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【短編】『コンピュータが見る悪夢』(前編「殺人」④)

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コンピュータが見る悪夢
(前編「殺人」④)


 ホモシミュレーターの電源を切ると、ホログラムは天井にある薄型の投影機へと吸い込まれ、目の前には何もない真っ白な壁が現れた。ホモシュミレーターを操作している時は、情報の板で部屋は埋め尽くされるが、それ無くしてはただの空の箱だった。まるで空港やショッピングモールに備え付けられた礼拝室のようだった。

 本館へと戻る途中、サムは頭の中でカルロス・サンチェスの死に行く様を思い描いていた。ハンマーで犯人に何度も頭を殴られ、そのまま気を失って後ろのソファに倒れ込む。あっけない死に方だ。ここまで単純だとFBI捜査官である自分が舐められているようにさえ感じた。自分のもとに捜査依頼が回されたのも、犯人が自分の身をホモシミュレーターから隠しているという理由からだけだった。とんだ迷惑だ。なぜもっとやりがいのある事件を回してこないのか。ホモシュミレーターでさえ退屈してしまう。さっさと事件を解決してバーに飲みにでも行こう。そう心の中で愚痴をこぼしながら、まっすぐ続いたコンクリートの道を淡々と踏みつけた。

 散らかったデスクの上に、一通の白い手紙が己の意見を主張するかのように置いてあった。また妻からか。サムはため息をつきながら手紙を手に取ると、どこか妙に感じた。妻からであれば、妻が書いたとわかるように、あなたへ。ナオミよりと書かれているはずだが、そこには宛名と、FBI安全公共分析課の住所しか記載されていなかった。封を切ると、中からはポストカードぐらいの大きさの真っ白な紙が一枚出てきた。サムはそれを見て顔を顰めた。


 ごめんなさい。


 そう一言、機械じみた字で書かれていたのだ。嫌な予感がして、すぐに携帯端末を取り出し耳に当てた。

「ナオミの留守番電話です。メッセージを残してください」

 まずい。

 すぐにコートを羽織って、施設を飛び出した。お願いだ、間に合ってくれ。サムは何かを覚悟したように家へと急いだ。同僚たちに悟られぬよう外見は平穏を保っていたが、心の中は不安と恐怖が入り乱れていた。目の前を通った自動運転タクシーに手を振るとゆっくりと徐行をして路肩に停車した。扉が自動で開くのを待たずに、自ら扉を開いて乗り込んだ。

「アシュベリー通りの七二七番まで」

〈了解しました〉

「急いでくれ」

〈恐れ入りますが、この車は一定の速度を超えての走行は制限されております〉

「頼む。これでどうだ」

 携帯端末から送金アプリを表示させた。二十ドルと映ったスクリーンが支払パネルに接触した。

〈受け取りエラー〉

「なぜだ?」

〈恐れ入りますが、この車は一定の速度を超えての走行は制限されております〉

「クソッ」

 無人タクシーは他の自動運転車両に倣って、安全運転で走行した。中には激しいエンジン音を立てて猛スピードで横を過ぎ去る車もあった。その車の運転席には人間が乗っていた。自動運転車両は美しく安全な運転をするが、この状況ではガラクタも同然だった。技術が進化したことで生活は便利になる一方で、規制は強化され、これまで人間に押し付けていた無茶は通用しなくなっていた。

 家の前でゆっくりと車は停車した。携帯端末をパネルにかざすと、すぐさま支払いが完了された。

〈ご乗車ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております〉

 そう録音された男の音声が流れると、タクシーは再び徐行運転で去っていった。

 一生乗るもんか。

 そう心の中で呟きながら、家の中へと急いだ。玄関を入ると、突如として汚臭に包み込まれた。リビングは食べかけの食べものや酒の瓶、脱ぎっぱなしの下着が散乱していた。

「ナオミ!」

 テレビには昔のクイズ番組の再放送が流れていた。寝室の扉を開けると、布団が床に落ちて人がくるまっているような形をしていた。布団を広げるも、妻の靴の片方だけが下敷きになっていた。

「ナオミ、いるのか?」

 脱衣所や風呂場は綺麗なままだった。妻が一人で家事をできるはずがない。こうなることはわかっていた。妻は自分と会っていない間、家事をしていないだけでなく、自分の体さえも洗っていないようだ。家のどこを探しても、妻の姿が見当たらなかった。やはりあの手紙の内容は自殺を仄めかしていたに違いない。妻の行動を予測しようにも、行き先がさっぱり話からなかった。もう帰ってくるのを待つしかない。おれは捜査官として失格だ。なす術なく意気消沈しながらトイレへと向かった。

 電気をつけると目の前に、じっと目を瞑る妻が便座に座っていた。

「ナオミ!」

 妻はゆっくりと目を開けると、自分を見て細く笑みを浮かべた。

「おかえり、サム」

「おまえ、何してるんだ?」

「何って、オシッコよ」

「そうじゃない。あの手紙はなんなんだ?」

「手紙?」

「ああ、職場に送っただろ?」

「なんのこと?」

 しらばっくれる妻に虫唾が立った。ポケットから少し折り目のついた白い紙を取り出した。

「これ、お前だろ?」

「いいえ」

「嘘をつくな」

「違うってば。だって、私パソコン使えないし」

 サムは文字を見返して、ふと妻の言い分に筋が通っていることに気がついた。たしかに妻はパソコンを使えない。かと言って旧式のタイプライターを持っているわけでもない。感情的になっていたのはむしろ自分の方だった。この文字を打ったのは妻ではない。その事実は瞬く間に体を不穏なオーラで包み込んだ。たしかにホモシュミレーターから妻が自殺を図るという緊急連絡はなかった。過去に妻の感情モデルのグレー反応を見てからのこと、いつ自殺をしてもおかしくないと思っていた。それだけに突然届いた無記名の手紙を見て冷静を失ってしまったのだ。しかし、この手紙はあ誰から送られてきたのだろうか。何を目的に送ったのだろうか。何に対する謝罪なのか。謝罪を受ける心当たりがないため真相を突き止めようがなかった。

 携帯端末が鳴った。先ほど申請を頼んだ同僚からだった。

「もしもし、サム?」

「ああ、なんだ?」

「被害者の所持品を検査できるようになったわ」

「そうか。よかった」

「じゃあ、がんばって」

 女性の声が聞こえて電話が切れそうになったのを察知し、サムは急いで返した。

「ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「なに?」

「おれ宛の手紙なんだけど、あれはどこに届いてたんだ?」

「公共安全分析課のレターボックスに入ってたわ」

「そうか。どこの配達業者が届けたのか見てないよな?」

「見てないわね。スタンプを確認すれば?」

「ああ、そうするよ。ありがとう」

 手紙には業者のスタンプさえなかったが、なぜか同僚にはこの件について黙っておこうと思った。サムは端末を閉じて、便座に座る妻を見下げた。

「悪かった。勘違いしていたみたいだ」

「何を?」

「いや、いいんだ」

「その手紙は誰からかわかったの?」

「いいや」

「変な手紙ね」

「そうだな」

「邪魔して悪かったな。もう行くよ」

「帰ってきたんじゃなかったの?」

「ちょっと仕事を思い出して――」

「また帰らないつもりでしょ?」

「わからない」

 不貞腐れた顔でこちらを見つめる妻に、サムは何も言葉を返せなかった。行ってくると一言残して家を出た。

前編「殺人」⑤ に続く


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