【短編】ルックス・クライシス(前編)
ルックス・クライシス(前編)
初めは些細なことがきっかけだった。別のクラスのサッカー部の男子生徒から恋愛相談を受けた時のことだった。彼は私のクラスにいるある女子生徒のことが気になっているようで、彼女の交友関係を私に尋ねてきた。
「なあ、教えてくれよ」
「え、私あの子とそこまで仲良くないし」
「まじかー。なんか知ってることないの?」
「んー、いつも学校が終わると私と同じ塾に行ってることぐらいかな。たまに授業が被るけど」
「おい、本当か?それ早く言えよ。で、塾ではどうなんだ?」
「どうって?」
「他の学校の男子とつるんでたりするのか?」
「いいえ、彼女いつも一人よ」
「そうか。俺もその塾入ろうかな」
「え?」
「ほら、俺も塾に行けば話す機会が増えるだろ?」
「あ、まあ」
「でもなー、部活あるからなー」
と少しばかり考え込んでから最後に彼はこう言った。
「まあいいや。ありがとな。なんかお前男っぽくて話しやすいわ」
と彼はあたかも私のことを褒めているといった顔つきで私の方に笑みを送ってからその場を立ち去った。その時は彼の言葉が特に気に触ることはなかったが、後になって似たような体験をした時にふとその記憶が蘇り、憤りと悔しさが頭を覆い尽くした。
私は晴れて第一志望の大学に合格し、都会やら一人暮らしやらと新生活に胸を高鳴らせながら名門大学の文学部に通い始めた。大学は高校の時とは違って決まったクラスで必修科目の授業を受ける他に、自分が受けたい授業を自由に選ぶことができた。高校の時からあまりクラスというのに慣れていなかったこともあり、なお一層都合が良かった。しかし文学部に入ったのはいいものの、一年生が選べる科目は文学部らしくない授業ばかりで、私は仕方なく多少興味のあった社会学を履修することにした。なんせ私は社会というものが大の苦手であったため、この授業を受ければ何か克服する手立てが見つかるかもしれないと思ったのだ。教室に入り、空いている席に座ると前からプリントが回されてきた。すると教授がマイクを片手に持って語り始めた。
「皆さん。今日は社会学の授業を受けにこの教室に来たということであっていますか?もし違うのなら早めに出て行ってくださいね。僕がいうのもなんですが、なんせこの授業は大人気でしてね。席数がギリギリなので」
すると、何人かが時間潰しに聞きに来ていたという様子ですぐに席を立って、扉の外へと消えていった。
「まあ、今日は初回ですから、皆さんが一番興味のあることについて話そうと思います。そうですねー。何がいいですかねー」
と最前列に座る女子学生にマイクを向けると、彼女は少し考え込んでから言った。
「んー、恋愛?」
「はい、その通りですね」
と瞬時に教授が合いの手を入れると、教室中がわっと笑いに包まれた。
「皆さんは、自分に恋愛が必要だと思いますか?それとも必要ないと思いますか?」
教室中は教授の言葉に返答するわけでもなく、しんと静まり返っていた。
「では、少し話題を変えましょう。今の日本では、ほとんどの子どもが、結婚した夫婦の間に生まれています。戦後までは、夫婦の出会いはお見合いが中心だったのに対して、1960年代からは恋愛結婚が主流になりました。つまり今の時代子どもをもちたいのなら、一般的にはまず恋愛をして、次に結婚し、そして出産をするというルートをたどる必要があります。もちろん、子どもがなくても良いという人は恋愛も結婚も必要ないですが、もし子どもを望むのなら、恋愛を経験することは避けて通れないはずです」
皆、恋愛というテーマだけのことはあって、じっと教授の話に耳を傾けた。
「少々話が変わりますが、人間は面白いことに、同じ趣味や同じ学歴、同じ環境で生きてきた人と出会うと、結ばれる確率が急激に上昇します。もちろん共通点の全くないカップルも多く存在しますが。確率論の話で言うと、共通点がある方が話は盛り上がり恋愛に発展することが多いようです。例えばですが、あなたはどのような音楽を聞きますか?」
と再び教授が何の予兆もなく最前列のどこかにマイクを向けると、とある女子学生が答えた。
「テイラースウィフト」
「ああ、いいですね。十分好かれやすいです」
とまたも教授の慣れたツッコミに教室中が笑いに包まれた。
「もし私がテイラースウィフトを全く聴かずに、ベートーヴェンの交響曲第7番―イ長調―作品92が好きだったとします。となると、あなたは私と会話を始めて1分も経たぬうちに“ちょっと用事を思い出したの、さようなら”と言うでしょう。このように、お互いに共通認識を持てる事柄が多いほど、会話が成立しやすく恋愛にも発展し、共通認識を持てる事柄が少ないほど、会話は成立しにくく恋愛に発展しにくいのです。今では婚活でマッチングアプリを使う人も増えてきましたが、年齢や学歴、職歴、そして趣味などをプロフィールに記載しますよね。これも共通点というものを軸に成り立っています。つまり、もし仮にあなたが結婚して子供をもちたいと思うのなら、まずあなたたちは二つのステージをクリアしているわけです。周りを見渡してみてください。すでに年齢と学歴という共通点はクリアしていますね。そこからさらに趣味が合えば、もう残るはアレだけです」
教授が別の男にマイクを向けた。
「告白?」
「その通り。と言いたいところですが、現実問題そうはいきませんね。皆さんもご存知の通り、デートや駆け引きといった恋愛も必要ですし、さらには顔や性格などの好き嫌いもありますからね」
私は教授の話を聞きながら、ふと隣に座っている男子学生のことが気になった。ネイビーのスラックスに、上は黒のスウェットを着ていた。スウェットの襟の上からは鎖骨が見え、顔立ちも良かった。友達と一緒というわけではなさそうだったが、一方で友達を欲しているようにも見えなかった。
「はい、では今日はここまで。出席カードを教壇に置いた人から出て行ってかまいません」
「あの、すみません」
と声がすると、か彼が席を立って私の方を見つめていた。
「あ、すみません」
と私も立ち上がり、椅子の方に体を寄せると、彼はそのまま教壇の方へと歩き去った。彼が通り過ぎた時、一瞬いい香りがしたように思えた。
授業を終え、私は昼食をとりに食堂へと向かった。食堂は新入生が入ってきたことで混み合っており、やっとのことカウンター席にカバンを置いた。すぐに食券を買いに行き、長蛇の列を並んだ末、購入したうどんセットを手にすることができた。席に座ると、再びいい香りがした。それは食べ物の香りではなく香水の香りだった。ふと隣を見ると、先ほど社会学を受けた時に隣に座っていた男子学生が一人黙々と食事をしていた。私は突然のことで緊張してしまい、うどんがうまく喉を通らなかった。あっちは私に気づいているのだろうか。私から話しかけた方が良いだろうか。と躊躇していると、もう男子学生は食事を終えようとしていた。私はすかさず彼に話しかけた。
「あの、さっき隣に座ってましたよね?」
彼は私の言葉に気づくと、ゆっくりと私の方に視線を向けた。
「ごめん、君誰?」
「あ、あの、さっき隣の席で社会学の授業を受けてた・・・」
「ああ」
彼は少し間を置いてから食器から私の方に視線を移して言った。
「ごめん。俺君に興味ないんだ」
「え?」
「いや、君は俺に興味があっても、俺は君に興味ないんだ」
私は彼に何か誤解をさせてしまったかと、今一度自分のした言動を振り返ってみたが、特に思い当たる節はなかった。
「君さ、猪みたいな顔してるって言われたことない?」
「え?」
「いや、だから、猪みたいな顔してるよねって」
私はその言葉を聞いて、一瞬頭が真っ白になったとともに心臓の骨が折れるような感覚を味わった。咄嗟にその場を立ち去り近くにあったトイレにバッグを持って駆け込んだ。誰も周りにいないのを確認してから声を荒げて泣き叫んだ。
それからからのこと、私は三日三晩授業を休んで家に籠り、一人シクシクと泣き続けた。ふとした時に洗面台に立つと、私の顔はもう猪でも人間でもなくなっていた。ひどく崩れた自分の顔を見てこれではもう外には出られないと観念した。何度も泣いて気が晴れてもすぐにあの男子学生の「猪みたい」という言葉が頭を駆け巡った。私は、人は顔を変えられないのだろうかと本気で悩んだ末、ネットで顔を変える方法をくまなく探した。すると、“安心して美しくなれる”と称する整形外科の広告が目に入った。私はすぐにそれを見て心を決めた。
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