【短編】『コンピュータが見る悪夢』(前編「殺人」⑤)
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コンピュータが見る悪夢
(前編「殺人」⑤)
カルロス・サンチェスの携帯端末は、透明な袋に入ってデスクの上に置いてあった。端末はすでに充電されていた。さすがだ。仕事が早い。起動させるとある画像が映った。彼はニューヨークへ行ったのだろう。ウォール街に何かを睨みつける牛の銅像が表示されていた。画面をスライドさせるとすぐさまロック画面に切り替わった。やはり彼に頼もう。コードを抜いて端末を透明な袋に戻した。
会議室を抜け、廊下を奥まで進むと、「関係者以外立ち入り禁止」という張り紙の貼られたドアに差しあたる。ドアをゆっくり開けると、暗闇の中央に光るブルーライトによってかたどられた黒い大きな影が佇んでいた。そこは、ハッキング担当のヘンリー専用の部屋だった。
「誰だ」
「おれだ」
「ん、サムか?」
「そうだ」
「おお、久しぶりだな」
「久しぶり? 毎日同じ職場にいるじゃないか?」
「いやあ、なかなか部屋から出ないからさ。みんながいるなんてわからないんだ」
彼のデスクは、空になったチップスの包みやコーラ缶でぎっしり埋め尽くされていた。ブルーライトは四角い透明なメガネに反射し彼の目を青白く隠していた。
「ずっと籠ってると脳に良くないぞ?」
「平気さ。ここがおれの世界なんだ」
「そうか」
「ああ」
「ちょっと頼みたいことがあるんだ」
サムはカルロス・サンチェスの携帯端末の入った透明な袋を散らかったデスクの上に置いた。
「なんだこれ?」
「被害者の携帯端末だ。一週間以内に購入した商品と、その配送会社を調べてほしい」
「わかった。他には?」
「それだけだ」
「おいおい、てっきりあんたが入ってきたから、また無茶な仕事を頼んでくるかと思ったのに――」
「ああ、すまねえな。今回はハズレなんだ」
「ちぇっ。でもあんたの頼みだ。やってやるよ」
「助かる」
巨体を乗せたリクライニングチェアは、ドアの方へと移動していくと、引き出しから何かを取り出して再びデスクへと戻った。ヘンリーはコードをデスク下の機械に繋げると、もう一方の先端を携帯端末に挿した。
「ロックがかかってるな」
ヘンリーはスクリーンに顔を近づけ、キーボードを高速で打ち始めた。エンターキーを押す大きな音が部屋中に響くと、端末のロック画面はたちまち解除された。
「さすがだな」
「なんのこれしき。で、ショッピングサイトの購入履歴だったな」
「ああ」
「どれどれ」
肉の乗った手は、大きさの変わらぬ十本の指を器用に動かし始めた。端末にはまだアプリの閲覧履歴が残っていた。クロスワードゲームや、読みかけのDCコミック、防水テープの検索画面、電話、メッセンジャーアプリなどが開かれていた。殺されたカルロス・サンチェスにとっては、殺される一瞬だけが非日常であり、それ以外はいつもとなんら変わりない時間が流れていたようだった。
たしかに殺された日を特別視するのは、被害者の家族や友人、そして我々のような犯人逮捕に尽力する人間だけであって、世界も、死んだ本人も、死を悼まずにただ平然としているのだ。ある意味、死という非日常の記憶が刻まれるのは、それを経験する本人ではなく、それを身近で見届ける人間とも言える。――死んだ者は死を実感する前に死んでしまうのだから。死とは非日常などではなく日常の延長線上にあるものなのかも知れない。
「どうやら最近男が買ったのは、ロープとカッターと脚立だけのようだ」
「ロープ? まさか――」
「ほらっ」
メールの受信ボックスには、ロープ、カッター、脚立の配送完了通知が届いていた。どうやらカルロス・サンチェスはすでに自ら命を絶つことを考えていたらしい。自殺を手助けする道具を届けた男が、自殺をさせる前に殺してしまうとは――。これほどブラックなユーモアは聞いたことがない。
「配送会社はターミナルAというところだ。問い合わせ送り状の・・・」
「メールが届いたのはいつだ?」
「えっと、三日前の午後九時だ」
三日前となると殺人の起こる二日前ということになる。この配達で間違いなさそうだ。
「そのメール文を印刷してくれ」
「わかった」
左ポケットから自分の携帯端末を取り出し、ターミナルAの電話番号を調べた。
「こちらFBI公共安全分析課のサム・スコット。荷物を配達した担当者の名前と住所を知りたい」
「FBI?」
若い男の声が聞こえた。
「ああ、連邦捜査局だ」
「あ、はい。少々お待ちを」
しばらく九十年代のバディ映画で流れる感動的なサウンドトラックのような保留音が流れ続けると、今度は中年の男が電話をとった。
「もしもし、サンフランシスコ配送エリアの課長のガーネットだ」
「こちらFBI公共安全分析課のサム・スコット。荷物を配達した担当者の名前と住所を知りたい」
「本当におたくがFBIだと証明できる方法はあるか?」
「ああ、電話番号を確認してみろ」
しばらく声が聞こえなくなると、ガーネットという男は声の調子を変えて再び答えた。
「すみませんでした。配達人の身元確認ですね。問い合わせ送り状番号は控えてますでしょうか?」
「ちょっと待ってくれ」
ヘンリーはこちらを向いて、印刷した紙の上の方に何度も指を当てた。
「えー、0739305811028564」
「ありがとうございます。少々お待ちください」
再び九十年代のバディ映画の音楽が端末から奏でられた。
「お待たせしました。担当者の情報です。二十七歳男性。アダム・トーマス。エディ通り四五五」
「エディ通り、テンダーロインか。ありがとう。今彼はどこに?」
「今は配達中ですね」
「わかった。いつ帰ってくる?」
「夕方ぐらいかと――」
「じゃあ午後五時前にそっちに行く。くれぐれも本人には何も言わないように」
「は、はい」
電話を切ると、ヘンリーから印刷した紙を受け取り、暗闇から光のある世界へと戻った。端末には午後三時と映っていた。
「特定の人物のプラズモグラフィアを確認したい」
〈了解しました〉
「二十七歳で、エディ通り四五五に住むアダム・トーマスという男を頼む」
〈了解しました〉
ホモシミュレーターは五万とある個人情報を一瞬のうちに精査し、その中から男の情報を抜き出した。
〈アダム・トーマスという男性の情報です〉
そこにはいかにも好青年といった若い男の顔が映っていた。上には赤文字で「現在通信接続不可」と書かれていた。
「通信が途絶えたのはいつだ?」
〈三日前の午後十時頃です〉
三日前の午後十時。それはちょうど男が配達を終えて帰宅した時間のようだった。
「通信が途絶える直前のインナーボイスを頼む」
〈了解しました〉
ホモシミュレーターはアダム・トーマスという男の音声データを再生した。
22:13:27:45 「もう終わりだ」
22:13:31:22 「やってやる」
22:13:39:51 「あいつを、殺してやる」
22:13:39:51 「そうだ。この寄生虫から隠れないと」
間違いない。この男が犯人だ。
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