだろうか。と思い悩んだ。何の役にも立たないのであれば、買った意味がない。それではまるで、自分も他と同じ無能な人間であると認めてしまうことになるではないか。再び電気屋に足を運んで新しいスマートフォンを買うことだけは避けたかった。

 そうだ。

 僕はあることを思いついた。電気屋に行ってみればいい。そこで聞いてみるのだ。なぜこのスマートフォンは今人気なのかと――。


 新宿の駅前では、行き場を失った人間たちが呆然と下を向いて立ち尽くしていた。横断歩道の向こう側にはピンクのルーズソックスを履いた女子高生グループが、あのスマートフォンを眺めてははしゃいでいる。よくあんな不便なもので楽しむことができるな。僕はこのスマートフォンを使う人間の心理が理解できなかった。

 電気屋は横断歩道を渡ってすぐ目の前にあった。

「あのー」

 忙しなく動き続ける太った男性店員に声をかけてみたが、反応はなかった。僕は声を大にして言った。

「あの!」

「少々お待ちください」

 店員は僕の声にすでに気づいていたようだった。ひどい接客だ。胸に取り付けられたトランシーバーに向かって何かを話すと、眼鏡を光らせてこちらに向かってきた。

「何かお探しでしょうか?」

「あ、いえ。この前買ったスマートフォンのことで――」

「修理でしょうか?」

「いや、ちょっとお尋ねしたいことがあって」

「なんでしょうか?」

 店員は嫌な目つきで僕を見た。

 僕はどう質問して良いのかわからなかった。前に電気屋で買ったスマートフォンがなぜ人気なのかと聞いたら、変なやつだと思われるに違いない。かといってそれ以外に知りたいことなどない。

「実は――」

 僕はポケットの中からスマートフォンを取り出し、少しばかり間を置いて口を開いた。

「このスマートフォン、古いモデルのようでして、新しいモデルに交換したいんです」

 店員は勝手に僕の手からスマートフォンを奪うと、あらゆる角度に傾けて眼鏡の奥から凝視した。

「あの、こちら古いモデルがなくてですね。新発売のプロトタイプになります」

「あ、そうなんですか。使いづらいのでてっきり古いものかと――」

 僕は古いモデルがないという言葉に違和感を覚えた。人気の品がここまで不便なはずがない。もしかすると、僕のスマートフォンだけ不良品の可能性がある。と一瞬不安が頭をよぎった。

「そうですか。お気に召してもらえず残念です」

「あの、もしかしたらなんですが、故障してるってことはないですか? どうもおかしいんです。反応が遅かったり、すぐに熱くなってしまったり――」

「確認してきますので、少々お待ちいただけますか?」

「はい」

「ちなみにパスコードは――」

 僕は店員の目の前で四桁のパスコードを入力した。店員はスマートフォンを持ってその場から姿を消した。電気屋の中は、テレビから漏れる大音量や新商品やセール商品のアナウンス、そして店員の接客の声が飛び交っていた。

「お待たせしました。こちら特に故障はしていないようです。動作も問題ありません」

「そうですか」

 不良品という説は一瞬にしてなくなった。やはりおかしい。不便なスマートフォンが流行するなど理屈が合わない。それにプロトタイプなら尚更だ。この世界の人間はどうかしている。店員は今にも作業に戻りたいといった険しい顔を僕に見せながら、つま先を何度も床に踏みつけていた。

 僕は我慢できずに、いっときの勢いで自分の恥を捨てて尋ねた。

「あの、なぜこのスマートフォンはこんな人気なんでしょうか?」

 店員は僕のことをおかしそうに眺めて答えた。

「そりゃあ、色んな新機能が搭載されていますからね」

 新機能・・・

 どこが新機能か詳しく教えてほしかったが、店員の苛立ちに気付いた僕はもう店を出ようと思い始めていた。

「まあ、これを使いづらいと思うぐらいですから、お客さんはよほど先を見られているのでしょうね」

 その言葉は僕には皮肉めいて聞こえた。僕は何も言わずに店を出た。


 新宿御苑の空気は、建物に囲まれた路地裏の空気とはまるで違っていた。風で葉の散りゆく音が僕の心を落ち着かせた。木々が車の排気ガスを吸収し、新たに酸素を作り出す様子が目に見えた。

 僕はベンチに腰掛け、コンビニで買ったタピオカミルクティーを啜った。芝生の上では、暇を持て余した大学生のグループや、デートに来たカップル、サッカーをして遊ぶ親子が楽しそうに笑顔を見せていた。僕はこの汚い街にも綺麗な時間が流れていることにどこか別世界に来てしまったような気がした。

 なんて幸せな世界だろうか。

 僕はタピオカミルクティーをベンチの上に置き、大きく深呼吸をした。

 そうだ。

 僕は、大事なことを忘れていた。自分がこの時代にそぐわないのは仕方がないことなのだ。五十年先の未来にはポケットに入ったスマートフォンはガラクタも同然なのだ。そう。僕は五十年先の未来からはるばるやってきた人間だった。現代の生活に慣れきってしまったがあまり、過去の自分を忘れていた。しかし、不思議にもスマートフォンの機能だけは、昔のままだった。この不便なスマートフォンを使う人間は無能とばかり思っていた。ましてや、それを買ってしまった自分でさえも無能なのではないかと疑っていた。しかし、そもそも時代が僕に追いついていないだけなのだ。

 僕は安堵に包まれながら遠い未来のことを思った。本来自分のいるべき時代もまた、僕が帰ることを拒んでいた。なぜならもうそこには世界が存在しないからだ。最新技術により兵器はみるみるうちに強化され、力を持つ国が現れると自ずと戦争が勃発した。それからすぐに先進国の国々は文明諸共、跡形もなく消えてしまったのだった。その生き残りとして僕は、戦争を未然に防ぐ任務で特別に選ばれた。

 ベンチのすぐ下を、蟻の行列が忙しなく通り過ぎていった。知らぬ間にタピオカミルクティーは芝生の上に落ちて、液体が散乱していた。五十年前はこんなにも平和だったのに。僕はポケットからスマートフォンを取り出し、深くため息をついた。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

今後もおもしろいストーリーを投稿していきますので、スキ・コメント・フォローなどを頂けますと、もっと夜更かししていきます✍️🦉

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