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【短編】『コンピュータが見る悪夢』(前編「殺人」②)

コンピュータが見る悪夢 
(前編「殺人」②)


「こちらフィル・ウォーカー。テンダーロインエリア付近にいる」

「そうか。よかった」

「殺人予測現場の住所と時間を教えてくれ」

「ああ。レヴィンワース通り四三四の白いアパート。三階の三〇四号の部屋でソファに座っている男が何かで殴り殺される。時間は一時十分二十三秒だ」

 時刻はすでに一時五分だった。

「わかった。すぐに向かう犯人の男はどんな奴だ?」

「わからない。通信妨害専用の衣服を身につけているようだ。今のところ入手できているのは被害者の情報だけだ」

「被害者はどんな人だ?」

「三五歳。白人男性。保険会社に務めている。身長は五フィート六ぐらいで、肌にアトピーのアレルギーを持っている」

「ありがとう」

 深夜のサンフランシスコは身を切るような寒さだった。マリファナを吸って歪んでいた空間は徐々に形を取り戻しつつあった。あと三分。すでにテンダーロインエリアには着いていたものの、もらった住所付近には、白いアパートがそこかしこにあった。おおよそ昼間であればすぐに見分けがつくのだが、夜中となると視力は役に立たなかった。闇の中では、黄色もピンクも白も同じに見えてもおかしくないのだ。残り一分。一軒、ところどころ外壁の塗装が剥がれた古びたアパートがあった。

 ここに違いない。

 テーザー銃を握りしめてアパートの玄関扉を勢いよく開いた。犯人はすでに中にいるはず。男と口論になっていると見た。駆け足で廊下を渡り、階段を登った。三〇四の部屋が目の前にあった。中から人の声は聞こえなかった。残り三十秒。どうしよう。部屋に突撃するかどうか考えるには時間が足りなかった。時間が許せば再びマリファナを吸って気持ちを落ち着かせようかとさえ思っていた。

 そこへ運が巡ってきたかのように、突然部屋の中から物音が聞こえた。まもなく、男が痛みで叫ぶ声が聞こえてきた。男は何かで叩かれているようだ。この部屋だ。残り十秒。ドアから一歩下がって全身の筋肉に力を入れた。このボロアパートであれば痩せ細った体でもドアを破壊できるのではないかと思い、何も考えずにまっしぐらに突進した。

 ドアの金具は外れ、綺麗に弧を描いて床に倒れた。やったぞ。そう喜ぶのも束の間だった。両手に構える銃の先には。リビングテーブルに寄りかかって裸同士で体を突き合っている二人の男の姿があった。突かれている男の方はテーブルが床と擦れる音に合わせるように声を張った。

「警察だ! 両手をあげて床にひざまずけ」

「なんだってんだ、こんな時に」

「クソ。ホモか。早く座れ!」

 男二人が逸物を右手で隠しながらゆっくりと床に体をかがめている時、近くからガラスが砕ける大きな音が響いた。自分の裸を見られて萎縮している男二人の横を通り過ぎ窓から外を眺めた。しまった。殺人は隣にあるもう一つの白いアパートで起こっていた。外に取り付けられた非常階段から黒いフードジャケットを羽織った男が降りていく姿を目撃した。

「待て!」

 窓は閉まっており、声は部屋の中で反響した。裸の二人組を放置してすぐさま部屋を出た。アパートの外に出た頃にはすでに犯人の姿はなかった。隣のアパートの三〇四の部屋の扉を開けると、ソファの上に頭から血を流した男が横たわっている。割れた窓ガラスから入る冷気はすでに部屋を循環していた。床にはハンマーらしき凶器が落ちている。どうやらこれで後頭部を殴られて死んだようだった。

「こちらフィル・ウォーカー。テンダーロインエリアの殺人防げず。犯人逃走」

「なんだって?」

 無線の向こうから聞こえてくる声は、焦っているようにも怒っているようにも聞き取れた。

「犯人を追おうか?」

「いや、もういい。他の警察が来るまでそこで待機してくれ」

「了解」

 無線を切ると、ソファの後ろに背をもたれて座り込んだ。背後からは血が床板に滴り落ちる音が聞こえてくる。間に合わなかった。殺人現場を見るのはこれで何件目だろうか。いつもの如く血の匂いで吐き気に襲われた。待機命令を無視して、このまま家に帰りたかった。気を紛らわせるために懐にしまってあったマリファナを吸った。死んだ男が吸っていたことにしよう。あるいは犯人が捨てていったことにすればいい。天井から一滴の水が顔に落ちた。部屋は雨漏りしていた。昼間に降った雨がまだ自分を狙ってくる。嫌な一日は、終わっていなかったことを思い出した。ふと自分がこの異様な空間に溶け込んでいくような感覚に襲われた。滴り落ちる雨水と血が床でゆっくりと弾ける。草と血の匂いが煙となって相互に交わる。自分はこの空間に酔っていた。自分が社会の足手纏いであることに酔っていた。軽く笑みを浮かべて目を瞑った。


 殺された男のデータは、すぐさまFBIの公共安全分析課に送られた。犯人は体内に寄生したプラズモグラフィアの通信を妨害していたため、データのハッキングはできなかった。ホモシミュレーターが記録した被害者の情報をもとに捜査は開始された。

「今度はどんな殺人だ?」

「ハンマーで後頭部を殴打されて即死らしい」

「つまらねえ。もっと斬新な殺しはないのか?」

「斬新な殺しと言うと?」

「そうだな。一切体に触れることなく遠くから紫外線を当て続けて細胞を破壊するとか」

「そんな手間がかかる殺しをする奴なんかいるもんか。サイコパズぐらいだ」

「そうだな。サイコパスの事件ほどおもしれえもんはねえ」

「そうは言ってないぞ」

「いいや、そういうことだろ」

「まあ、なら今回の事件は楽な方ってことだな?」

「容易い御用だ」

「じゃあ任せたぞ?」

「ああ」

 捜査官のサムは、上官からの電話を切ると、スターバックスのコールドブリューを一口啜ってから送られてきた資料に目を通した。三五歳。白人男性。保険会社務め。身長は五フィート六。アトピーのアレルギーあり。どこにでもいそうな人物だ。この男がなぜ後頭部を強打されて死ななければならなかったのか。その答えは目の前にある投影式のコンピュータが知っていた。

 しかしコンピュータは自分からは何も語らない。こちらが何かを質問しない限り何も答えを教えてくれない。まるで神のような存在だった。ホモシュミレーターという名前がつけられたのも、人間がこれからどんな行動を取るのか。人間にはこれから何ができるのか。人類の可能性、限界さえも知っているという意味を含んでいるような気がした。

 サムは目の前に佇む神に向かって淡々と質問を始めた。

「昨日起きたテンダーロインエリアの殺人事件のデータを読み込んでくれ」

〈了解しました〉

「被害者のデータを頼む」

〈了解しました〉

「いや、犯人のデータを頼む」

「申し訳ございません。犯人のデータは取得できません」

 やはり犯人がプラズモグラフィアの通信を妨害していることは本当だった。

「被害者のデータをもう一度頼む」

〈了解しました〉

 ホモシュミレーターは、五万とある人体の構造、感情の変化、心の声の記録の中から一人の男のフォルダを選び出した。名前はカルロス・サンチェス。メキシコからの移民だった。思っていた通りの平凡な保険会社勤めのサラリーマンの顔をしていた。

「殺された時のインナーボイスを再生してくれ」

〈了解しました〉

 スクリーンには、カルロス・サンチェスの一連の心の声の音声データが表示された。一番右のメモリには五年三ヶ月と表記されていた。プラズモグラフィアが開発されてからまだ五年しか経っていなかった。すでに最新技術を使った捜査に慣れきっていたため、てっきり十年以上経っているような感覚でいた。人間の時間感覚は全く信用ならないなと皮肉をこぼした。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

▶︎続きの【前編「殺人」③】はこちら


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