【短編】『コンピュータが見る悪夢』(プロローグ)
コンピュータが見る悪夢
(プロローグ)
二〇五六年、先進国における平均失業率は五割を超えて危機的水準に達した。十年前の二〇四六年に行われたとある裁判が、その数字を生む大きな要因となった。当時はまだ先進国における平均失業率は二割を切っていた。それから五年の間に、相次いで技術革新が起こった。まずはAIが大きな進化を遂げると、その他の技術、例えばロボティクスや、自動化システム、3Dプリンティング、バイオテクノロジーなどもそれに伴って突然の飛躍を見せた。
とある社会学者は、この現象に対してミツバチが敵を発見した時に見られる習性に似ていると発言した。一匹のミツバチがフェロモンを分泌すると、他のミツバチはそれを無意識に感知し一斉に警戒体制に入る。その様子が、まるで一個体の意識が他の個体の意識に伝染するかのように見えるのだ。連続する目覚ましい技術の発展は、社会学者の言葉を引用して「ビーエコー・インパクト」と呼ばれるようになった。ビーエコー・インパクトは人々の生活にも影響を及ぼした。
ある時、とある有名な建設会社と労働組合との間で激しい論争が巻き起こった。会社は一か八か高額なロボットを購入し、従業員の大規模リストラを行ったのだ。すでに現場には3Dプリンターが導入されていた。大工や造形職人たちの雇用が激減しているところに、建設ロボットの採用はさらに追い打ちをかけた。企業の方針に怒りを覚えた労働者たちは、組合を結成し不当解雇を訴えた。しかし事前に解雇を告げていた事実が要となり、結果は企業側の勝訴に終わった。その出来事がきっかけで他の建設会社は遅れをとるまいと次々とロボットの採用を始め、その波紋は他業種へも広がった。専門職から事務職まで仕事という名のつくあらゆるものが最新技術にとって代わり、同時に多くの人間の日常が失われていった。
人間は生きていく上で何かしらすがるものが必要だ。それは仕事だけでなく、家族や、友人関係、趣味などもすがれるものと言える。必ずしも目的や目標でなくとも良い。人生という答えのない長い道のりを歩む過酷さを、一時でも忘れさせてくれる日常があれば良いのだ。しかし、そのすがるものが突然なくなると人間はどうなってしまうのか。その答えは至って単純。人間は目の前の現実を破壊し始めるのだ。他人の大切なものを奪ったり、他人を傷つけたりすることで、自分の痛みを誰かと共有できたと思い込む。自分の人生に価値を見出せなくなった人間は、そこで初めて社会という側面で現実を見るのだ。なぜなら、今度はその破壊行為に意味を見出すための対象が必要になるからだ。人間は社会を信じ続けたいと思う生き物なのだ。社会さえも信じられなくなった人間の辿る末路はただ一つ、死である。
アメリカでは失業率に比例するように年間平均死亡数が急激に増えた。仕事と家を失ってホームレスとなり餓死する者や、未来に絶望して自殺する者がその大半を占めた。
殺しによる死亡も後を絶たなかった。恨みのままに人を殺す者もいれば、息苦しい家庭に嫌気がさして家族を殺す者もいた。殺しの中でも特に顕著だったのが、財産を狙った計画殺人だった。彼らは誰かを殺せばその分、自分の財産が増えると信じていた。決して富が一点に集中する社会に対する問題提起のための殺しではなかった。
彼らはまるで一本の線をただ歩き続けるアリのようだった。本来カネとは、流動的なものである。モノを買うと、カネは購入者から販売者に移動する。移動したカネは給料として従業員に支払われる。従業員はそのカネでモノを買い、他の販売者のもとに渡る。販売者、購入者の支出と収入の回数や金額を増やすことによって、カネの総量は増えるのだ
しかし殺しを平気でする者たちは、カネの量は不変と考える。自分が稼ぐ分、誰かが稼ぐ機会を喪失する。自分が稼いでいないときは、誰かが自分のカネを奪っている。と目の前の事実を見ることしかできない。カネの分配の輪の外にいることに気がつかないのだ。目の前にないものは、どこかにあると信じる能力はあるものの、目の前に存在することを見る力はない。そこには球体があるはずが、一本の細い線でできた円と信じて歩き続けているのだ。
一方で、最新技術による国民への恩恵もあった。犯罪の急増に伴って、犯罪を撲滅する技術も更なる進化を遂げた。まるで草食動物が増えすぎると、それを抑える肉食動物が増えるように、不思議と社会の秩序は保たれるようにできているのだ。
大統領令の発令により、FBI(連邦捜査局)において殺人事件の捜査を担当していた「行動科学課」は新たに「公共安全分析課」に改名された。大統領の権限を利用してまで名前を変える必要があったことには理由があった。今までは殺人事件が起きると、その犯人の特徴や心理を追求し、逮捕を目指すことが行動科学課の役割だった。しかし最新鋭のシステムが導入されてからのこと、事件の解決には時間を要さなくなった。
とある大学機関で生物学部と電子工学部による共同研究プロジェクトが実施されていた。最新のセンサー技術、バイオテクノロジー、データ解析コンピュータを活用して、人体の状態をより高度なレベルで観察できるようにするという目的だった。センシング機能の備わった遺伝子が組み込まれた細胞を人体と融合させることで、体内で起こっている情報の全てがコンピュータに伝達されるという仕組みだ。コンピュータは送られてきた情報をもとに、犯罪行為の予測、管理を可能にした。要するに、これから誰が殺人を犯すのか、また犯したのかが手に取るようにわかるということだ。
細胞を人体に取り入れるために、特殊な寄生虫が使われた。その寄生虫は人体に害を及ぼすことはなく、人為的に行動を操作できた。害を与えるとすればそれを操る人間側にあると言える。学会はその寄生虫を「プラズモグラフィア」と呼んだ。計測の意味を持つグラフィアと、細胞の形態を持つプラズマに由来する。プラズモグラフィアで読み取るものは体内の情報だけではない。人間のホルモンの動きをもとに感情の形(オーラ)を読み取ることができる。さらに感覚神経の情報をコンピュータに読み込ませ、感情の波形とともに解析することで、人間の心の声の波形を観測できるようになったのだ。古くからテレパシーという名で呼ばれてきた超常現象は、今や科学によって存在を証明されていた。
しかし観測した人間の心の声は、犯行後に犯人を突き止めるための有力な情報にはなるものの、それを未然に防ぐ上ではあまり役には立たなかった。そこで、このコンピュータに搭載された別の分析能力が犯罪防止に一躍を買った。
心の声と運動神経の情報をコンピュータに読み取らせ解析することで、犯行を未然に防ぐための情報を収集することに成功した。コンピュータは人間の未来の行動を読むことができたのだ。研究チームは、人間の行動を再現度高く推測できるほどの高い知能を持ったこのコンピュータを「ホモシミュレーター」と名付けた。
人類は、科学の力によって予知能力を手に入れてしまったのだ。
〈プラズモグラフィアとホモシュミレーターを使った未来予測の簡易計算式〉
① 人体の構造 × ホルモンの動き = 感情の波形(オーラ)
② 感情の波形(オーラ) × 感覚神経 = 心の声
③ 心の声 × 運動神経 = 未来の行動
公共安全分析課は、ホモシミュレーターを用いて、人間の感情モデルを数値化して色分けするようにプログラムした。感情モデルには基本色の十二種類が採用された。公共安全分析課が知っておくべき色は主にグリーン、イエロー、レッド、グレーの四つとされた。グリーンは正常な未来、イエローが不確実だが危険性のある未来、レッドは危険な未来、グレーは極限の鬱反応を意味した。レッドあるいはグレーが一定時間続く場合、殺人または自殺が確実に起こった。公共安全分析課の人間は、この二つの色を確認するや否や、各身体に入った寄生虫が発信する電波を元に位置情報を割り出し、現場へと出動した。
システムの機能自体は優秀すぎるほどだった。しかし殺人防止を実現できるかどうかは公共安全分析課の裁量にかかっていた。システムはあくまで情報収集のための道具にすぎないのだ。実際に殺人を止めるために必要なのは、人間の労働力だった。
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