一応、暴力だろ。石でも言葉でも嫌悪でも。
好きということには、なんのてらいもないのだけど。嫌い、ということはあえて言えなくなってきてしまって。好きはよくって、嫌いはだめ、というわけでもないのに。
SNSの世界では当たり前に、好き嫌いが言えるように感じます。日常の会話では、言わないのに。
だけど激しい言葉でないと伝わらない、って淋しい気がします。
好きも、自分ファースト。嫌いも自分ファースト。ファーストな方々がいっぱいの4つのミニ裁判。
嫌いなら呼ぶなよ 綿矢りさ
コロナ時代の不安や恐怖、心の貧しさをあっけらかんとさらけだすような4つのお話し。
美容整形をカミングアウトした女が、それをいじってくる人たちに対してのプライドだ。
承認欲求が強すぎるのだけど、怒ったり泣いたりは美学に反するという。言葉で否定も主張もしないで、態度で表す。ひねくれたプライド。今を生きていく術かもしれない。
YouTuberの神田に執着する女。SNSのフォロワーの歪んだ距離感が、いきすぎて笑える。これも神田にも女にもプライドがあるんだけど。
不倫がバレて妻の親友、友人夫妻からボコボコにされる男の内面の言葉だ。『嫌いなら呼ぶなよ』というのも内面の言葉。そう言ってやりたいけどできない。ボコボコにするほう、されるほう、どちらも言葉は届いてない。激しい言葉がいきかっているのに空振り。
37歳作家の綿矢、42歳のライター、26歳の編集者がそれぞれ被害意識を持ちメールバトルが繰り広げられます。作家が綿矢とは。これは楽しんで描いてらっしゃるなぁ。
ポップな水玉模様が、かわいいのか、怖いのか、イライラするのか、笑えるのか。ミニ裁判へようこそ💗 と帯にあるのだけどこの💗もまた不気味でかわいくって。
芸能人の不倫だとか、SNSの炎上だとか、ワイドショー的なことってミニ裁判なのかもしれません。当事者にしろワイドナショー、それを見ている人たち、どっちもどっちでジャッジできることじゃないのに。
攻撃や争いでなく、言葉でもなく、笑ろうてまいたい。
笑いも防御であり攻撃なんだけど。