【短編】『僕が入る墓』(後後編)
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僕が入る墓(後後編)
屋敷に戻ると、義母が冷たいお茶を四人分机に出してくれた。今までより一つ少ないのがもの寂しかった。僕と明美が屋敷に来てからずっと義父と義母は忙しなくしており、お祖父様が亡くなったことを悲しんでいる暇もないといった様子だった。僕たちが駅に着いた時に義父が車の中で寝ていたのも自ずと理解できた。ようやくお祖父様の葬式と火葬を終えて緊張が解けたようで、二人は気を楽にした。
明美はまだお祖父様が亡くなった現実を受け入れられないようで、ずっと黙り込んでいた。義母が、部屋で休んだらと明美の肩をさすると、何も言わずに居間を出ていってしまった。僕はどうすることもできず、ただ茫然とその光景を眺めていることしかできなかった。すると義母が僕にささやいた。
「こういう時はね、何もしなくていいのよ」
「はい――」
「変に問いただすと、かえってよくないの」
「そうですね」
義母は、僕に山で熊に遭遇した時の対処法を説明するかのように話した。無駄に刺激せず何もしないことが重要だと教えてくれた。長年育ててきたことで、娘の扱い方を熟知しているようだった。
僕もすることがなくなって昼寝をしようと部屋へと戻った。すでに明美が灯りを消して寝ており、僕は彼女を起こさないようにそっと自分の布団の上に寝そべった。
「もっと――」
明美の声が聞こえた。
「もっとじいじの言うこと、聞いてあげればよかった」
明美は目をうっすら開けて天井に向かって話していた。
「ねえ、私ってわがまま?」
「いいや――」
「じゃあ生意気?」
「いいや――」
「じいじは私のことどう思ってたんだろ」
「きっと愛してたと思うよ」
「でも私はじいじのこと好きじゃなかった。苦手だった」
「わかるよ。僕だってそうだ。みんなそうだよ」
明美が僕の方に顔を向けると涙ぐんだ顔で続けた。
「みんなは関係ないの。私がどう思ってたかなの」
僕は何も返す言葉がなかった。
「私、じいじの気持ち考えたことなかった。言われた通りにすればいいやって、そればっか思ってた」
「――」
「でもそれが悔しいの」
僕は明美のその言葉に強い意志を感じて咄嗟に言葉を返した。
「わかる」
明美はしばらく黙り込むと一度大きく鼻を啜ってから再び話し始めた。
「でも、死んじゃってからじゃもう遅いの」
「そんなことないよ――。和尚さんだってああ言ってたし」
「ほんと?」
「うん」
僕は、義母からの忠告を無視して明美に意見をぶつけてみた。
「後悔してるならさ、これから後悔しないように生きればいいだけだよ」
明美は僕の言葉を聞いて、ゆっくりとその意味を咀嚼してから涙を拭って答えた。
「そうだね。その通りね――。じいじがこの家を大切にしてきたように私もそうしたい」
「うん。僕もそうしたい」
ようやく明美が泣き止む頃には、すでに眠気は消え去っていた。僕は明美に居間に行くかと尋ねたが、もう少し寝ていると言ったため一人部屋を出た。長い廊下を歩いていると、向こうの戸の隙間から光が漏れ出ていた。戸を開けると、義母が台所で晩御飯の支度をしていた。義父はテレビで一人映画を見ているようだった。
「あら、もうお目覚め?」
「はい」
「御飯まだだから、ゆっくりしてて」
「はい」
僕も座布団にあぐらをかいて義父の隣で一緒に映画を見ることにした。
ちょうど午後のロードショーが放送されていた。映画は、『ヴァン・ヘルシング』だった。ヒュー・ジャックマンの吹き替えの声がどこか男まさりで聴き心地が良かった。もう何度もロードショーで見たことのある映画だが、毎度テレビで放送しているとつい見てしまう。映画はまだ序盤で、モンスターハンターであるヴァン・ヘルシングがドラキュラの花嫁たちに襲われているところだった。吸血鬼たちは羽を大きく広げると世にも恐ろしい姿を見せつけて、勢いよく人間に飛びかかってくる。まるでジュラシックパークに出てくるプテラノドンのようだ。葬式の後にもかかわらず、よくこんな怖いものを見られるなと義父に対しておかしささえ覚えた。
電話の着信音が廊下の方で鳴り響いた。するとその音はすぐに止まった。義母が取りに行ったようだ。
しばらく映画を見続けていると、再び見どころのあるシーンがやってきた。ヴァン・ヘルシングがフランケンシュタインを捕らえて馬車で連行しようとしているところだった。霧立った森を何頭もの馬がかけ進む中、突然吸血鬼の襲撃に遭う。壊れた橋を目前にしてヴァンヘルシングは間一髪、馬の背に乗りかかって助かるが、フランケンシュタインの乗った馬車が崖の下に落ちてしまう。吸血鬼はフランケンシュタインを死なせぬよう飛行を続けながら、馬車の扉を開く。すると、そこにフランケンシュタインの姿はなく、爆弾が仕込まれていることに気がつくのだ。
馬車が地面に叩きつけられた途端、ドカーンという爆発音とともに吸血鬼が焼け焦げる。ホラー映画の割にスリルがあって面白い。日本のホラーとはまるで違う。炎が燃え上がるとともに、かすかに焼け焦げた匂いが伝わってきた。映画というものは、人の想像力を最大限に膨らませてくれる素晴らしいエンターテイメントだ。
少しすると、再び焼け焦げた匂いが鼻を刺激した。今度は、実際にフランケンシュタインを乗せていた馬車が燃え始めた。狼男が後ろから馬車を襲うと、皆で一斉に外に飛び降りる。直後に馬車は横転しながら大爆発を起こす。とんだアクション映画だ。義父は隣で目を輝かせながらのんびりと映画を見ていた。燃えるシーンは終わったが、やけに焦げ臭さだけが残った。僕は再び義父の方を見ると、義父も同じく僕に視線を向けていた。すると義父は急いで立ち上がり何かを叫んだ。
「ママ!」
振り返ると台所に煙が立ち込めていた。義父は勢いよくコンロのそばまで行き、火を消した。そして近くにあった新聞紙を手に取って煙を仰いだ。後ろから心配そうに眺めていると、煙の中から皿に移された美味しそうな天ぷらが姿を現した。残り油に着火したようだった。
義母が血相を変えて戻ってくると、その有様を見て恐れ慄いた。
「ごめんださい。消したと思ってたの」
「どうしたんだよ一体?」
「わからないわ。電話が鳴ったから取りに行かなきゃと思って」
「しっかりしてくれよ。また火事なんか起きたら――」
「はい。ごめんなさい」
義母はいつになく礼儀正しく義父に頭を下げていた。
「まあ、天ぷらを移し替えといただけ良かったよ。危うく晩飯がなくなるところだった」
義父は場の空気を和ませようと笑いながらそう言ったが、僕にはそれが皮肉をこめた言葉に聞こえた。
義父の声を聞きつけて明美は駆け足で部屋を出た。廊下を走りながら徐々に焦げ臭い匂いが強まった。明美は火事だと思い、仏壇の部屋にあった消化器を咄嗟に手に取った。その時、置かれたばかりのお祖父様の遺影のガラスに一瞬何かの影が映ったような気がした。明美は気のせいだと思い居間へと急いだ。すでに火は消されたようだった。ママは台所のそばで黙り込んで萎縮していた。テレビでは、フランケンシュタインとヴァン・ヘルシング、修道僧の三人が呑気に街を歩いていた。
僕は何者かに追われながら、捕まらないように必死に逃げていた。人影は見えるものの、その実態は掴めなかった。とうとう袋小路に入ってしまい、僕は月夜に照らされるその人影と対面した。それは瞬く間に僕の首に食いついた。肉を食うというより血を吸っていた。全ての血を吸い上げられたところで僕は目が覚めた。
僕は汗まみれになったシーツに触れて、それが夢であったことを実感した。隣では明美がうなされている。僕と同じく悪夢を見ているようだった。すると、突然廊下の方で大きな物音が聞こえた。僕は咄嗟に立ち上がって汗まみれの服のまま布団を踏みつけて廊下に向かった。半開きになった扉から顔を覗かせると、先の見えない真っ暗な廊下が広がっていた。何もいなかった。開いた窓から小動物が入ってきてしまったのだろうと思った。僕は扉を閉めて再び布団に潜った。
明美はまだ悪夢にうなされているようだった。僕は仕方なく布団から体を半分出して明美の肩をゆすった。すると突然明美が目を開き、曇った顔で僕を見た。
「痛い――」
「どうしたの?」
「痛いの、お腹が」
僕は横になったまま明美の布団の中に腕を入れた。すると、何か変な液体に触れたような感触がした。違和感を覚えて勢いよく布団をめくると、シーツが真っ黒に染まっていた。何かの液体が滲み出ているのだ。僕はすぐに起き上がって部屋の電気をつけた。明美の服や布団は血だらけだった。服を脱がせると、何かで切られたような深い傷跡が右脇腹に見えた。明美の唸り声が部屋中に響いた。
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