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【短編】『コンピュータが見る悪夢(中編「密売人」十三)』
プロローグ
コンピュータが見る悪夢
(中編「密売人」十三)
家に帰宅した叔父は、一言も発することなくそのままソファの上に腰を下ろした。フィルはその姿を認識しながら、テレビに釘付けになっていた。人を殺せばニュースになるはず。彼が死んだとするなら速報で出てきてもおかしくはない。しかし叔父は警察官だ。すでに事情を知っているに違いない。いつもと叔父の様子が違う。帰ってきたときの挨拶もないし、タバコを吸いに外に出ることなくソファにただ座っている。やはり叔父はもうあのことを知っているのだろうか。今自分を逮捕しなければいけないことへの悲しみに浸っているのではないだろうか。後ろから放たれる沈黙は、フィルに緊張を与えた。叔父が何かを言い出すのではないか。むしろ何か言って緊張を和らげてほしいとさえ思った。
「フィル」
第一声が自分の名前なのは悪い兆しを示していた。
「学校から電話があった。なぜやったんだ?」
フィルは叔父の方に顔を向けることができなかった。何もかも伝わっていた。一貫の終わり
「生徒の頭に怪我を負わせたんだろ?」
ん? 怪我――。
「君が怪我をさせた生徒は入院することになった。致命傷だったらどうしたんだ?」
よかった――。彼を殺したわけではなかった。すぐにフィルの口から安堵の声が漏れた。
「ごめんなさい」
「ごめんで済むものか。わかっていると思うがもうあの学校にはいられないんだぞ?」
「はい」
「これからどうするつもりだ?」
これはよくある大人の使う脅しであると瞬時に悟った。先生もよく成績が悪い時に、どうするんだ? と無駄に不安を煽った。結局ごめんなさいと連呼する自分に先生は愛想を尽かして、教室に戻れと咎めることを諦めた。今回も謝り続ければ叔父がなんとかしてくれるはず。叔父には何か考えがあるはずだと思った。
「ごめんなさい」
「どうするんだって聞いているんだ? 慰謝料は? 学校は? 何も考えずにやったのか?」
「ごめんなさい」
しばらく叔父は黙り込んだ。そろそろ答えが出てくるはずだ。こうしなさいと指示を出してくれるはず。そう思った矢先のことだった。
「ひとまず自分で考えてみなさい。学校は行かなくてもいい」
思いもよらぬ答えだった。てっきり他の学校に転校させられるのかと思ったが違った。自分が叔父から見放されたのか、あるいは試されているのかどちらかわからなかった。ただし、フィルにとっては好都合だった。正直学校にはもう行きたくないと思っていた。しかし、学校に行かないとなるとこれからどうするかを真剣に考えなければならない。叔父が求めている答えはわからないが、何かしら自分で探し求める他なかった。フィルにとって学校で出される宿題以上に難問だった。
「ということでもう学校には行けないんだ」
「ブっ飛んだ話だ」
「本当のことなんだ」
「いやあ、でもブっ飛んでる」
ニールはラップの歌詞を口ずさむようにそう言った。他の三人は悲しむべきか盛り上がるべきかわからないといった中途半端な表情で無言を貫いた。
「でも困ったよ。学校に行かないことはいいことなんだけど、じゃあ何するんだって」
「そりゃ学校行かないやつは働くんじゃねえのか?」
「働く?」
「ああ、言ってなかったか? こいつらみんなこう見えて働いてるんだぜ? どこか紹介してもらえよ」
「そうなのか?」
アダムとジョナスは頷いた。カーリーはまだ無言と無表情をつらむいていた。てっきり彼らも他の学校に通っていると思っていた。同じ年の人間がどんな仕事をして働いているのか興味が湧いた。
「俺んとこは親父が大工やってて、見習いとして現場によく行かせてもらうんだ」
アダムは右腕の袖を引っ張ると、細い二の腕を誇らしげに見せてきた。
「俺はバイクの修理屋で働いてる。エンジンとかタイヤとか仕組みがわかりさえすれば簡単だぜ」
ジョナスは時に炭のような黒い斑点が首筋についていることがあったが、オイルなのだとわかった。二人の普段の服装からは仕事をしているようには見えなかった。いつも妙なジョイントとやらを吸う輩とばかり思っていた。カーリーは何も答えなかった。答えたくないようにも見えた。大工とバイクの修理屋、どちらもそれ相応の技術が必要だろう。仕事をもらったところで続けられるどうか――。
「ちょっと変な仕事だけど、もしやりたいんなら――」
カーリーが久しぶりに口を開いた。彼の声は低音で落ち着きがあった。こんな声だったか。どこか知らない人を目の前にしているような感覚に陥った。
「おい、カーリー」
ニールがカーリーによせというような視線を送った。
「おまえが紹介しろって」
「変な仕事とは言ってないだろ?」
「どんな仕事なんだ?」
フィルは食いつくようにカーリーの方を見た。
「色々やってる。企業のデータを盗んだり、人を騙して金を取ったり――」
「難しいことはわからないけど、盗みなら得意だ。何か手伝えることないか?」
「そうだな」
カーリーは普段無口でクールだが、仕事の話となると目の色が変わった。
「銀行強盗とかはできるか?」
「ああ、なんでもやる」
ニールは、自分だけ話に置いていかれたことに不服を持ったのか、二人の会話に割って入った。
「いい加減にしろ。カーリー、もっとまともな仕事はないのか?」
カーリーはニールの言葉に臆すことなく軽く笑ってみせた。
「試しただけだよ。どこまでやる覚悟があるのかって」
「別におまえのやってることをとやかく言うつもりはないが、フィルを危ない目に遭わせることには俺は賛同しない」
「ああ、わかったよ。ただ決めるのは俺じゃなくてフィルだからな」
フィルは一瞬背筋が凍ったのを感じた。カーリーの言う通り決めるのは自分だ。どこか人生において大事な決断を迫られているような気がした。叔父に言われた時もそうだった。ひとまず自分で考えてみなさい。フィルはこれまで自分で何かを決めることをしてこなかった。何をすれば良いのかわからず、父の言葉に頼った。役に立つこと。その父の理念にすがって生きていた。教えを与えてくれる父も、決まった一日のルーティーンを強制してくる学校も失った今、自分自身の決断が問われていた。
「カーリー、おまえは金のことになると異常に頭が回る。これまでいろんなことをして大金を手にしただろうけど、それをフィルが望んでるわけじゃない。フィルは何か新しい一歩を踏み出すためのきっかけが必要なだけだと思うんだ」
金のこと――。大金を手にした――。
フィルはニールの口から出たその二語に引っかかった。とともにカーリーが何をして生きているのかますますわからなくなった。一瞬、以前ガリ勉くんに言われた言葉が頭に過ぎった。
貧しい家庭――。貧乏――。
それらの相反する四つの言葉は、瞬時にフィルの脳内で結びつき、一つの答えを導き出した。フィルは素性の知れぬカーリーに畏怖の念を抱くとともに、その闇の中央から妙な期待の光が芽生えたような気がした。
「やるよ。ニールの言う通り何かきっかけがほしい。でも何から始めればいいかわからない。自分に何ができるかわからないけど、ぜひ手伝わせてくれ」
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