【短編】『コンピュータが見る悪夢』(前編「殺人」①)
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コンピュータが見る悪夢
(前編「殺人」①)
南部からの西部東部への人の流入が急激に増した。元々南部を拠点としていた大企業の工場地帯でも人を必要としなくなったのだ。大規模設備投資により工場の生産プロセスは全て自動化された。働く者たちは皆リストラされ、逃げ道を失って元いた西部東部へとUターンせざるを得なかった。南部での安い家賃、安い生活費も仕事がなければ意味をなさなかった。西部東部では、土地代や生活品の値段は高騰し続けているが、人口の流入が多い分仕事も自ずと増えるだろうと見立てている者が多かった。いわゆる逆ドーナツ化現象である。
しかし西部東部でも安定した仕事にありつくことは至難の業だった。中小零細企業でさえも資金がないことから、新規採用をためらった。仕事を見つけられない者たちは各都市で浮浪者となるしかなかった。皮肉なことに都市部での貧富の差はさらに拡大し、犯罪件数も増えた。残っている仕事といえば、増え続ける犯罪を取り締まる警察官か、犯罪の温床となる闇商売ぐらいだった。各地にできた犯罪組織は職を失った者たちにとっては慈善団体のようなものだった。汚い金ではあるものの、家族を養い続けることができるのだ。政府も情勢を鑑みて仕方なく目を背けるしかなかった。
一方で、プラズモグラフィアとホモシミュレーターの開発のおかげで犯罪は可視化され、今まで見えていなかった膨大な事件を防止する機会が新たに生まれた。その量は、システム開発以前の全米の警察官の人数の十倍を必要とした。当然それを補える見込みはなかったため、新システムは犯罪を撲滅するまでにはいかなかった。警察官の少ない地域では殺人が起きようとしていても見送る他なかった。都市部では新たに警察官になろうと面接を受ける者が後を絶たなかった。何より、国から一定の給料をもらえ、「なくならない職業」の一つでもあったのだ。
ビーエコー・インパクトが起こる以前から、世界では最新技術に仕事が奪われることが予測されていた。一時期AIに奪われない職業ランキングというものが流行った。一位は政治家。二位は裁判官。三位は警察官。四位は芸術家とアスリート。五位は占い師。六位はカウンセラー。七位は売春婦。八位はドラッグの売人。九位は詐欺師。十位はサンタクロースとされた。サンタクロースまでもが機械に取って代わってしまったら世界はおしまいだという皮肉からランク入りしたようだった。実際に奪われなかったのは、政治家、裁判官、警察官、売春婦、ドラッグの売人、そしてサンタクロースだけだった。詐欺師までもAIが人間の代わりに作業を担っていた。
人々は不幸な未来を当初から予測していたものの、その時の話題として消化するのみで一切行動に移すことはなかった。実際にビーエコー・インパクトが起こると、ようやく世界はパニックに陥った。仕事が奪われていく状況下でも、警察官は人々にとって唯一残された、安定を見込め採用条件が低い職業だった。
アメリカ西部のサンフランシスコでは、犯罪件数が全米で一位となっていた。しかし警察官の人員補強が急務の中、採用は滞っていた。面接に来るのは身元を偽ったり、犯罪歴を隠したりする者ばかりだった。全てホモシミュレーターが感知し、信号を鳴らした。そのホモシミュレーターのセンサーをうまく潜り抜けた人物が一人いた。フィルという男だ。彼は闇商売をしていたが、叔父が警察の中でも権威ある職に就いていたため、ホモシミュレーターによる面接を受けずに内定をもらったのだ。フィルは警察の仕事の合間を縫って闇商売を続けた。いい金になるからである。
「三グラム百ドルだ」
「ヨウ、ブリード。いつもより少し高くネエか?」
界隈ではブリードという名前で通っていた。「飼育」のブリードだ。覚醒剤を作る友人から薬中に餌漬けする奴という意味でもらった名前だった。
「いいや、こんなもんだ」
「そうか」
「九グラム買うなら負けてやってもいい」
「いいや、ヤメとくよ」
「わかった」
男はそう言って百ドル渡すと、ドアウィンドウを閉め、迷惑なエンジン音を寝静まった近所に轟かせて去っていった。あたりに残った排気ガスを肺の奥まで吸い込んで無駄に体に刺激を送った。明日は月曜日だ。警察署に出勤しなければいけない。フィルはすぐに家に戻ってマリファナで一服した。元々そこは叔父が住んでいたアパートで、自分が警察官になることを機に譲ってくれたのだ。それにしても嫌な一日だった。朝っぱらから安いベッドの軋む音と女の喘ぎ声に眠りを邪魔された挙句、天気予報に嘘をつかれて傘を持たずにモールへと買い物に行き、お気に入りのウォーリアーズのスウェットをびしょびしょにされた。だが三日間同じ服を着ていたからちょうどよかった。フィルは壊れかけの洗濯機に濡れた衣服を投げ入れ、三日ぶりのシャワーを浴びた。叔父さんが置いていったボディーソープは、なんだかフルーティーで女っぽい香りがした。チェリーとチアミルクと書かれていた。頭上にある小さな窓の外からは犬同士が吠え合う声が聞こえてくる。野良犬だろうか。まだ近所で犬の散歩を見かけたことがなかった。
「アチッ」
シャワーの水栓に背中が触れてしまったようだった。
体はチェリーの香りに包まれ、リビングに充満するマリファナの匂いに溶けていった。テーブルの上には、袋詰めされる前の緑の綿が大量に散乱していた。隣には測りが置かれ、ステンレスの台の上にはまだカスが残っていた。フィルは手のひらでカスを床に落とすと、キッチンの棚から段ボールをテーブルまで運び、中から小さな黒いプラスチックの袋を五つ取り出した。一つずつ測りに乗せるとどれも三・一グラムを示した。客に売るためのメタフェタミン、覚醒剤だ。
友人の家に覚醒剤のラボがあった。覚醒剤の製造方法を知っているのは街の中でも限られた人間のみだった。なぜ友人が知っているのかはわからなかったが、彼が良い覚醒剤を作る職人であることだけは確かだった。一度家を訪れた際に、作り方を披露してもらったことがあった。友人は、覚醒剤は秘伝のレシピをもとに作られると言っていた。彼は科学者でもあり料理人とも言えた。各薬局で買い入れた鼻詰まり薬からエフェドリンという化学物質を抽出する。それをフラスコやチューブなどを使って「ケミストリー」すると、溶媒がポットの中に溜まる。それを乾燥させて粉末状にするのだ。熱する温度や量、混ぜ方を間違えると、中で生成されたガスが発火し大爆発を起こす危険性があった。彼はレシピを聖書のように暗記し、すでに体がそれを覚えていた。まさしくシェフそのものだった。
フィルは友人の家で製造された覚醒剤を直接客に売っていた。そのため他のバイヤーよりも安値で売ることができた。徐々に客は固定化されていき、気づけば普段の生活の収入源となっていた。近年オンラインでの販売が主流になっていたが、カートシステムがどうも信用できなかった。ネット上で捜査が入った際に身元がバレてしまうことを恐れ、あえて対面のみでの受け渡しにした。
今日は三組の客に売れたため、三百ドルの売り上げがあった。そのうちの七割はシェフ兼サイエンティストの友人に返すため、実質手元に残るのは九十ドルくらいだ。悪くない。日によっては六十ドルの時もあった。そのため平均して一日九十ドル稼ぐことを目標にしていた。警察の仕事もあるため、客と会えるのは週に二、三日程度だった。友人からはその分収入が減ってしまうためオンライン販売を始めてくれないかと頼まれたが、フィルはそれを断った。警察の仲間にも売れればいいのだが。しかしそうすればたちまち刑務所行きになることは目に見えている。刑務所の囚人に売るのも悪くない。肺に煙を埋め尽くしながら、無謀な計画を企むふりをしていると、突然床に落ちている無線機から男の低い声が鳴り響いた。
「こちら、サンフランシスコ警察。テンダーロインエリアでレッド反応あり。殺人予測が一件。至急応援を求める」
その声はゆっくりとフィルの耳に吸い込まれ、数秒後にようやくフィルの脳に伝わった。
「殺人――」
フィルはソファのクッションに沈みながらその一言を聴き取ると、全身に立ち上がれという信号を送った。頭が朦朧としながらも、再び無線を聴いた。
「こちらサンフランシスコ警察。テンダーロインエリアで殺人予測が一件。至急応援を求める」
テンダーロインはアパートから一キロ以内の場所だった。水道の蛇口の下に顔を寄せて勢いよく水を流した。溺れると察知した脳は急激に目を覚まし、咄嗟に蛇口を逆に捻った。顔から水が滴り落ちるのを気にすることなく寝室へと歩いていき、クローゼットの扉を開けた。そこには警察の制服とバッジ、帽子、テーザー銃、手錠が煩雑にしまってあった。扉の鏡に映る時計は深夜一時を指していた。
「よし、明日は昼出勤だ」
そう呟いて蒼白の顔に軽く笑みを浮かべた。
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